荒れ狂う女神②
彼女の話をまとめると、こういう具合であった。三日前、真樹たちと入れ替わりに、東京の神社本庁から重要な言伝を持って現れた神社本庁職員・大石は、出かけていて帰らない、というつゆりの言葉を信じて浦部宮司を待っていたが、夜になっても現れない宮司にすっかりいらだち、予てから問題になっていたという、鳴虎帆稲荷の本庁への態度を孫娘のつゆりへぶちまけだしたのである。
もっとも、つゆりがそんな詳しい事情を知っているわけがなく、仕方なしにはあ、とか、なるほど、と素っ気なく返事をするよりなかったのだが、それがかえって大石の神経を逆撫でし、とうとう彼は、止めるつゆりを払いのけて、お社のご本尊を調べてくると言い、鳥居の続く石段を上がりだしたのだが――。
「そこでふらりとナホ様が姿をお見せになって、こう叫んだんです。『つゆりちゃん、あなたは目をつぶってなさい。そうしないとあなたまで巻き添えになる』って。その時のナホ様の顔は、ひどくおびえたような目つきでした」
そのとき、大石を挟んで彼女と向かい合わせになっていたつゆりは、ナホの声に驚いて目をつむったのだが、その途端に、今度はまぶた越しにでも見えるような、ひどくまばゆい光がその場に湧き上がったのだという。そして、自分の隣をすり抜けていく、鼻を突くような臭気と、大石らしい男の絶叫がふもとへ消えていったのを耳で確かめてから目を開くと、そこにはどろどろとした粘液の上に、巫女服姿のナホが大粒の汗を垂らし、息も絶え絶えに座り込んでいたのだという。
「慌ててナホ様を奥の間へお連れすると、布団に収まったナホ様はこうおっしゃったんです。『もう、自分ではどうにもならないところまで来てしまった。あなたは傘岡へ行って、あの晩あしらったあの古本屋の青年たちを連れてきてほしい……』と。それを聞いて、すぐにでも出かけようと思ったんですが、思いがけず早くに大石が見つかってしまって、町がすごい騒ぎになってしまったんです。人目にもつきますから、いつものように電車へ乗って、というわけにもいかなくて、一晩経ってから、放浪者みたいに貨物列車に忍び込んでここまで来たんです」
そこまで話し終えると、つゆりはぬるくなった麦茶を一気に飲み干し、盛大なため息をつくのだった。
「――にしても、いったい大石という男、どんな状態で発見されたんだろう。君たち、新聞やニュースは確認したかい」
「ええ、一通りは。でも、どの新聞を見ても八峰町で何かあったらしい、って記事は見当たらないんですよ。ラジオもテレビも、ネットのニュースもそんなかんじで……」
「やっぱりそうか。実はオレも、八峰町に関するニュースは見つけられなかったんだ。いったい、こりゃどうなってるんだ……?」
「――もしかすると、遺体は二目と見られないような状態なのかもしれませんよ」
少年の報告に首を傾げ、組んだ二の腕を指で神経質にたたいていた真樹は、鍵をかけずにあった裏口の戸から、坂東医師が鞄を片手にたちすくんでいるのに気づいて軽く飛び上がった。
「坂東先生、いつの間に!」
「すいません、近くに往診に出たついでに立ち寄ったんですが、聞こえてきた内容が内容だったので、ちょっと声をかけるタイミングがわからなくなってしまいまして……ちょっとお邪魔してもよろしいですか」
きれいになでつけたオールバックに、ロイド眼鏡越しに賢い両の目を光らせる坂東医師に、真樹は手近の座布団を出して座るようすすめ、昨夜はほとんど意識のなかったつゆりに、改めて強力なる味方の、若い開業医を紹介してから、話の続きを頼むのだった。
「変死体、というのは普通、自然死とも病死ともつかない状態を指すんですがね。さきほどのつゆりさんのお話から察するに、事故死とも取れない、妙な状態でその大石という職員は発見されたのではないかと思うのですよ。勝手な想像ですが、おそらく神社本庁あたりに連絡がまわってから、どこかの有力筋を通して所轄の警察署や新聞社に圧力がかかったんじゃないでしょうか。そうでもなければ、テレビや新聞がどこもこの一件に触れていない、というのは奇妙ですよ」
「神社本庁といやぁ、この頃なにかと馨しい噂の多いところだもんなぁ。無理もない話ですね」
話し終えた坂東医師へ麦茶をすすめると、少年は真樹のほうへ向き直り、これからどうします、と、怪訝そうに尋ねる。
「どうするって、出向いていくしかないだろう。ただし、今度ばかりはきみは留守番役だ。どうも、事と場合によっては命にかかわるような目に遭うかもしれないからな」
「――どうやら、そうらしいですね。悔しいけれど、かたき討ちはあなたに任せます、真樹さん」
事の重さを悟ってか、普段より大人しい態度で引き下がると、少年は坂東医師へ深々と頭を垂れ、道中の安全を祈るのだった。そのあとすぐ、荷物を抱えて少年が帰っていくと、真樹はその後姿を見送ってから、二人を二階の書斎へと招き、今後の方策を話し始めた。
ところが、そこから数分もしないうちに、いきなり真珠堂の屋根づたいに激しい雷鳴がとどろき、薄曇りだった空がみるみる黒雲に覆われだして暗くなりはじめたので、真樹は部屋の明かりをつけるのと同時に、反射的に窓の外、新幹線の高架越しにうっすらと見える、八峰山をにらんだ。
「坂東先生、つゆりさん、ちょっと……」
すっかり暗くなった窓外を指さす真樹に、二人はどうしたことかと顔を見合わせたが、彼の肩越しに見た八峰山の光景に、すっかり度肝を抜かれてしまい、声にならない悲鳴をあげるのだった。
三人の目線の先には、活火山の噴煙のような、白く濁った煙――ではなく、濃い霧に半分以上くるまれた、水墨画のような八峰山が妖しく、その立ち姿をのぞかせていたのである。
――どうやら、我々の思ってる以上に、今度の相手は強烈らしいぞ。
真樹の額から、一筋の汗が音もなく、のどぼとけのほうへと伝っていった。




