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霧の八峰山  作者: ウチダ勝晃
第四章 霧影の古社

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霧影の古社⑤

「店長、まだ痛むんですか」

 買い物帰りに寄ってきた主婦へ、古い料理本を封筒へ包んで渡した蛍は、いつもなら帳場にいるはずの真樹のほうを振り返って、鼻をつくような湿布のメントール臭へ困った顔をしてみせた。真樹と少年たちが八峰町から戻ってきてから、ちょうど三日ほどたったとあるお昼前のことである。

「――なに、これくらいどうってことはないさ。坂東先生の言いつけ通り、湿布を朝夕替えてるから、もうどうってことはないよ」

 とはいうものの、いつもと違い、茶の間の畳に足を延ばして、ちゃぶ台の上で帳簿をつける真樹の姿には説得力のかけらもなかった。あの日、てれこに掴んだキャメルに驚き、縮み上がった弾みにローテーブルの天板で足の甲を打った真樹は、家の中の行き来をするのにも小さく悲鳴を上げずにはいられない、実にまずい状況に置かれていたのである。

「坂東先生からお電話もらったときはびっくりしましたよ。店長が怪我をしたから、しばらくあまり歩けないかもしれないって……」

「間違ってはないけど、ちょっと坂東先生の伝え方には問題があったらしいね。まあ、骨折とかはしてないから大丈夫さ。そのうち、君が今いるとこへ戻るから、安心してバイトしてちょうだい」

「もー、そうやってまた無理な意地を張るぅ……」

 店の名前を刷り込んだエプロンのまま、茶の間の畳へ膝立ちであがると、蛍はちゃぶ台越しにそっと真樹へ顔を近づけ、

「啓介さん、無理して死んだりして、私をひとりぼっちにしたら許しませんよ」

 と、あっけにとられている唇へそっと自分のものを重ねると、蛍は黙りこくって、恋人と熱い息を交わしあい、そっと背中へと手をまわした。

「――はい、痛いの我慢してる分のボーナスです。約束の浴衣も、ちゃんとお願いしますね」

 口元を離し、いたずらっぽく微笑むと、蛍は何事もなかったかのように、はたきを片手に店先へと出て行った。セミの声も高らかに、まぶしいばかりの燦燦たる日差しが、開け放たれた入り口から漏れてくるのを呆けた目で眺めながら、真樹は改めて、この子のためにも早死にはできない、と悟るのだった。

 午前いっぱいのアルバイトを終え、出前の冷やし中華を食べた蛍を裏口から送ると、真樹はのそりと身を起こし、閉めていた店の戸を開けようとしたが、ガラス越しに見た顔がいるのに気づくと、彼は「休憩中」の札を返さずに、代わりに手で「裏口へ行ってくれ」と、サインを送り、茶の間へと戻った。

「真樹さーん、ご無事ィ?」

「またこうして、君から見舞いを受けることになるとはなぁ……。まあ上がれ、あまり整理はされてないが……」

 いつかの夏風邪見舞いのように、手土産を持って現れたアロハシャツ姿の少年を上げると、真樹は冷蔵庫の中から、お中元で届いた缶ジュースの箱を出し、好きなのとりな、と、年の離れたこの友人へすすめるのだった。

「坂東先生から聞いて驚きましたよ。天板に足ぶつけてくたばってるっていうから、どんな大怪我かと思ったら……打ち身だったのね」

 膝を延ばしたまま、斜めにちゃぶ台へ向かう真樹の両足を一べつすると、少年は受け取ったパインジュースを開け、渡されたグラスへ注いでから一口、のどの渇きを潤すようになめるのだった。

「打ち身だって十分大ごとだと思うがなあ。それより、ここしばらく会ってない間に、坂東先生から面白いことを聞いてきたぜ」

 真樹が自信たっぷりに言うと、少年はえっ、真樹さんも、と、妙な反応を示した。

「弱った、こうなると僕の持ってきたネタがかすんじゃうなあ。悪いけど真樹さん、ここはひとつ先行ってことにさせてもらえませんか」

「おう、いいぜ。どんなニュースか、聞かせてもらおうじゃないの」

「そいじゃ、遠慮なしに。――八峰町に来ていた神社本庁の職員が、変死体で見つかったそうですよ」

「なに、神社本庁の……?」

 少年の持ち込んできたネタは、思っていたよりも大きな破壊力を持ち合わせていた。神社本庁といえば、国内の神社の大半を管理下に置いている団体である。そこの職員の変死、というだけでも多少なりとニュース・バリューに富んでいるのに、その変死した先が渦中の八峰町というのは、真樹にとってはまさに、青天の霹靂であった。

「しかしまあ、そんな情報どこで手に入れたんだい」

「なに、昼前に傘岡駅の東口を歩いてたら、おおぜいのブン屋さん方が越鉄のホームに乗り込んでくのを見ましてね。気になって、入場券を買ってちょいと耳ィそばだててみたら、どうやらそういうことらしい……てなわけなんです。ぼちぼち、電話越しに記事が送られて、遅い版の夕刊には間に合うんじゃないですかねx」

 少年の言葉に、真樹は壁の時計へと目を移す。たいてい、どこの新聞社も配達の二時間以上前には記事の入稿を締め切ってしまうから、いつも二時前後に真樹の家へと届く、わりに早い版の夕刊では事件の全容は拝めそうになかった。

「夜の県域ニュースか、明日の朝刊だけが頼りだな。ひとまず、重要な情報、感謝するぜ」

 真樹が足をさすりながら礼を述べると、少年はいつの間にか懐へ忍ばせていたもう一本のジュースを開けて、じゃ、今度は真樹さんの番ですね、と、自分のほうへと耳を傾けだしたので、真樹はさっそく、坂東医師の唱えた仮説を少年へと聞かせてやるのだった。

「――と、いう塩梅になるんだがね、きみはどう思う。僕は坂東先生の言う通り、『一般的な科学理論が通用するなら』ば正解だと思うんだが……」

 少年はしばらく、真樹の顔と、空になった缶を交互に睨んでいたが、おもむろに口を開くと、

「僕も、真樹さんや坂東先生と同意見ですね。そうでもないと、あんなようなことはしでかさないだろうし、何より、あの写真にあった包帯の意味が分からないでしょう」

「やっぱりそう思うかぁ。――ただ、そうなるとオレとしては、実に判断に迷うんだ。異形の怪物とはいえ、静かに死を迎えるものを邪魔するのは、どうにも気が咎めてね……」

「真樹さん、案外ヒューマニストだったんだねぇ。僕はてっきり、現地に赴いて怪物の皮をひっぺがすような人かとばかり思っていたけど……考えを改めますよ」

 少年のおどけた顔に、ぜひともそうしておいてくれ、と冷たく返すと、真樹は少年の手元からグラスをひったくり、長々と語って疲れたのど元へ、勢いよくジュースを流し込むのだった。


 暇を幸いと、あらためて寝泊りに入用な品を持ってやってきた少年ともども、真樹はその夜、書斎のしたラジオやテレビをつけっぱなしにして、それぞれのニュースへ目を、そして耳をそばだてることに決めた。その前哨戦として、まずは書斎に置きっぱなしになっている、しけた安物のコーヒーを濃く入れて飲み下すと、真樹は実に不愉快そうな、青い顔で天井をにらむのだった。

「……真樹さん、安コーヒーのご感想は?」

 台所の奥にある、申し訳程度の広さの風呂から上がった少年が、マグカップとテレビの画面をにらみつけていた真樹へ尋ねると、軽い舌打ちにつづいて、

「サッサと捨てておくんだった。こんなにひどいコーヒーはうまれて初めて飲んだよ」

「そりゃまたご愁傷さまで……」

 と、実に忌々しげな表情と声とともに、真樹は空になったインスタントコーヒーの空き瓶を屑籠へ押し込むのだった。

 そのうちに、N県域のAM放送に周波数をあわせたラジオから、午後の十一時を告げる時報が物憂げに鳴り、どこかで最終一本手前の路面電車が発車する音が過ぎて行ってから、それを合図に、水を打ったような静寂が、傘岡の街に覆いかぶさった。セミの寝息すら聞こえない、不気味なまでに静かな、夏の夜のことである。

「――第一陣はめぼしい戦果なし、かぁ」

 十一時のニュースが終わると、ランニングに着替えた少年はあくびをかみ殺してから、神経質にテレビのチャンネルを切り替える真樹の背中へ話しかけた。

「そっちもなし、となると、テレビのほうはあまり期待できそうにないぜ。こっからしばらく、東京や大阪からの深夜バラエティばっかりになって、ニュースは隅に追いやられるから……」

 コーヒーのカフェインが利いてきたのか、やや昂っているような気配をまとった真樹は、ボリュームを落としてから、少年の手元へあったグラスへ麦茶を注ぎ入れてやった。

「この頃のテレビは、ワイドショー以外の報道をあまり大事にしないからなぁ。嘆かわしいことです」

「なにを偉そうに、高校生のくせに……」

 一段明るさをしぼった蛍光灯の明かりの下で、真樹と少年は、いつもとあまり変わらない、他愛もないやりとりを交わしながら、時折周波数、あるいはチャンネルを変え、何か情報がないかと気を張り続けた。しかし、どこの放送局も、昼間出ていた国際ニュース、国内ニュースの続報や、どこかの国で大変な難産の末に子供が生まれた、とか、新しい切手が出る、といった、普段なら面白いと感じられる、この場に限って言えばあまり刺激のないニュースばかりで、時間のたつごとに、二人の疲労は高まっていくのだった。

 そして、とうとう日付も一時になって、疲労がピークに達した二人は、いらだち紛れに舌打ちをしてから、もう寝ましょうや、と言いたげな顔で互いを見やり、あらかじめ引いてあった布団の中へ潜りかけたが、その途端、激しいノックの音が真珠堂の玄関先から上がったので、二人は眠気をどこかへ押しやり、そのまま階下へと転げるように降りていった。こんな時間に誰か来るようなあてもないのだが、その時の少年と真樹には、なにか異常なものへのセンサーが、敏感に働いていたのである。

「――どなた?」

「――真樹啓介さんですね。わたしです、鳴虎帆稲荷の浦部つゆりです」

 名前を聞き終わらないうちに、真樹は錠を上げて、ドアを乱暴に開いた。そこには、夢幻と思われたあの夜の、鳴虎帆稲荷の宮司の孫娘、浦部つゆりがボストンバックを片手に、今にも泣きだしそうな顔で控えていたのである。

「あんた、ナホんとこの……いったい、どうしてここがわかったんだい」

 そう真樹が尋ねたところで、張り詰めていた緊張の糸がほぐれたのか、つゆりは手繰る相手のいなくなったあやつり人形のように、静かな裏口の土間に倒れ込んでしまったのだった。

「ま、真樹さん、救急車……!」

「いや、そいつはダメだ。きっとこの子は、単身で自分とナホの危機をオレのところへ伝えに来たんだろうから――」

「じゃ、どうしろってんです」

「決まってるだろ、坂東先生だ。あの人を呼ばないことには、今度の一件は永遠に片付かないぞっ」

 真樹の血相を変えた顔に驚きながら、少年は慌てて電話のほうへ駆け寄り、大急ぎで坂東医院の番号を呼び出すのだった。


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