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霧の八峰山  作者: ウチダ勝晃
第四章 霧影の古社

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12/21

霧影の古社③

 つゆりに見送られて鳴虎帆稲荷をあとにした真樹たちは、疲労感を手土産に宿へ戻り、浴衣へ替えるなり布団へともぐりこんだ。そして、翌朝のお膳に向ううちに、井村がふと、こんなことをつぶやいた。

「真樹さん、変なことを言うようですけど……。昨日、僕らはほんとに、雨宿りをして出て行ったんでしょうか」

「――なんだって」

 お膳に箸をおくと、真樹は羽織の袂へ手を引っ込め、腕を組む井村へ目線を向け、どうかしたのかい、と、そっと聞き返す。

「実は、戻ってから妙な夢を見たんですよ。昨日、僕らは鳴虎帆稲荷の中で、急に吹き込んできた突風にあおられて、戸板に頭をぶつけてしまった……そこで目が覚めたんですけど、ほら、ここのとこ」

 そういって井村が額の髪を上げると、そこには真っ赤に晴れ上がった、小ぶりのたんこぶが一つ、紙の生え際から姿をのぞかせているではないか。

「い、井村くん、君もかい。――真樹さん、実は僕もここに……」

 井村に続いて、卵焼きをつついていた少年も箸をおいて襟足の毛をかきあげた。するとどうだろう、井村ほどではないにしろ、丘のように盛り上がったたんこぶが一つ、毛を押し上げるようにして赤く控えているではないか――。

「真樹さん、いま彼が言ったような夢を、僕も見てるんですよ。いやに真に迫ってて、起きた時もひどい寝汗で気持ち悪かったんだけど……こんなことってあるんですかねぇ」

 二人に顔を覗き込まれ、真樹啓介は返答に詰まった。正直に昨日のことを言うべきか、言わざるべきか。迷った末の真樹の答えは、実にシンプルなものだった。

「二人とも、そいつは夢なんかじゃないぜ。ただ、その事情を話す前に、どうしても約束してもらいたいことがある」

「な、なんですか真樹さん、いやに勿体ぶって……」

 真樹の神妙な面持ちに井村が身構えると、長い付き合いの少年はまあまあ、と言いたげな手つきで彼をなだめて、

「井村くん、真樹さんはどうやら、僕らのご存じない事情を知っているようだ。――お伺いしましょう、真樹さん」

 と、畳の上に置いてあった土瓶から、宿の名物のドクダミ茶をそっと、真樹の湯飲みへと注いでやったのだった。


「――じゃ、つまり、僕らはあの神社にいる、ナホって名前の女に化かされた……ってなわけですか」

 すっかりぬるくなったお膳を前に、井村は興奮ですっかり頬を赤くし、真樹啓介に詰め寄っている。それほどに、今度の出来事は常軌を逸していたのであるから、無理多からぬ話であった。

「にわかには信じがたいけど、このコブがなによりの証拠だもんなぁ。――で、真樹さん、そのナホさんとやらの言う通り、僕らは今度の一件から手ェ引くことになるわけ?」

「いちおう、表面上はな」

「表面上は、ってえと……?」

 小皿のたくあんをかじりながら、少年があぐらを崩しつつ尋ねる。

「ひとまず、明日の朝の列車で、いったん傘岡へ戻ろうとは思う。で、今度は坂東先生も交えて、今後の方策を練るわけだ。そのうえで、今後の進退を改めて決めようじゃないか、というのがオレの提案なんだが、どうかな?」

 真樹の案に、二人はしばらく顔を見合わせて、なんとも決めがたい、という表情を浮かべていたが、そのうちに少年のほうが、

「そうだよ、今度の旅には、坂東先生っていう真樹さんの良き相棒がいなかったんだ。思えば、これが悲劇の始まりだったわけか……」

 と、冗談交じりに前おいてから、それが無難でしょうねぇ、と賛成してみせたので、井村も後にならい、ひとまずは八峰町からの退却がここに決められたのであった。

 そして迎えた翌朝、九時発の傘岡行き快速列車の、来た時とはと違って多少はふんわりとしたクッションに座を占めた三人は、わざわざ見送りに来た宿の主人と窓越しに握手を交わしてから、せかすような発車ベルに、窓のサッシを下ろしたのだった。

「長いような、短いような旅だったねぇ」

 鳴り渡るベルの音に、井村が物憂げな顔をして見せると、売店で買ったあんパンをかじっていた少年が、彼の肩へと手をのせた。

「そうシケた面するなよ、井村くん。これは撤退という名の、明日からの反撃の第一歩なんだからさぁ。むしろこれからが、一番面倒な戦いになるかもしれないんだぜ。でしょ、真樹さん?」

「ま、そういうことになるだろうなぁ……」

 とはいうものの、当の真樹啓介も、井村の気持ちがまるきりわからないわけではなかった。それこそ坂東医師との二人旅ならば、死を覚悟で敵陣へ向かうのだが、未成年である井村と少年がいる手前、そんな無茶ができない、という歯痒さが、真樹の心にうっすらと巣くっていたのだった。

 ――今に見ていろよ。ナホのやつの正体、この手で暴いてやる……!

 カン高い警笛とともに、がくりと動き出した快速列車の窓から、真樹啓介はいつまでも、八峰町の駅前をにらみ続けているのだった。


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