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寄居商店街のめし処・気分屋  作者: 温森文絵
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1話【約束】


 夕陽が沈む時間になると何処からともなく一人二人と店の暖簾をくぐり始める。


「時さん、おでん盛り」

「あいよ」

「ビールもらうよ」

「まいど」


この店にはお品書きなんて上品な物はない。毎日時さんが作りたいものを作って、それを食べたい人が食べて帰るだけの(寄り屋)


 アタシを大事に育ててくれた婆ちゃん。

婆ちゃんが残したこの店を潰せないアタシと、この店が好きな時さんが手を結んで、婆ちゃんの気分屋は今日も灯がともされる……


「要ちゃんは料理しないのか?」

「アタシは食い専だから」

「言い方変えても料理は出来ねんだな」

「……」


ブツブツうるさいオヤジだ。だから四十を過ぎても独身なんじゃ、と顔で笑って心で毒付く。


「お嬢は料理が美味いっすよ」

「時さん食ったことあるの?」

「ええ、去年の誕生日に……」

「マジか、俺はそれ無かったなぁ」


当たり前だ。お客さんは時さんと言う立派な料理人が祝ってくれる。

料理人は自分のためには作らないものだ。


「要ちゃん、なんで店で料理しないの?」

「仕事中、話しかけないで」

「絵本なんか売れてねーだろ」


嫌なことを言う奴だ。だが、いつか世話になる日が来るかもしれない、書店に、棚に、とその日のためにジッと耐える。


「家の本屋に飾ってみる?」

「出版したらねーっ」

「ハハハ、そりゃそうだ」


毎日毎日、よく同じ話で笑えるものだ。


「はい、おでん盛りね」

「待ってましたよーん」

「梅キュウ、どうぞ」

「おでん、梅キュウ、ビールだよなっ」


気分屋は寄居商店街の一角にある。雨の日も傘をささずに通えるアーケード内を便利に使って人々は行き交う。

お客さんは商店街の人が八割だ。

そして、ときどき今日のように新参者が暖簾越しに顔を出す。


「初めてだけど、いい?」

「どうぞ」

「木の感じが雰囲気よくて……」

「ビールは缶だけ、セルフで」

「あ、はい」


その人はカウンターに腰掛けた。

気分屋はカウンターに八人、後ろには畳の小上がり。そこに四人がけテーブル席が二つあるだけの小さな店だ。

アタシはいつもカウンターの一番端っこで絵本を書いている。


書店の文太さんは新参者に興味津々。


「兄ちゃん、どっかで見たなぁ」

「あの、お茶屋の……」

「そうだ、茶助さんの孫だ」

「はい」


茶助さんならよく店に来る。お孫さんと言うことは緑さんの子どもだ。


「休みで爺ちゃん家に来てるのか?」

「……」

「おい、テメーは警察かっ」

「おぅ、茶助さん」


スゥーと入って来てカウンターに腰掛けた茶助さんがそう言った。根掘り葉掘り聞いて尋問みたいだからだ。


「まいどっ」

「どうもっ」


緑さんがやって来た。ちょっぴり深刻なお話をしますよ、と眉間のシワが言っている。


「要ちゃん、久しぶり」

「お久しぶりです……」


さすがに文太さんもこの空気を感じ取ったようだ。おでんに顔をうずめる気か、と言うほど背中を丸めてコンパクトになっていた。


突然、茶助さんのお孫さんは話し始めた。


「僕、僕は辞めたいんだ」

「そうなんだ」

「僕は男じゃなくて……」


緑さんは突然立ち上がると冷蔵庫からビールを二本取り出した。そのうちの一本を茶助さんに手渡しプルタブを開ける。


「はい、父さんカンパーイ」

「おう、お疲れ」


なんだこの流れは、新しい親子喧嘩の形か。


「聞いてる? 男を辞めたいんだ」

「男男って、アホらしい」

「爺ちゃん、真面目に聞いて」


自分は男じゃない、と言う主張をしているようだ。


「辞めたら……」

「母さん、いいの?」

「玄の人生をアタシが決めるの?」

「だって……」


玄くんは緑さんがあまりにもあっさりと認めてくれたことに呆気にとられていた。


「約束しただろ」

「……」

「生まれて来たら守るって」

「そのとき、腹ん中じゃ……」

「約束は約束だ」


緑さんらしい受け答えに子ども時代が蘇る。

緑さんは女ながらに寄居小学校の親分だった。


正義感をブンブン振り回して子分を連れて歩くようすがアタシの記憶に残っている。


中学生になるとさらに力を増して、泣く子も黙る、イジメっ子も泣かす裏番長に格上。


やる事なす事正しくて先生方にも一目置かれる存在だった。


「で? 何が言いたいの」

「お、女の子になりたい」


「プゥーッ、ゴボゴボッ、はぁ?」


コンパクトになりきれず聞き耳を立てていた文太さんがビールを吹き出した。


「汚ねぇーなぁ、吹き飛ばしやがって」

「だってよー」

「なんでお前が吹き出すんだよ」

「茶助さん、女の子ってよー」

「黙ってやがれ」


緑さんは笑っていた。

女手一つ、頑張って育てた息子が自分は女の子として生きたいんだ、と言う意志を伝えてきた……


緑さんは、ケタケタと笑いながら新しいビールを取りに行く。


「はい、ツマミ」


時さんが緑さんの前にワカサギの天ぷらと大根おろしを置いた。


「サンキュー」


アツアツの天ぷらを口の中で転がしながら美味しそうに食べている。


グイッとビールを飲み干すと、空き缶を片手でグチャグチャに握り潰す。


「母さん、ごめん……」

「なんで謝る」

「期待外れの子だから」

「期待なんか最初からしてない」


玄くんは悲しそうな、いや、心配そうな弱々しい目で緑さんを見ている。


「母さん……」

「ん?」


緑さんはぼんやりと一点を見つめて考えごとをしているようだった。


「ごめん……」


玄くんは緑さんが衝撃を受けていると思い込んでいる。

傷付けてしまったと思い込んでいる。


親の心子知らず、とはよく言ったもんだなぁ、と思う。

緑さんは傷付いたりしない。

それはそれは強いメンタルを持っている人だ。


突然、パチンッ、と両手を合わせて叩く大きな音が鳴り響いた。緑さんはひらめいた、と言う顔をしている。


「茶美、チャーミングな女の子と言う意味」

「なんだよ、俺と間違えるだろ」

「茶助と茶美を間違えるヤツいる?」

「茶子、チャコがいいんじゃねーか」

「茶助と茶子は間違えないの?」

「間違える……か?」


緑さんは名前を考えていたようだ。茶助さんも加わって玄くんの改名について話し合っている。


「母さん、爺ちゃん……」

「どうよ、茶美」

「母さん……」

「アホ、女は度胸、メソメソすんな」


(女は、愛嬌です)


ほろ酔い気分の緑さんは言った。


「アタシはアタシの子を生んだだけ」


 緑さんを横目に茶助さんが言う……


「玄、茶美ならそれもいいが」

「わかってる、母さんを大事にする」

「頼むぞ……」


茶助さんは玄くんの親が許すなら、それ以上は言わないが、けして無傷ではない母さんの気持ちを忘れるな、と釘を刺す。


茶助さんもきっと複雑な思いを胸にしまい込んだに違いない。


親子とは面倒くさいものなんだなぁ、と感じたが、その存在の価値を知らないアタシは婆ちゃんと二人で良かった、などと思う。


今夜はやけに婆ちゃんを懐かしんでしまう。


「お嬢、絵本が書けそう?」

「うーん、約束、とか?」

「いいっすね」

「売れねーなっ」

「文太さんまだいたの?」


【 約束 】

生まれくれって頼んだの

生まれて来たら守るから

ママは何も望まないから

ただ元気でいてくれたら

ただ笑ってくれていたら

男の子生んだ訳じゃない

女の子生んだ訳じゃない

ママはあなたを生んだの

ママはどんなあなたでも

幸せにすると約束をする


「いい感じっす」

「そう?」

「売れねーなっ」


緑さんは昔も今も変わらない、やっぱり、大親分だ。


( 守るって約束したんだよねぇ……)

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