9.作戦準備③
フュルテゴットが歌ったのは、この国で古くから歌われている歌謡曲だった。
おとぎ話が元になっていて、その内容は、美しいお姫さまがいて、悪い魔物にさらわれ、それを勇者が助けた、というありふれたもの。そして、この曲はそのおとぎ話を元に作られた、お姫さまと勇者のラブソングだ。
のびのびと響く、男の人にしては高音な歌声。
明るい曲調や歌詞のところは明るく楽しげに、切ない想いを歌ったところは切なく震えるように、そのときの感情が、歌に乗って伝わってくる。
高音も低音も綺麗に聞こえる。なにより、ビブラートがすごく綺麗だった。
これが本当にあのフュルテゴットの歌なのだろうか。
そう疑いたくなるくらいに、彼の歌は素晴らしかった。なぜ騎士をやっているんだろう、と思ってしまったくらいだ。
歌い終わると、思わず拍手をした。
カールハインツも同様に拍手をしていて、たまたま聞いていた周りの騎士たちも拍手を送った。
それにフュルテゴットは照れた様子もなく、「どうもどうも」といつもの調子で明るく手を振った。
「……で。どうだった、俺の歌?」
「……悔しいですが……すごく、すごく素敵でした……!」
「そうでしょそうでしょ。なんで悔しいのかがちょっと気になるけど」
にこにこと楽しそうに話すフュルテゴットは、今歌っていた人物と同一とは思えない。
こういう性格でなかったら、もっと感動できたのだろうな、とマリーは残念に思った。もったいない。性格で損している。
「……ねえ、今、すごく失礼なこと思わなかった?」
「さあ、なんのことでしょう」
鋭いフュルテゴットに内心ぎくりとしつつ、マリーはにっこりと笑って誤魔化す。
(……これなら、わたしの作戦通りにいけそう。あとは、彼をどう説得するかだわ)
「まあ、それはどうでもいいけど。頑張った俺にご褒美をちょうだい」
「……わかっています」
「マリー嬢……」
心配そうなカールハインツに、マリーは大丈夫だと頷く。
そして、フュルテゴットに向き合った。
「キスをすればいいんですよね?」
「そうだよ」
「では、遠慮なく」
マリーは背伸びをし、フュルテゴットに──フュルテゴットの頬に、キスをした。
そしてすぐにフュルテゴットから距離を取り、にこりと笑う。
「キスしましたよ」
口にキスしろとは言われていないのだ。頬にするのだってキスには違いない。
胸を反らし、どうだ、と言わんばかりに言ったマリーに、フュルテゴットは悲しげに眉を落とす。
「……うーん……まあ、想像通りか……」
でも、ちょっと残念、とフュルテゴットは笑う。
マリーはにこにこと笑うだけに留めた。
「これで君は満足したのかな?」
「ええ、大満足です。これで、やっと本題に入れます」
「本題……?」
「きっとフュルテゴットさまにとっても、悪い話ではないと思います。聞いていただけますか?」
「……なんか面白そうじゃん。いいよ、聞く。どんな話を聞かせてくれるのかな」
にやりと笑ったフュルテゴットに、マリーは自分の考えを伝えた。
フュルテゴットはそれを聞いて、目を大きく見開いた。
「そういう発想はなかったな……」
「でしょう? 実現できたら、すごく目立つと思います。きっと陛下も気に入ってくださる。だからどうでしょう。わたしの話に乗ってみませんか?」
「……俺、今年はダンスをやろうかなと思っていたんだけど……やめた。君の提案の方が数倍面白そう。君の……──マリーちゃんの話に乗った!」
「ありがとうございます! 頑張って成功させましょう!」
バチン、とマリーとフュルテゴットはハイタッチを交わす。
そして詳しい話は二日後に、ということを伝え、マルクスと約束した場所に来てほしいと言うと、フュルテゴットは二つ返事で頷いた。
ひとまず大きな問題は解決した、とマリーはほっとし、そろそろ帰るとフュルテゴットに言ってカールハインツと帰ろうとしたとき、
「マリーちゃん!」
とフュルテゴットに呼び止められ、マリーは背後を振り向いた。
するとフュルテゴットが近づいてきて、なんだろう、とマリーが首を傾げると、フュルテゴットの顔がマリーに近づいてきた。
あと少しで触れる──というところで、カールハインツに引っ張られ、間一髪でキスされるのを免れた。
「な……なにするんですか!?」
「ちぇー、残念。別れの挨拶をしようとしたんだけど」
「別れの挨拶……?」
そんな挨拶は知らないし、絶対普通じゃない。
マリーが顔を真っ赤にすると、フュルテゴットは「顔赤くしてかわいいー」と笑う。
(絶対この人、わたしをからかって遊んでいる……!)
歌声は最高だけど、性格が最悪だ。
マルクスとは大違い。
「フュルテゴット……! お遊びがすぎます!」
「そんなに怒るなよ、カール。ちょっとした冗談だって」
抗議するカールハインツに、フュルテゴットは本当にする気はなかったし、と言うが、それも本当かどうか疑わしい。
疑いの目を向けるマリーとカールハインツを気にすることなく、フュルテゴットは明るく「それじゃ、ばいばーい」と手を振る。
フュルテゴットに見送られ、彼の姿が見えなくなったところで、マリーはぽつりと言った。
「カールに来てもらって正解だったわ……」
「悪い人ではないんですが……いかにせよ、いたずら好きのお調子者なので……」
苦笑したカールハインツにマリーも同意する。
確かに、悪い人ではない。だが、決して良い人でもない。
(フュルテゴットさまと会うときは、絶対に一人にならないようにしよう)
マリーはそう心に決めた。
そしてなんだか、無性にマルクスに会いたくなった。
(ああ……マルクスさまに会いたい。あの穏やかな笑顔で心癒やされたい……キスも、マルクスさまにだったら喜んでどこにでもするのに……)
──初めてのキスは、マルクスとがいい。
そんなことを思い、マリーは一人慌てた。
(わたし、なんてことを……! マルクスさまとそんな関係になるなんて、恐れ多いし……そしてなにより、そんなふしだらなことを考えてはだめ!)
一瞬、頭の中に浮かんだ映像を消し去り、マリーは意識を切り替えた。
今はそれよりも、マルクスの悩みを解決することが優先だ。明日はやらなければならないことがたくさんある。
そのことを考えて、マリーはふしだらな考えを必死に追い出したのだった。