5.マルクスの悩み①
マリーはその翌日も、その次の日も同じ場所でマルクスを待った。マルクスもマリーのことが気になるのか、毎日顔を出してくれ、マリーの毎日は輝いている。
相変わらず悩みについては教えてくれないけれど、マルクスを笑顔を見る回数が増え、徐々に打ち解けてきている気がした。
マルクスとこっそりと逢瀬を重ねるようになって、もうすぐ一ヶ月。
マルクスは服が好きだ。流行のデザイン、これから流行りそうな生地や素材、腕の良い仕立屋などなど、服に関する話を持ちかけると、目を輝かせて話をしてくれる。
穏やかな彼は服の話になると、とても熱かった。本当に服のことが好きなんだな、と感心するのと同時に、眩しく感じた。
「マルクスさまは本当に服がお好きなんですね」
感心してそう呟くと、マルクスは顔を赤くし、申し訳なさそうな顔をする。
「……すみません。服のことになると止まらなくなって……つまらないですよね」
「いいえ、そんなことはありません! マルクスさまのお話はすごく勉強になりますし、とても楽しいです」
にこにこと笑顔で答えると、マルクスは少し目を見開き、やがてふわりと笑って「ありがとうございます」と言った。
その笑顔に、胸がきゅんきゅんとする。
少し前までは遠目で見るだけだったマルクスの笑顔──それが今はマリーが独り占めしているのだ。すごく幸せで、夢のような時間。
もしかしたらこれは自分が見ている都合の良い夢なのでは……と何度も疑い、そのたびにこっそり手の甲を抓ってこれが現実なのだと実感する──という行為を、ここ最近何度も繰り返していた。
「あなたはとても優しい人ですね」
「そんなことは……マルクスさまの方がお優しいです」
心からそう思って言ったのだが、マルクスはお世辞と捉えたようだった。
実際、マリーは優しいわけではない。基本的に末っ子気質で我が儘だし、打算まみれだ。誰かに優しくしようと思って行動したこともなければ、気を遣うこともしない。
そんな人間を果たして優しいと言えるだろうか。少なくともマリーは言えないと思う。
「ああ……もうこんな時間だ。そろそろ戻らなければ……」
「まあ、残念です」
もっと話をしていたかったのに、と別れ際にはいつも思う。
マルクスには仕事があるのだから仕方ないとわかっているが、マルクスと過ごす時間は幸せで、あっという間に過ぎてしまう。興味のないことや嫌なことがあるときは、その時間が永遠のように長く感じるのに、この差はなんだろう。時間の進み方が違うのでは、と疑いたくなる。
「不思議ですね。あなたとお喋りをしていると、時間があっという間に経ってしまいます」
そう言ったマルクスに、マリーの胸は高鳴った。
(マルクスさまも同じように思ってくださっていたなんて……! 幸せすぎて死んじゃいそう……! 今なら死んでも悔いはないかも……!)
大興奮している内心を押し隠し、マリーは嬉しそうに微笑んでみせる。
「まあ……! わたしも同じ気持ちです」
「そうですか。なんか、嬉しいな」
くすぐったそうに笑うマルクスに、マリーの頭の中はお祭り騒ぎになる。
嬉しすぎて、マリーはニヤニヤしてしまうのを堪えきれなかった。
しかし、いきなりニヤニヤし出したら気味悪がられる可能性が高い。そのため、すぐに口元を隠した。
なんとかニヤニヤを抑えることができたマリーは平静を装って、ずっと言おうと思っていたことを口にする。
「あの、マルクスさま。ずっと言おうと思っていたのですけれど……どうかわたしのことは『マリー』とお呼びください。それに……もっと砕けた話し方をしていただけたら、と……」
「……いいのですか?」
「はい。マルクスさまにそう呼んでいただけたら、その……とても、嬉しいです」
少し照れくさくなって、台詞の最後の方は小声になってしまった。
しかし、きちんとマルクスには聞こえていたようで、マルクスは生真面目に頷き、少し照れた声音で「……マリー、さん」と呼んだ。
ここで呼び捨てにしないところが、マルクスらしくて良い。そしてなにより、マルクスに名前を呼んでもらって、マリーは最高に幸せだった。
嬉しくて、マリーは満面の笑みを浮かべて返事をする。
「……はい!」
「じゃあ、僕はそろそろ仕事に戻るから……」
「はい。お仕事、頑張ってくださいね」
「ありがとう」
マルクスは優雅に騎士の礼をし、「では、また明日」と言って去って行く。
その後ろ姿が見えなくなるまで、マリーは見送った。
「また明日って言ってくださった……! ……はあ……マルクスさま、好き……尊い……」
そんな呟きが思わず溢れてしまうほど、マリーは幸せの絶頂にいた。
◇◆◇
「最近のマリーはご機嫌だね」
久しぶりに会った妹に、コンラートはそう言った。
マリーはにこにこして「はい」と答える。
「マルクスとは順調なんだね」
「ええ! やっと『マリー』と呼んでいただけるようになりました」
両頬に手を当てて、にやけるのを押さえた。
幸せいっぱいといった雰囲気のマリーに、コンラートも微笑む。
「それは良かった。そういえば、そろそろ恒例の騎士たちの催し物の受付が準備が始まる頃だな……マルクスも準備に追われて、忙しくなるかもしれない」
「まあ……そういえば、そんなものがありましたね」
マリーの父である国王は、娯楽に目がない。
新しい遊び、催し物が行われるたびに、それがどういうものなのかを詳しく知りたがる。知るだけで満足すれば良い方で、こっそり見に行ったり、王宮へ呼んで実際にその催しをさせたりすることも少なくない。
そんな国王は、建国記念日に夜会を開いている。その夜会で王宮に勤める騎士たちに一芸を披露させる催しを毎年行っていた。その中から国王が優れていると認められた者には、豪華な報酬が施される。そのため、騎士たちは国王に認めてもらうために、剣の腕前以外にも、楽器の演奏やダンスなどの一芸を磨くことに必死だった。
マリーはそんな騎士たちを、毎年遠目で眺めるだけだった。
社交界デビューをしていないマリーは夜会には参加できない。だから、こっそりと眺めていた──もちろん、マルクスの勇姿を見るだけのために。
「マルクスさまは毎年、剣舞を披露されていますよね。とても華麗で素敵な演目でした……」
「……うん、なぜマリーが実際に見ているかのように言っているのかが気になるところだけど……まあ、マリーの言う通りだね」
「今年も剣舞をされるのでしょうか。どんな剣舞を披露してくださるのかしら……ああ、楽しみ……!」
今年はどんな演目でしょう、とマリーは虚空を見つめ、うっとりする。
マリーの脳内では、マルクスが華麗に舞っている姿がありありと浮かんでいる。まるで羽が生えているかのように、軽やかに舞うマルクスの姿が。
そんなマリーの様子にコンラートは少し引きつつ、答えた。
「……いや……今年は剣舞じゃないと思う」
「え? そうなのですか?」
「ああ。去年マルクスは陛下に──父上に、『そなたの剣舞は見飽きた。来年は違う芸を用意せよ』と言われていたから……」
「まあ……! お父さま、なんて酷いことを……! でも、マルクスさまの剣舞以外の芸を見られるなんて、お父さま、なんて素晴らしい提案をしてくださったの……!」
「怒るか褒めるかどちらかにしようね、マリー……」
怒ったり褒めたりと忙しいマリーに、コンラートは疲れたように言う。
そんなコンラートにマリーは困った顔をする。
「マルクスさまに酷いことを言ったお父さまは許せないけれど、マルクスさまに剣舞以外の芸をせよとおっしゃったお父さまは最高だと思います。だからわたしの心境はとても複雑です……」
「そ、そう」
今度は完全に引いてコンラートは答えた。
そんなコンラートの様子を気にせず、マリーはにこにことして言った。
「どちらにしても、マルクスさまがどんな芸をされるのか楽しみですね、お兄さま」
「……そうだね。それには同意するよ。ただ──」
「『ただ』?」
不思議そうに首を傾げたマリーに、コンラートはゆっくりと首を左右に振り、「……なんでもない。気にしないでくれ」と答えた。
マリーはコンラートがなにを言いかけたのか気になったものの、ここで追求してもコンラートが答えてくれないことはわかっているので、深くは追求しなかった。






