3.マリーの決意
マルクスから逃げ出し、部屋に戻ったマリーは、そのままベッドにダイブした。
そして顔を両手で覆い、ベッドを転がった。
「……恥ずかしい……! わたし、マルクスさまになんてことを……!」
先ほどの自分の台詞を思い出し、顔から火が出そうだった。
勢い余って告白してしまったことはもちろんのこと、言い逃げしてしまったのはまずかった。きっとマルクスはマリーのことを変な子だと思ったに違いない。いや、それどころか嫌われてしまった可能性も高い。
マリーが思い描いていたマルクスとの逢瀬は、もっと朗らかなものだった。
マルクスの好きな物は調べてある。だから、自然にそのことを話題にして、二人で和やかに笑い合ってお喋りを楽しむ──そのはずだったのだ。
それがどうしてこうなってしまったのか。まったくもって謎である。
(本当にどうしてこうなってしまったの……って、ああ!! わ、わたし……マルクスさまに名乗るのを忘れていたわ……絶対、マルクスさまに怪しまれている……)
あり得ない失態ばかりで、落ち込む。
憧れのマルクスとの、初めての逢瀬だったのに。
マリーは別にマルクスとどうこうなりたい、とはほんの少しも思っていない……とは言い切れないが、ただマルクスとお喋りをしてみたかっただけだった。
マルクスの優しい笑顔を、マリーにも向けてほしかっただけだったのだ。
それが、自分の失態のせいで台無しになるどころか、むしろマルクスのマリーに対する印象は最悪だろう。これでは次の機会があったとしても、優しい笑顔を向けてもらえるとは考えにくい。
はあ、と王女らしからぬ深いため息をついたとき、控えめに声をかけられた。
「……あの、エルヴィーラさま。王太子殿下がお見えになられておりますが……いかがなさいましょう?」
「お兄さまが? いいわ、お通しして」
「かしこまりました」
マリー付きの侍女であるリーザは一礼して、兄を部屋に招くために出て行く。
のそりとベッドから起き上がり、少し乱れた髪と服を手で整え、兄を迎えるべく寝室から出た。
ちょうどそのとき、コンラートが部屋に入ってきた。
「やあ、マリー。ご機嫌は……麗しくないようだね」
どんよりした顔のマリーを見て、コンラートは苦笑する。
表情と同じくどんよりとした口調で「どうぞ、お座りになって」と兄に席に座るように勧める。
コンラートは洗練された仕草で席に座るのを見るなり、恨みがましくコンラートを睨んだ。
「……なにをしにいらっしゃいましたの、お兄さま。落ち込んでいるわたしを笑いにいらしたの?」
「まさか。私はマリーが落ち込んでいることをここへ来て知ったんだ。それに、妹が落ち込んでいるのを見て喜ぶ趣味は私にはないよ」
「……知っております」
コンラートは、優しい。
だからつい意地悪なことを言って、優しい兄に甘えてしまうのだ。
「ごめんなさい、お兄さま。八つ当たりしてしまいました」
「そうやってすぐに謝れることは、マリーの長所だよ。それに、妹に甘えられるのはやぶさかでないからね」
「お兄さま……」
爽やかに微笑む兄に、マリーは瞳を潤ませる。
「お兄さま──まさか、ドエムだったのですか?」
「…………なんでそうなるのかな」
引きつった笑みを浮かべるコンラートに涼しい顔をして、「冗談です」と答える。
「……まあ、いい。それで、マルクスとはどうだった? マリーの様子を見る限り、あまり喜ばしい報告は聞けなさそうだけど……」
「……はい。わたし、失敗してしまいました……マルクスさまに嫌われてしまったかもしれません……」
ポツリポツリと、先ほどのマルクスとのやりとりをコンラートに話した。
こうして改めて話すと、いかにマリーが変な言動をしていたかを実感し、余計に落ち込む。
「なるほど……うん、マルクスらしいな」
話を聞き終えたコンラートはそう言って微笑んだ。
マリーの兄、コンラートはエクスナー王国の王太子である。正式な名をコンラート・ヨルダン・ヴィーラント・エクスナーという。
そして、マリーの正式な名はエルヴィーラ・アンネマリー・マリーア・エクスナーである。
マリーというのは愛称で、ミドルネームの「マリーア」からとったものだ。だから家族は皆、「エルヴィーラ」ではなく「マリー」と呼ぶ。
ちなみに兄は、父と母には「ヴィー」と呼ばれ、マリーは「ヴィーお兄さま」と呼んでいる。
このミドルネームは家族しか知らない名であり、人に名乗るときは省略するのが王家の慣例だ。
コンラートとマリーの母親は違う。コンラートの母はコンラートを産んですぐに儚くなった。その後妻として嫁いだのがマリーの実母だ。
コンラートとマリーの年の差は七つ。コンラートはマルクスと同年齢であり、マルクスの主でもある。だから、コンラートはマルクスのことをよく知っているのだ。
「わたし……どうすればいいのか……明日も来ますと言ってしまったけれど、マルクスさまに会わせる顔がなくて……」
「……そうだな……」
兄は腕を組み、少しの間考えたあと、マリーをじっと見つめた。
「マリーはどうしたい?」
「……え?」
「このままマルクスと会わないでいても平気なのかな。誤解されたまま、もうマルクスと会わないでいる?」
「……それは、嫌」
「ならば、マリーが取る行動は一つだ。明日もマルクスに会う。それしかないだろう?」
コンラートのその問いかけに、目の前にあった靄がぱっとされたような心地がした。
(そうだわ……このまま会えなくなるのは嫌。それに、マルクスさまがなにに悩まれているのかも気になる……一方的にだけれど、約束をしたのですもの。それを反故するなんて絶対にだめ)
──もう一度、マルクスに会おう。
そう決意し、兄を見た。
「ありがとうございます、ヴィーお兄さま。わたし、決心がつきました。明日もマルクスさまに会いに行きます。たとえマルクスさまが来られなくても、時間いっぱい、会えるまで待ちます」
「……うん、迷いが晴れたようで、良かった。頑張れ、マリー」
「はい!」
元気に返事をしたマリーに、コンラートは微笑ましそうに目を細めた。