17.マルクスたちの演目
最初のフレーズは、フュルテゴットのアカペラから始まった。
フュルテゴットの綺麗なのびのびとした高音の歌声が、会場に響き渡る。
フュルテゴットのアカペラが終わると、楽曲の演奏が始まる。
そして次のフレーズはマルクスの優しい歌声で、場の雰囲気が和らぐ。
この歌詞は、勇者が生まれた村を旅立つところ。
明るく、希望に溢れた一場面を想像させるような、そんな明るい歌声だった。
次からは、二人で一緒に歌う。
ここからは、ダンスも入る。
仲間と一緒に旅をして、泣いて笑ってときには喧嘩をして、成長していく──そんな場面を彷彿させる踊りを、二人は息ぴったりに踊る。
激しい振り付けもあるにも関わらず、二人の歌声が揺らぐことはなかった。
サビの部分に入ると、二人の歌声が高音と低音に別れ、それがきれいなハーモニーを生み出していた。
鳥肌が立つくらい、すごく綺麗な美しい歌声。まるでどちらが目立つか競うように歌っているようで、それが歌詞の内容とも合っていた。
マルクスたちが踊るたびにきらりと雫が輝く。
それはマルクスたちが全力でやっていることのなによりの証拠で、そんな二人をマリーは眩しく感じた。
歌って踊っている二人の顔は、笑顔だった。
最初の練習では疲れが思い切り顔に出ていて、マリーはよく「笑顔が抜けていますよ!」と怒ったものだ。
それに対しフュルテゴットは「笑顔でいるとか無理無理! だってすっげえきついもん!」と抗議をし、マルクスは力なく笑っていた。
そんな二人にきついときこそ笑顔でいるべし、とマリーはよく説いていた。
(あんなにキツイキツイっておっしゃっていたのに……今のお二人は作り物の笑顔ではなく、とても楽しそうな笑顔だわ。心から楽しんでいらっしゃるのね)
二人が楽しんでくれていることが、なにより嬉しくて、自然とマリーまで楽しくなってくる。
そして、物語は終盤へ。
いよいよ魔王との戦いの場面を迎える。ここでは先ほどよりもより激しい振り付けになる。
そして恐らく、マルクスたちが振り付けにアレンジをしているのは、ここだ。
ここにはマリーには実演できなかった、もっと激しい動きを取り入れているはずだとマリーは予測しており、その予想は外れなかった。
間奏に入ると、二人同時にくるりと背後に一回転からの側転。そしてまた一回転をし、最後に後ろ宙返り──あまりの激しい動きと、息の合った動きに会場中がどよめく。
マリーも思わずぽかん、と見惚れてしまった。
この動きは、一回も見たことのない動きだった。
(当日の楽しみってこれのことだったのね……! 事前に聞いていたところで驚いたことに変わりはないだろうけれど、驚きは半減したかもしれないわ)
すごい、とマリーは目を輝かせた。
あんなに二人の顔を見るのが気まずかったのに、今はもう二人から目が離せない。
それはきっと、この会場にいる人、皆同じだろう。
ラストは勇者は無事に魔王を倒し、そのお礼にお姫さまと結婚できました、という場面。
『姫、ぼくと結婚してくださいますか?』
『ええ、よろこんで!』
その台詞がそのまま歌詞になっている部分だ。
そして物語は大団円を迎えるのだ。
夢中になって二人を見ていたマリーはその歌詞の前に、ふとマルクスと目が合った。
どきり、とマリーの心臓が音を立てると、マルクスは魅惑的な笑みを浮かべて、あの台詞を優しく歌い上げる。
「『姫、ぼくと結婚してくださいますか?』」
まるでマリーが言われているような──そんな錯覚に囚われ、マリーは首を横に振る。
そんなもの、気のせいだ。だって、マリーはマルクスにずっと嘘をついていたのだ。だからそれはマリーの都合の良い解釈で、実際は誰に向かって言ったものではない。
マリーはそう言い聞かせて、高鳴る心臓を鎮まるように深呼吸をする。
「『ええ、よろこんで!』」
フュルテゴットが明るい高音で歌い上げ、二人は一緒に最後の部分を歌う。
そして最後は、マリーの大好きなマルクスの歌声で、締められた。
「こうして、皆、末永く幸せに暮らしたのでした──」
そうマルクスが歌い上げ、マルクスとフュルテゴットが頭を同時に下げると、わあっと歓声が沸き起こった。
そしてどこからともなく拍手が巻き起こり、二人は戸惑った顔をしていたが、やがて二人でにっこりと笑い、ハイタッチをした。
そんな二人の姿を見て、令嬢方から黄色い悲鳴があがる。
「ほう……今のは楽しかったなあ!」
「ええ、そうですね。見ていて飽きませんでしたわ」
「これを考えた者は素晴らしい。勲章を授けたいくらいだ」
横で父と母がそう褒め称えていた。
それを聞いていたコンラートが意味ありげにマリーに視線を送り、マリーは小さく肩を竦めた。
(……これ考えたのわたしです、お父さま……と言ったらどうなるかしら……「では、来年の騎士の催しはマリーに考えてもらおう!」とか言い出しそうだわ……それはそれで面倒だから黙っていよう……)
父が気に入るだろうとは思っていたが、勲章を授けたいとまで言い出すとは思わなかった。
これを考えたのがマリーだということは、絶対黙っていようと誓った。
「……成功して良かったね、マリー」
目を細めて微笑むコンラートに、マリーも同じように微笑み返す。
「ええ、本当に。……これでわたしの役目は終わりました」
たくさんの人たちに褒められているマルクスたちを見て、誇らしかった。
けれど同時に、本当に終わってしまったのだな、という実感も生まれて、寂しくもあった。
きっと、これでもう、マルクスのことを地味だという人はいないだろう。
マルクスの魅力を知ってもらって嬉しいと思う。
だけど、これで完全に──マルクスとの関係は、終わってしまったのだ。
俯いたマリーになにを思ったのか、コンラートは立ち上がった。
「これにて、今年の騎士たちによる催しは終了とする! 陛下にはどの騎士が優秀だったかをご判断していただくまでの間、各自、楽しんでくれ!」
声を張り上げてコンラートはそう宣言する。
そして父と母に向かってなにかを言ったあと、マリーの手を引いた。
「お兄さま……?」
「踊ろう、マリー。今日はおまえのお披露目の日でもあるのだから、皆におまえの顔を知ってもらわなければ」
「でも……」
「体を動かせば気分転換にもなる。さあ、行こう?」
「……はい」
マリーはコンラートに手を引かれるがままに、ダンスホールへ下りる。
すると、二人に気づいた人々がそっと道を作り、ホールの真ん中に辿り着く。
それを確認したのか、ゆったりとした音楽が流れ始め、マリーとコンラートは踊り出す。
こうして注目されて踊るのは初めてだ。
しかし、兄とは何十回……いや何百回と踊っていることもあって、兄に任せれば大丈夫だという安心感から、マリーはさほど緊張せずに踊れている。
「マルクスとフュルテゴットの演目……あれは素晴らしかった。マリーから大体の内容は聞いていたけれど、実際に見て、改めて素晴らしいと思ったよ。二人とも楽しそうだし、見ている人皆が楽しそうな顔をしていた」
コンラートは皆に聞こえないくらいの声の大きさで、先ほどのマルクスたちの感想を言った。
それを聞いて、マリーは少し落ち込んでいた気持ちが吹き飛び、誇らしくなって胸を反らす。
「そうでしょう! マルクスさまたちの魅力が最大限に活きる、素晴らしい催しだとわたしは確信していましたもの! まさかあそこまで激しい動きを入れるとは思っていませんでしたけれど……良い意味でわたしの想像を裏切ってくれました。お二人が毎日努力した集大成ですね」
「うん、そうだね。あれは一昼夜でできるようになるものではない。地道に練習を重ねているのと、二人の息が合わなければ、あそこまで素晴らしいものにならなかったと思う」
「ええ! 本当に息ぴったりでしたね!」
にこにことはしゃぐマリーを、コンラートは優しい目で見つめる。
そして、ふとどこかを見た。兄はいったいどこを見ているのだろう、とマリーが兄の視線の先を追う前に、コンラートが話しかけてきた。
「あれはマリーが頑張った結果でもあるね」
「わたしですか……? いえ、わたしなんて、こうしたものはどうですかと提案しただけで、なにもしていません。成功したのは、お二人が頑張ったからこそです」
「二人が頑張ったというのももちろん大きいけれど、マリーがこの提案をしなければ、二人は別の演目をしていたんじゃないかな。だから、マリーもこの演目を大成功に収めた立役者だよ」
「お兄さま……」
そういうふうに言ってもらえて、嬉しい。
泣きそうになるのを堪え、ありがとうございます、と告げたマリーに、コンラートはにっこりと笑う。
「──そんな陰の立役者であるマリーに、私からのご褒美だ」
「え……?」
いったいどういう意味か、とコンラートに聞こうとすると同時に、音楽が止まった。
そして──。
「──王女殿下」
聞きなられてしまった、優しい声がすぐそこで聞こえた。
しかし、その呼び名は聞き慣れない名称で、マリーは怖々と声のした方を振り向く。
そこには少しぎこちない表情の、マルクスが立っていた。
「マル、クスさま……」
──どうしよう。なんて謝れば……。
マルクスに夜会で会ったら、謝ろうと台詞を考えてきていたはずだった。
しかし、その台詞が全部吹き飛んで、頭は真っ白だった。
「王太子殿下、王女さまと次に踊る権利を、ぼくに譲ってくださいませんか?」
「もちろん、いいとも」
「お、お兄さま……!?」
勝手に許可を出さないでほしい。
抗議の目を兄に向けても、兄はにこにこと笑みを浮かべるだけで、堪えた様子はなかった。
「……王女殿下。ぼくと踊っていただけますか」
マリーにひざまずき、許しを請うマルクスに、マリーがノーと言えるわけもなく。
「…………はい」
マリーは観念して、兄の企み通りにマルクスと踊ることしたのだった。




