14.はじめてのデート②
マリーはその日、いつもよりも早く目が覚めた。
今日はマルクスとのデートの日──興奮して、目が覚めてしまったらしい。
まるで子どものような自分に苦笑しつつ、再び眠ることもできるずにマリーは起き上がり、支度を整えることにした。
街へ行くからには、それに相応しい格好をしなければならない。
そしてなにより、あのお洒落なマルクスと出かけるのだ。下手な格好はできない、とマリーは入念に街の服装の流行を調べ、自分に似合いそうなものを見繕った。
マリーは兄とは違い、薄い茶色の髪をしている。髪質は兄と同じで、さらさらとした真っ直ぐな髪で、そこは気に入っている。そして、瞳は兄とお揃いのマリンブルーである。
母親が違うためか、マリーとコンラートの顔立ちはあまり似ていない。
コンラートは凜々しい雰囲気のある整った顔立ちの好青年だが、マリーは控えめな雰囲気の可愛らしい少女──と言えば聞こえがいいが、実際は地味な顔立ちをしているだけである。
可憐な雰囲気があると言われるマリーだが、口を開けばそのイメージは吹き飛ぶ。そのギャップがマリーらしくて良いと思う、というのはコンラート談である。
そんな自分の容姿を客観的に見つめ、自分に似合いそうな服、似合いそうな色を厳選した。
そしてマルクスの隣に立つ自分を想像し、それで大丈夫なのかとシミュレーションを繰り返し、選んだのは淡い黄色のワンピースだった。
ふんわりとしたシルエットのものと、白い丸襟のブラウスを選んだ。それに編み上げブーツを合わせれば、『良いとこのお嬢さんのお忍び風』衣装が完成だ。
鏡で自分の服装を確認し、イメージ通りの出来になったと満足する。
そんなこんなとしている間に、マルクスとの待ち合わせの時間が近づいてきた。
マリーは誰にも見つからないようにこっそりと部屋から抜け出し、マルクスとの待ち合わせの場所へ向かう。
マルクスとの待ち合わせは、街の中でも王宮寄りの入り口付近にある時計台の前だった。
この時計台は大きく、街のシンボル的存在だ。一番上には大きな鐘がついていて、お昼と夕方に二回ずつ鐘を鳴らす。その鐘の音に合わせてお昼休憩をしたり、仕事を上がる人たちもたくさんいるのだとか。
軽い足取りで歩くマリーの少し後ろを、カールハインツが付いてきていることは確認済みだ。
ちなみにカールハインツが街へ行くのは、建国記念日に行われる王族のパレードの下見、という名目である。騎士たちを付けるのは、そのときの警備の確認を一緒に行うため、ということらしい。
優秀なカールハインツは、マリーのこの我が儘を利用し、仕事も片付けるつもりのようだ。
そんなカールハインツに、マリーはさすがと関心すればいいのか、仕事のし過ぎと呆れればいいのか悩み、結局、頑張ってねと言った。
あとは、カールハインツに付けられていることにマルクスが気づかないかどうかだが──。
(……まあ、大丈夫でしょう。カールの存在感のなさには定評があるし)
付き合いの長いマリーですら、カールハインツの存在に気づかないことが多々あるのである。
いくら優秀なマルクスといえども、カールハインツの存在には気づかないはずだ。多分きっと恐らく。
(カール……わたし、あなたの存在感のなさを信じているわ!)
そんな失礼なことを思っているうちに、待ち合わせ場所に着いた。
待ち合わせの時間よりはだいぶ早く来てしまった。だから、まだマルクスはいないだろう、と思っていると──。
「あれ……マリーさん?」
「マルクスさま……?」
声をかけられて振り向くと、マルクスが大きな目をさらに大きくして、マリーを見ていた。
恐らく、マリーもマルクスと同じ顔をしているだろう。
「まだ約束の時間前ですよね……?」
「まあ……うん、そうなんだけど……実は、その……楽しみすぎて、早く来ちゃったんだよね」
子どもみたいでしょ、と苦笑したマルクスに、マリーは感動した。
(マルクスさまも楽しみにしてくださっていたのね……! 嬉しい……!)
嬉しすぎて、踊り出したい気分だった。
しかし、今ここで踊り出すのはとても目立つ行為であるし、マルクスに呆れられたくないのでぐっと堪える。
「実は……わたしもそうなのです」
「マリーさんも? そっか……なんか、嬉しいね」
少し照れたように笑ったマルクスにマリーも同じように微笑み、「はい」と頷いた。
なぜだろう。すごく、こそばゆい。
だけど、嫌な感じではなくて、すごく不思議な感じだった。
(なんか……すごくいいわ、こういうの。すごく……今、幸せだわ)
マルクスと同じように思い、同じように笑い合う。
まるで夢のようで、これは夢なのではと疑い、マルクスにバレないように自分の手の甲をこっそりつねる。
すると、ちゃんと痛みを感じ、これが現実であることを確認でき、さらに幸せな気持ちになった。
「えっと……少し早いけど、行こうか」
「はい!」
マルクスの提案に、マリーは元気よく頷く。
するとマルクスはほっとした顔をし、「こっちだよ」とマリーを誘う。
マルクスの隣に並び、街を歩く。マルクスはマリーの歩く速度に合わせてくれているようだった。
そんなマルクスの優しさに感動しつつ、マリーはマルクスの服装を確認した。
マルクスはいつのも騎士団の制服ではなく、私服だった。
その辺りにいそうな貴族子息の派手でいかにも高級そうな服装ではなく、かといって、街を歩いている庶民の青年の服装とも違う。
恐らく、着ているもの自体は、庶民の青年のそれとほとんど変わらないのだと思う。ただ、着こなし方が、普通の青年とは違うのだ。
自分の体型にぴったり合ったものではなく、敢えてもう一つ大きめのサイズのものを着て、それを細かい意匠が施されたベルトで止めている。普通ならばだらしのない印象を受けそうなものなのに、まったくそんな感じはなく、不思議とマルクスの雰囲気にピタリと合っていた。
詳しいことはマリーにはわからないけれど、恐らくは色の使い方が上手いのだ。締めるところは暗めの色を使って引き締めている印象を与えているから、だらしなく見えないのではないだろうか。
それ以外にも、身につけているアクセサリーもお洒落である。
高級そうな宝石をゴタゴタとつけているわけではなく、敢えてシンプルなものを選び、いくつも組み合わせている。それも、服装に合うように考えて身につけているのだろう。
細かなところにまでお洒落に気を抜かないマルクスは本当に素敵である。お洒落が心から好きなのだな、と感じられる。
「まずはここのお店なんだけど──」
マルクスはマリーをお店に案内しながら、その店の特徴を教えてくれる。
それにしっかりと耳を傾け、店の人と相談しながら、衣装を選んでいく。
どの店の人ともマルクスは顔見知りのようで、マルクスが希望するものを口にすると、それに近いものを探してくれる。
マルクスは真剣にそれらを見て考え込む。
その真剣な顔を横で眺めながら、マリーも自分の意見を言う。マルクスはマリーの意見も真剣に聞きながら、衣装を選んでいった。
そして、大体の衣装を選び終えると、お昼の鐘が鳴った。
「もうお昼か……」
「あっという間でしたね」
「そうだね。付き合ってくれてありがとう」
「いえ、そんなお礼なんて……わたしも楽しかったので」
「それなら、誘った甲斐があったかな」
そう言って笑ったマルクスに、マリーも笑みを返す。
そしてマルクスが「それじゃあ、どこかでお昼でも──」と口にしかけたとき、甲高い悲鳴があがった。
「きゃああああっ! 泥棒ー!!」
ざわざわとし出した周囲にマルクスは厳しい目をし、マリーを見た。
「……ごめん、マリーさん。おれ、行ってくる」
「はい。わたしはここでお待ちしてますね」
「ごめん」
そう言ってマルクスは騒ぎの中心へ向かう。
その途中で盗みを働いた人物を捕らえることに成功し、盗んだ物を店の人に返し、あっという間に騒ぎを収めた。
マルクスの見事な手腕にマリーはすごい、と感心した。
優秀だとコンラートとから聞いてはいたし、それを疑ったことはなかったけれど、実際にその働きぶりを目にするのと、ただ聞いているだけとは実感が違う。
マルクスは捕らえた人物を、駆けつけた騎士たちに引き渡すと、マリーのところへ戻ってきた。
「見事なお手並みでした。さすがです、マルクスさま!」
すごい、と興奮して褒めるマリーに、マルクスは困ったように笑う。
「これくらい、普通だから」
「そんなことありません。こんなに短時間で騒ぎを収められたのは、マルクスさまだからこそです!」
「そうかな……そう言ってもらえると、嬉しいな」
あくまでも謙虚な姿勢のマルクスに、決して傲らないところも素敵、と再確認する。
きっとこれがフュルテゴットならば「さすが俺! もっと褒めて!」とかなんとか言うに違いない。
「それで……その、申し訳ないんだけど……」
なにやら言いづらそうなマルクスに、マリーにはにっこりと笑ってみせる。
「わかっています。先ほど捕まえた方を詰め所に連れて行かれるのでしょう? わたしのことはどうぞお構いなく、いってらっしゃいませ」
「……ありがとう。この埋め合わせはまた今度するから」
「……はい。楽しみにしていますね」
マリーは強ばりそうになるのを必死に堪え、笑顔を保った。
一人で帰れるのかと心配するマルクスに、辻馬車に乗るから平気だと言い聞かせ、マリーはマルクスを見送った。
「満足されましたか?」
「カール……騎士の方々は……?」
「先ほどの事件の手伝いに向かわせました」
「そう……」
マリーはそう言って一瞬だけ俯いたが、すぐに顔をあげてにっこりと笑った。
「今日はとっても楽しかったわ! これもお兄さまとカールのお陰ね。本当にありがとう!!」
「姫さまが楽しめたのなら、なによりです」
「ええ! とても良い思い出になったわ!」
今日あったことをすぐに日記に書かなくちゃ、とマリーははしゃぐ。
そんなマリーをカールハインツが心配そうに見ていたことに気づいてはいたが、マリーは敢えて気づかないふりをして、はしゃいだふりを続けた。
ここでカールハインツに心配されたところで、未来はなにも変わらないのだ。
だったら、カールハインツや兄の前では、明るい自分でいたいと、そうマリーは思っている。




