1.マリーのお願い
「お兄さま。社交界デビューの決まった可愛い妹からお願いがあるのだけれども」
マリーは可愛らしく両手を握り、精一杯可愛く見えるように小首を傾げた。
そんなマリーに、腹違いの兄であるコンラートは苦笑する。
「マリー、自ら可愛いと言うのはどうかと思うんだが」
「いやだわ、お兄さま。そういう細かいことを気にしてはいけません。身が持たなくなってしまいますよ?」
「……細かいことだろうか?」
コンラートは不思議そうに首を傾げたが、マリーは力強く頷いた。
可愛いとか、可愛くないとか、そういう細かいことは、マリーはとって今はどうでも良いことなのである。……〝今〟は細かいことだが、〝未来〟では細かいことではなくなるかもしれないが。
「……それで? 可愛いマリーは私になにをお願いしたいのかな?」
色々と追及するのを諦めたコンラートは話を変えるように、最初の話題に戻す。
するとマリーはとても真剣な顔をしてコンラートを見つめた。
この〝お願い〟はマリーにとって、生涯を揺るがすことになるかもしれないお願いなのだ。
優しい兄はきっと笑顔で引き受けてくれるはずだが、それでも万が一断られたら強硬手段を取るしかなくない。
だからおのずと、全身に力が入ってしまう。
気心の知れた兄の前であるはずなのに、かつてないほど緊張している。体のあちこちから変な汗が出ている気がするし、心臓はバクバクとうるさいし、わたし死んじゃうんじゃないかしら、と思った。
だが、こんなところで死ぬわけにはいかないのである。だってこのお願いなんて、マリーが本当に成し得たいことのスタートラインに立ったくらいなのだから。
「わたし、社交界デビューをする前に、憧れのマルクスさまにお会いしたいの」
「マルクスに……? ああ、そういえばマリーは、マルクスのことがお気に入りだったね。もちろん、それくらいお安いご用だ。すぐにでもマルクスを呼んでこよう」
さっそく動き出そうとするコンラートに、慌てて待ったをかける。
「待って、お兄さま! わたし、このままではマルクスさまに会えないわ!」
「……どうして?」
「だって、今ここでマルクスさまに会ってしまえば、マルクスさまはわたしのことを王女として見てしまうでしょう? わたしはただのマリーとして、マルクスさまとお会いしたいの」
「……なるほど。それがマリーのお願いというわけだね」
コンラートの言葉にマリーは真剣な顔をして頷く。
そんなマリーの顔を見てコンラートはしばらく考えたのち、優しい笑みを浮かべた。
「わかったよ、マリー。可愛い妹の頼みだ。きみの願いを叶えよう」
「あ……ありがとうございます、お兄さま!」
喜びで頬が緩むのを堪えきれなかった。
(やっと……やっとマルクスさまに会えるのね……! この日をどんなに夢見たことか……!)
マルクスは、マリーにとって憧れのひと。そして、マリーの人生を変えてくれた人でもあるのだ。
辛くて苦しかったとき、マルクスの存在のお陰で、その苦しみを乗り越えられた。それはマルクスが直接マリーになにかをしたわけではない。けれど、間接的にではあっても、マリーはマルクスのお陰で頑張れたのだ。
あの日からずっとマリーの一番はマルクスだった。
いつか彼と話をして、あのときに頑張れたのはあなたのお陰なのだとお礼を言いたい──そう、ずっと願っていた。
「わたし、今まで一番、お兄さまのことが好きになりました」
「……それはそれで複雑なんだけど……」
コンラートは複雑な顔をしつつも、心から喜んでいるマリーを見て、まあいいか、と思うことにしたのだった。