9.
一方、サクラと少年ハヤトは。
宿屋に向かっていた警備隊はユキナが引きつけておくという話だったのだが、二人はしっかり追われていた。ただいま全速力で疾走中である。
「信じらんない! 別働隊用意してるなんて大袈裟すぎるわ!」
サクラはちらりと後方を見ながら叫んだ。
深夜であっても音量に遠慮する気などまったくなかった。
警備隊の連中のほうが、武具が擦り合う音や長靴の金具などを高らかに鳴らしながら追いかけてくるという、いかにもはた迷惑な騒音を振りまいているからだ。
「わかんないわね。そもそも何であたしたちが追われなきゃいけないの!?」
「……自覚ねえのかよ」
併走していたハヤトは呆れた声を出した。
「どういうこと?」
「“野獣”だぜ? 守備隊や警備隊が散々手こずってきた化け物を、たった一人の女がぶっ倒したって聞いて黙ってるわけねえだろ。しかも連れてる鳥はしゃべるらしいとか術を使って怪我人を治したらしいとか、そんな噂が広まってて興味持たねえはずがない。確かめたくなるのは当然じゃねえか?」
「ちょっと待って! ぶっ倒したのはあなたでしょ。あたしは何もしてないわよ!」
「……何もしてねえとはよく言ったもんだ。まあ実際に倒したのはおれだけど、その前後の行動は人の眼に留まらねえようにしてたからな。あの場におれがいたってことは誰も気づいてないはずだ。あの鳥のおばさんに手当てを受けてたおっさんもな。代わってあんたは奇妙な鳥を連れてたのを目撃されてるし、帯剣してたってのも見られてる。てことは、野獣を始末したのはあんたかもしれねえってことになるだろ? 今頃は、なぜか同行者が一人増えてますます怪しさ倍増って感じだぜ、きっと」
サクラは頭を抱えたくなった。
この旅を始めてから騒動に巻き込まれること幾度か。
だからなるべく地味に行動しようと心がけているにもかかわらず、ユキナが法術を使うと高い確率で外部から接触を受ける。まあ一概にユキナのせいにばかりできないのだが……。
「興味を持つのはわかるわ。野獣を倒したこともそうだけど、仮死状態にしたままで細胞に治癒能力を促進させ続けるなんて高等術、会得はもちろんユキナさんのは緻密で正確だしかなり高い能力が必要だもの。そう簡単に身につけられない。気になるのは当たり前だけど、それにしてはこの対応はおかしいでしょ? 術を頼みにしてるんじゃなくて捕まえて利用するか果ては抹殺するかの勢いじゃないの」
サクラは自分で言って、ぶるりと身体を震わせた。
つい口に出たにしては本当にそんな気がしてきたのだ。
「人間ってそんなもんだろ? 利用してなんぼだぜ。力ずくでさ」
ハヤトのそっけない口調にサクラは問いかけたくなったが、逆に相手がこちらを直視してきたものだから思わず腰が引けそうになった。少年の眼力に射抜かれ気合い負けしてしまうのだ。
「それよりあんたさ、犬置いてきちまっただろ? 何で神官に預けたんだ?」
「え? ああ、あれは……ほんとは預けたくなかったけど、いつのまにか連れていかれちゃって……」
「ふーん」
ハヤトのそっけない相槌にサクラは気まずくなった。引き渡してしまった自分の不甲斐なさを情けなく思ったからだ。
本当は神官たちの手に渡すのは心許なかった。彼らがごく普通の神官ならこんな心配は杞憂なのだが手当てをしてくれたとはいえ、どうも信用ならない。
ではなぜ相手の意向を呑んだのかというと、サクラたちが申し出を強く断る理由がなかったからだ。町に滞在中ぐらい病人を神殿に預けることは自然の流れである。相手が人間であれ愛玩動物であれ家畜であっても同様だ。神殿は平等に面倒を見てくれる。まして神官を疑って預けることを拒むなどありえない。愛犬家が肌身離さずかわいがっているとしても、大怪我をしたためにすぐさま神殿に駆け込み、治療を施した後、一晩安静にさせましょう、と申し入れられて拒否する確立は低い。
それに小犬がもと野獣であったことは、見た目もだが法術の《透極(物質の組織構成を見通す高等術)》をかけたとしても、そんな痕跡は欠片も残っていないから見破られる心配はないだろうと、ユキナがそう言うこともあって、サクラは相手を信じて預けるに至ったのだった。
(でも不安は拭いきれないものね。あとで何とか連れ出してこないと)
その途端思い至ってサクラはハヤトに問いかけた。
「ねえ、やっぱりまずかったかしら? そんなこと聞くなんて、何か気になることでもあるの?」
「まあな。けど、とりあえずこの状況から抜け出さねえと話にならねえからな」
意味深な言葉にサクラの胸中はざわめいたが、確かに小犬を取り戻そうにもこの状態では無理な話だった。
神殿の敷地内を飛び出してから、まっすぐ町の住居区をひた走っていた二人である。だがあまりにも静か過ぎる周囲の反応にサクラは訝しんだ。
(これだけ外が騒がしいのに、誰も様子を見ようとしないなんて……)
きょろっと首を巡らせるサクラを見て、ハヤトが親切にも解答してくれた。
「無駄だぞ。この町は神殿が牛耳ってるらしいぜ。住民はみんな神官たちの言いなりだ。やつらのすることに疑問すら感じねえんだよ」
「……神殿が町を? あなた何故そんなこと知ってるの?」
「調べたから」
にべもなく言い放ちさらにサクラを促す。
「速度上げるぞ。この先の大通りを北に行けば《館通り》に入る。あそこは不可侵地区だ。《守護膜》が無数に張られているはずだから撤去は頼んだぜ」
「あ、それはユキナさんじゃないと、て、待ってよ!」
サクラの返答など待たずにハヤトは一気に加速した。
(速い! 今でもめいっぱい走ってたのに、これじゃあついていけない! 信じられない脚力だわ。一体どんな鍛え方してるのかしら)
サクラは一瞬苦い表情をしたが決断は早かった。内に向かって神経を集中させる。サクラの瞳にちらりと金色の閃光が走った。ふいに身体が軽くなり手足の筋肉が張り詰める。気づけばサクラは難なくハヤトに追いつき余裕の表情で話しかけていた。
「《館通り》ってどういうところ? 不可侵だなんて、まさか議会や司法所が関与できないような特権を持ってるわけじゃないんでしょ? そもそも個人の勝手で《守護膜》を張るなんて常識じゃ考えられないわ。この町の社会構成ってどうなってるのかしら……」
最後は独り言のように呟いていたが、前方に大通りが見え初めたので慌てて上空を見上げた。
(ユキナさん、まだかしら?)
「おい、あの鳥はほんとに法術士なのか? あんたは使えねえの?」
不安そうなサクラにハヤトが首を傾げて訊ねてきた。
「あたしは薬術の知識はあっても法術の才能はからっきしなの。ユキナさんは《大神官》の位を得ている人だから町の神官長なんて目じゃないわよ」
「大神官だって?」
ハヤトは眼を丸くした。サクラがにっこり微笑む。
サクラはユキナの偉大な能力に関しては尊敬しているのでハヤトの反応には満足した。
あと少しで大通りに出る、というところでハヤトが急停止をかけた。サクラも勢いを増していた脚力に急激な負荷をかけ滑るように足を止めた。
辺りに耳をそばだてる。まだ視界には何も映らない。しかし複数の気配がこちらに向かっているのがわかる。後方から追いかけていた連中と違ってうるさい騒音がない。
「囲まれたみたい」
「ちっ」
しかし前方から現れた者たちは警備隊と同じような格好をしている。足音がしないのは術を施しているからだろうか。
数十人の人影を前にハヤトが先制を切ろうと身構えた。
「おれがやる! 突破口を開くから先に《館通り》へ走れ! 《守護膜》をどうにかして外すんだ!」
「それは無理! ユキナさんじゃないとだめなのよ! だからあたしがやるわ! 時間稼ぎにはなると思う!」
「何だって?」
驚いて振り返ったハヤトに眼もくれず、サクラはおもむろに剣を引き抜くとその場に勢いよく突き立てた。
「地に風を!!」
ハヤトが問い詰める暇もなかった。
突然、全身を貫く振動が地中から伝わってきたのだ。
まるで大地震のように揺れが激しくなり、ハヤトは立っていられずに膝をついた。
取り囲もうとしていた警備隊も驚愕の表情で均衡を保つために態勢を整えようと必死だ。
ハヤトはサクラを凝視した。
彼女は片膝をつき剣の柄をしっかりと握り締めたまま根元の一点のみを見つめている。表情は何の感情も映さず紫紺の瞳が金色に輝いていた。
ハヤトは息を呑み、背中に戦慄が走るのを感じた。
そして、ピシッと何かが裂ける音がしたかと思うと、突き立てた剣から横一線に亀裂が走った。いや、今や亀裂は四方八方無数に広がり、次の瞬間ハヤトは地面に突っ伏した。
二人から充分な距離を走った亀裂の先端から、凄まじい轟音とともに地中の岩石が吹き出してきたのだ。
次々と隆起するさまをハヤトは茫然と見つめていた。
振動は何倍も激しくなり、もはや誰も身動きが取れず地にひれ伏す格好で岩石の隆起から逃れようと必死になっていた。
突出した岩石が互いにぶつかり合う姿など、まるで巨大な猛獣が頭突きの応酬を繰り広げる喧嘩乱闘のようだ。それによって崩れた欠片が音を立てて降ってくるために、警備隊は散り散りに逃げ惑った。彼らはこの異常事態にすっかり錯乱してしまっている。
警備隊という組織は肉体術を主として訓練された人材の集まりだが、精神術である《法術》に対して一応の知識は持っている。微細な能力を備えている者もいるはずだ。しかし今起こってることは彼らは体験したことがないばかりか、こんな術があるとは知識でさえ持っていない。驚愕のあまり前後不覚になるのは当然かもしれなかった。
すると急速に振動が止み始めた。
ハヤトはぎこちないながらも身体を起こし顔を上げようとしたが、身体はまだ激震を覚えているために動きが緩慢になる。何とか肘をついて砂埃でけぶる前方に眼を凝らす。
認識できるようになったその光景に、ハヤトは唸った。
「何だよ、これ……」
二人を外敵から護るようにそびえ立つ鋭利な岩の壁。
それはまるで巨大な王冠のようだった。