表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/20

8.



 時は深夜になろうかという頃。

 物々しい音が《赤屋根の宿屋》を襲った。

 しっかりと戸締りしたはずの表玄関の扉を破られ、何事かと飛び出した店主は、現れた者たちに驚きはしたが毅然と対応した。


「一体何事ですか! こんな遅くに、しかもこのように乱暴な訪ね方をなさるとは!」


 “家庭のように安らげる”ことを想定して建てられた宿屋のその顔ともいえる玄関の扉は、さほど大きくなく設えられて木目を生かした質素な造りだった。艶出しの樹液を店主自身が何度も繰り返し塗り込んで仕上げたものだ。それを無残にも斧で打ちつけられ破り倒されてしまった。

 踏みつけられている扉を見ながら店主は、理不尽な怒りが湧き上がってくるのを感じた。

 相手が警備隊であっても許されていい行為ではない。


「何かお調べがあるにしても事前に通達がないのでは不法侵入と同等でありますぞ! 司法所に訴え出ることも可能です。責任者の方は何処(いずこ)か!」


 店主の剣幕に怯むことなく、一人の男が進み出て悠然と彼を見下ろした。

 かなり上背のある体格のいい男だった。腕に警備隊の紋様を縫いつけた白い腕章をしている。この部隊の隊長である証だ。


「喚くな店主。これは長官の命令だ。我々はそれに従うまで。客たちに伝えろ。部屋から一歩も出ずに閉じ籠っていろとな。顔を見たらすぐさま連行する。邪魔立てする者は公務執行妨害で切り捨てる。いいな、貴様らには関わりないことだ。黙っていればすぐに済む」


 店主はあまりの言い分に唖然とした。これほど強引な捜査は見たことも聞いたこともなかったからだ。

 最近多発している野獣騒動に乗じて人間の細かな犯罪も頻繁に起きているため、警備隊は犯罪者の摘発から深夜巡回に至るまで精力的に活動していたが、一方で議会より特別な権限を与えられ一般民の人権を無視するような行動が目立ってきていた。横暴な取調べや捜査の仕方に議会へ多数の苦情が寄せられているのも事実だ。

 それが突然自分の身にも降りかかってこようとは、店主は歯噛みしたい思いでいっぱいだった。


「……捜査協力をするのは一般民の義務だと思っております。ですが理由も聞かされず黙って見ていることはできません。こちらにお泊りになっているお客さまはすべて身元確認をしておりますし、もし何らかの犯罪に加担していたのだとしても、説得のうえ任意同行を求めればよいことではありませんか。このようなやり方では他のお客さまにも危険が及びま」


 店主は最後まで言えぬまま隊長である男によって殴り飛ばされた。激しく床に叩きつけられ店主はうめき声を上げる。

 勘定台の隅で様子を見守っていた店主の妻が悲鳴を上げて駆け寄った。

 奥の廊下には、騒ぎを聞きつけて部屋から出てきた客たちが押し合いながら様子を見守っていたが、店主の有り様にどよめいて硬直していた。しかし男の合図とともに警備隊たちが突入を始めた途端、みな一斉に叫びながら逃げ出した。

 宿屋は混乱状態に陥った。




 ユキナはこの状態を見て盛大な溜息をついた。


「……何だろね、こりゃあ」


 宿屋は玄関を入って右手に休憩所や手洗い場、左手に勘定台と管理室が備えられて、天井が二階分を占めた吹き抜けになっている。

 正面の二階の廊下に当たる壁には小窓が三つあった。

 ユキナはそのうちの一つから玄関の騒ぎを見ていたのだった。

 二階の廊下も客たちが部屋を出たり入ったりで大騒ぎになっていたが、窓枠にちょんと乗っている鳥の存在などまるで眼中になかった。急いで荷物をまとめて避難しようと必死で、何も悪いことなどしていなくても巻き添えを食うのはごめんとばかりに、我先にと階段口へ駆け出していた。

 しかし、けたたましい金属音とともに荒々しく駆け上がってくる警備隊に遭遇すると、客たちは急停止して回れ右をするはめになった。

 これでは鬼ごっこだ。ユキナは疲れた声を出した。


「警備隊もバカなら客もバカだねえ……。騒ぎゃいいってもんでもあるまいに」


 そして、くちばしを上向けると、ふっと息を吐いた。

 途端に辺りが真っ暗になった。壁に均等の間隔で掛けられた蝋燭台の明かりが消えたのだ。

 一瞬の空白。

 視界の急激な変化に人間の脳は混乱し一旦思考が停止する。警備隊の面々も客たちも動きを止めて声を発しなくなった。

 その隙をついてユキナは高らかに宣告した。ちゃんと宿屋中に響き渡るよう声を反響させる術をかけて。


「いいかげんにしてほしいねえ、こんなバカ騒ぎは。警備隊もたかが捕り物に一般民を巻き込んで大袈裟にするんじゃないよ。程度の低さが知れるよ。それから客たちも大人しく部屋に引っ込んで布団でも被ってな。騒ぐから巻き添えを食うんだ。いいね、今から五つ数えるうちに部屋に入るんだよ。静かにしてりゃ嵐は無事に通り過ぎるってなもんだ」


 突如、聞こえてきた声にみな戸惑いつつも聞き入り、客たちは小さく囁き合いながら行動を移しかねていた。警備隊の連中は鋭く辺りを見渡しゆっくりと探りを入れていた。

 彼らは標的が娘と鳥の一対であることを知っていたし、隊長の男は昼間サクラを詰問した人物だったので見誤ることはなかった。だから他の客たちなど眼中になかったのだが、こんな騒動になったのは単純に配慮というものが欠けているだけのことだった。


「さあ、数えるよ。警備隊は動くな。あとできっちり相手してやるから」


 その声音には楽しげに躍動する響きを含んでいた。


「そーれ! いーち、にーい、さーん……」


 まるで“かくれんぼ”を始める鬼役の子供のような軽快さだった。

 戸惑っていた客たちは数え始めた声に、隠れなければと本能で突き動かされた。地響きを立てながら一斉に部屋へと駆け込みだす。次々と扉を閉める音が調子を取るように鳴り、ユキナが「ごーお」と言った時点で廊下には埃だけが舞っていた。


「……いい子だね、みんな。そのまま眠りな」


 そして小さく短く術語を唱えた。

 二階の踊り場まで上がってきていた警備隊の一人が、ユキナの姿を見つけて近づこうと足を踏み出したのだが、どうしても前へ進めない。

 ユキナの術の完成はすこぶる早い。すでに一階と二階の全客室は法術《守護膜しゅごまく》を張られて物理的介入を阻止されていたのだ。


「さあて、おまえさんたちの相手をしようかねえ。みんな下に集まりな。――旦那と女将さん、悪いがこの場を借りるよ。これ以上の被害は出さないから奥へ引っ込んでおいで」

「あ、あんた一体……」


 店主は妻に支えられながら、殴られて腫れ始めた頬を押さえて(くう)を見つめた。声はすれども姿を見つけられない。今日宿泊した客たちの顔はすべて覚えている。記憶力の良さは客商売をしているうえで重要な能力である。しかしいくら記憶を探っても声の主の見当がつかない。


「とんだとばっちりを食わせちまったのには申し訳ないが、下手な詮索身を滅ぼすもとってね。女将さん、旦那を連れて行きな」


 愚図つく夫を引きずるように女将は管理室へと向かった。その奥に彼らの居住空間があるのだ。

 さすが女は状況の見極めが早い。

 ユキナは満足げに微笑んで、すぐさま行動に移した。今までのらりくらりやってきたのとは正反対に、あっけなく片をつけてしまったのである。



 これまでじっと黙って様子を窺っていた警備隊第一小隊隊長が、口元に笑みを浮かべ本領発揮とばかりに勇んで命令を下そうとした矢先だった。

 暗闇にも慣れてきた十二人の隊士が思い思いに武器を構え相手の気配を探っていたとき、ユキナの鋭い一言が彼らの脳天を直撃したのである。


「この痴れ者どもがッ!!」


 彼らを襲ったのは荒れ狂う風の(やいば)

 そのとき、隊長の男は壁に巨大な片羽の翼が黒々と投影されているのを見た。正体を見極めようと一歩足を踏み出したが、たちまち風によって視界を遮られ影は消え去ってしまった。

 その後の惨劇は彼らにとって悪夢としか言いようがなかったであろう。

 持っていた武器はことごとく弾き飛ばされ、室内の調度品や飾り絵、小物などすべてが宙を舞い風に運ばれて凄まじい勢いで飛び交った。吹きすさぶ風とともにそれらが全身を打ちつけるので隊員たちはたまらず逃げ惑い、床に伏せて縮こまり叫び声を上げた。

 割れた木片や硝子はもちろん彼らの武器、剣や斧や槍などが凶器となって襲いかかってくる。外へ逃げ出そうにも、扉は自分たちが破壊して外の景色が見えているのに何かに阻まれて出られない状態だ。もう彼らの恐慌ぶりは先ほどの客たちの比ではなかった。

 ユキナはその光景を無表情に眇めた眼で見ながらぼそりと呟いた。


「時がくれば収まる。――運が良ければ無事に朝を迎えられるだろうよ」


 彼らにその言葉が聞こえていたかどうか。

 ぱさりと乾いた音を立て、ユキナは自分たちが割り当てられていた部屋に戻ると、そこの窓から外へと飛び立って行った。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ