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7.



 サクラは連なる並木の一本を足がかりに、葉先に身体を引っ掛けられながらも次々と枝を蹴りつけ無事に地面へと下り立った。

 そこには先に下りたハヤトが待っていた。

 サクラが軽くローブをはたいていると、ふっと笑う声がした。


「やっぱりあんた、ただ者じゃねえな。見た目からは信じ難いけど」


 サクラは言葉を返せず苦笑するだけだった。


「あの鳥のおばさんは?」

「うん。時間稼ぎするって」

「へーえ。警備隊引き受けてくれんのは助かるけど。あれ、ほんとに元人間?」


 訝しげにというよりは、端から信じず呆れたように言うハヤトに、サクラはちょっとむっとした。


「失礼な言い方しないでね。姿はともかくあの人は人間であたしの叔母なの。母のお姉さん。口は悪いけど術者としては凄腕よ」

「ふん…凄腕ね」


 サクラの自慢ぶった物言いを鼻で笑いながらもハヤトの眼は真実を探るかのように見返していたが、宿屋の向こう側から灯りが見えたため何も言うことなく身をひるがえした。


「来た。行くぞ」


 サクラはハヤトの視線の先を見据えて、灯取(あかりと)りを掲げた集団がこちらへ向かって来るのを確認した。一個小隊十二人ほどか。


「あきれた。女子供相手にあんなに寄越すなんて。一体どういう命令が出てるのかしら?」

「子供ってな……ま、いいや。どうせ適当なことをでっちあげたんだろ。おい、置いてくぞ」

「ごめん、待って!」


 さっさと走り出していたハヤトをサクラは声を潜めつつ後を追った。





 シン=クナ神殿とは、中央の大聖堂と左右対称に位置する礼拝堂、その背後に建つ象徴の塔すべての総称としてそう呼ぶ。

 大聖堂は常時一般開放されていて好きに利用できるが、歴史的価値が高いために文化遺産として扱うべきだという声が上がっていた。

 特に天井や壁、柱に至るまで細やかで流麗な彫刻が施された《白亜(はくあ)の間》は、一級の美術品として名高く芸術家や骨董商、収集家や研究家たちから徹底した保存や管理を切望され、神殿側に再三の打診をしているほどだった。

 しかし神殿の存在価値は住民たちにある。人々に安寧をもたらすために礼拝はもちろん、物思いに耽ったり読書をしたり大切な人と語らうなど、憩いの場として過ごしてもらうことが神殿の意向とされていた。

 そして礼拝堂は週に一度の祭礼が行われる場所だ。神官長の挨拶から始まり神官たちが持ち回りで教典を読み上げたあとは、子供たちによる唱歌が披露されたり、相談所が設けられて大衆問題から個人の悩みまで懺悔も含めて傾聴してくれる。これは評判が良いようで毎週礼拝堂の前は列を成すほど盛況であった。

 左の礼拝堂は第一神官長タジムが務め、右の礼拝堂は第二神官長ジリアス=アシュケナーゼが務めている。その後ろにそびえ立つ象徴の塔は彼らが率いる神官たちの仕事場兼学堂である。

 象徴の塔にはそれぞれ名称がつけられていた。

 第一神官長タジムの塔は、生物学、心理学の博士であるタジムのもと、神官の位を得たのちにも学問を修め研究を重ねられるとして《創生(そうせい)》の塔と呼ばれ、第二神官長のジリアス=アシュケナーゼの塔は《白雲(はくうん)》の塔と銘打たれている。

 彼は天文学、気象学の博士なのだが、《白雲》とはその容姿から想像された名であるらしい。

 白雲の塔は他の神殿の建物と違って実に質素だった。

 土壁色を残し柱や窓枠だけに細かい装飾を彫り、あとは風や日差しによって削られたり色付いたりして自然の風合いを出している。派手さもなく華美でもないが中に住まう主には似合いかもしれなかった。

 そう、ジリアス=アシュケナーゼという人物を惹きたてる器としては。




 塔の最奥、巨大な扉の向こうに第二神官長の書斎が備えられている。彼は表の仕事が終われば必ずこの部屋に籠っていた。

 その高く細長い扉の前に神官が一人やってきた。そして力を入れることなく扉の繋ぎ目を押す。取っ手などはついていなかった。軽くかすれる音とともに扉が開き、神官は慣れた様子で入っていく。少し急いでいるのか、長衣をさばく音が廊下に響いた。

 続いて現れた同じような扉の前で神官は立ち止まり、軽く息を吐くと一礼した。


「ジリアスさま、フヨウでございます」


 顔を上げたと同時に扉がすっと開く。触れてもいないのに扉がひとりでに開いたことを気にもせず、フヨウは足を踏み入れた。

 深く落ち着いた声音が耳に届く。


「いかがだった。客人の様子は」

「はい。先ほど《赤屋根の宿屋》にご案内いたしました。下官を一人つけてあります」

「見極めはついたか」

「まだ判断するには難しいかと思われます。娘は術に対する知識はあるようですが、能力者であるとは見受けられません。鳥にしましても術力を増幅させるための媒体とは考えにくいですし、ましてあの娘が遠隔で法術を操ったなどとても思えません」

「なるほど」


 フヨウの耳に衣擦れの音が聞こえた。そこでようやく彼は視線を上げた。ずっと面を伏せたまま相対していたのだ。緊張した面持ちで我が主を見つめる。

 明かりを弱くした部屋の中でそこだけが白く輝きを放っていた。

 フヨウと同じ白い長衣に肩掛けは色違いの、真紅に金糸の刺繍のものを身につけている。その肩に流れる髪は眼が眩むほど真っ白で腰にまで届いていた。何とも神々しく、立ち姿の美しい人である。

 手にした書物に視線を落としたままでフヨウと話していたのだが、静かに閉じるとゆっくりと顔を上げた。

 フヨウは思わず眼を細める。

 主の瞳は他に類を見ない、不可思議で特徴のあるとても美しいものだった。

 それは紅玉のようにつややかな深い真紅の瞳。

 彼の珍しい髪と瞳の色はこの大陸では見かけないものだ。まさか突然変異などあろうはずもない。

 ジリアス=アシュケナーゼ。

 彼は外の大陸の人間であり、トスタイト国が初めて外大陸で国交を開いたエウル国からの使節団よりこの地に降り立ったのだった。彼は名だけでなく姓も名乗っているが、トスタイト国を始め五つの国を抱えるここユアン大陸では、一般的に個人で姓は名乗らない。一族の呼称として使う。それもあって当時は“異世界から来たのでは”と大袈裟に表現され畏怖されもしたが、彼の学問に対する知識の豊富さや見識の広さに感心し、その人格には誰もが親しみを覚え、外見には魅了されたのである。

 フヨウも初体面のときはあまりの美しさに声も出ず、真紅の瞳に圧倒された。しかし彼の側に仕えるうちに外見以上に計り知れないものを抱えていると感じて共鳴し、今では主と称して時々垣間見る冷徹で容赦ない一面さえも敬うようになった。


(そして自分はこの方とともに目指す未来を見出した)


「この町に来た目的などは?」


 問われてフヨウは慌てて意識を引き戻した。魅入られたままいつのまにか記憶が回帰してしまったようだ。幾度か瞬きをし気持ちを静めて報告をした。


「娘が言うには薬術士の見習いだそうで、新種の薬草や鉱石を求めて旅をしているのだとか。この町には火山がありますので珍しい鉱石がないかと立ち寄ったのだそうです」

「中々それらしい理由ではないか」

「はい」


 かしこまる部下を見つめて艶然と微笑みを浮かべたジリアスは肩にかかる髪を無造作に払う。つかの間、光を振りまいたように髪が舞い、夜の闇を寄せつけないほど存在感が増した。

 ジリアスはその容姿で人ならざる雰囲気を醸し出し、周囲に起源素の一つ“光”の化身かのように思われていた。


「だがあの鳥には何かある。現に光柱の樹に仕掛けてあった《透眼(とうがん)》の術を断ち切られた。ほかで鳥や動物に術の操作を成し得た話は聞かぬし、何もないように装って高等術を使ったのならあの娘、相当な使い手ということになる。ならばどこの手の者か知る必要がある」

「では、国かもしくはどこかの神殿が放った術者の可能性もあると?」


 ジリアスは眼を伏せ、少し考え込む仕草をした。


「その娘たちの正体と目的を早急に見極めよ。この時期に余計な種を植えつけてはならぬ。邪魔になるなら神武官を使う許可を出そう。暗闇に紛れさせよ」

「は。かしこまりました」

「それで、あちらの様子はどうだ」

「順調に進んでいるようです。八割がた浸透してきておりますので、指揮は高まりつつあります」

「うまく働いてもらわねばな。そろそろ国の監察機関が動き出すやもしれぬし、そうすると厄介だ。情報収集は怠るな。彼らが働きやすいように地を慣らしてやるのが私たちの仕事だ」

「はい。ジリアスさま」


 ジリアスは手にしていた書物を文机に置くと、机を回ってフヨウへと近づいた。

 "光"の化身が眼の前に降り立ちこちらへ歩んでくる。いつも見慣れたはずの姿でも夜は気配を変えてしまうのか、フヨウは思わず一歩後ずさった。

 その顎を捉えて、ジリアスは低く囁いた。


「もうすぐおまえの夢が叶う。そして私の夢も」


 間近で真紅の瞳に見つめられ、フヨウは息を呑み直視できずに眼を閉じた。唇が震えそうになってぎゅっと噛み締める。

 額に吐息がかかり、やわらかい感触が額飾りの上から当たった。


「大祭まであと九日だ。――抜かるな」


 そうして気配が離れた。

 フヨウはゆっくりと眼を開け細く息を吐く。すでに主は机へと戻りまた書物に没頭し始めていた。

 額に残る感触は冷たいものだったが、それがいっそう神秘さを増したようだった。

 “光”の化身から洗礼を受けた彼は深々と一礼し、その場を辞した。





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