6.
学堂を中心とした小さな町は通称を《箱庭》と呼ばれていた。
由来は簡単で“町の中の町”であることと、学生たちの“理想郷”と言われているからである。何でも揃って快適な生活を送れるため、学生でいる間は彼らがここから出ることはほとんどない。
その箱庭をサクラたちはフヨウ率いる神官たちに散々連れ回されて、現在最終地点の宿屋の一室にいた。
この宿屋は学生たちの家族や友人が自由に利用できるように造られたもので、外観は一般の家屋と同じ木造の二階建てで、ひと棟十二部屋がコの字型に三棟連なっていた。赤い屋根が特徴の温かい雰囲気から幼年学堂の子供たちに人気の宿屋だった。
「あああああ、何でこんなことになったのかしら」
寝台に倒れこんだサクラは枕の下からくぐもった声を出した。
家族を対象にしているだけに、左右の壁に寝台が二つずつ備えられた、かなり広い部屋であった。寝台の他には中央に丸机と椅子が四脚、右側の寝台の間に大きな姿見があり左側の間には小作りの衣装箱が備えてある。
部屋に入るなり近くの寝台に突っ伏したサクラの身体を、ちょんちょんちょんと軽快に跳ねて最終地点の頭に到達すると、大きく羽を広げて伸びをする丸い体型の鳥が一羽。
「あんたってほんと押しに弱いねえ」
「もう、わかってるんなら何で助けてくれないのよ!」
勢いよく身体を起こしたサクラに鳥はころころと背中を転がった。腰の辺りで逆さに止まった鳥、ユキナはちょっと楽しいと思いつつ満足げに息をついた。
「そりゃ無理だろ。あたしがしゃべったら一発で面倒な連中が飛んでくるよ? さらに術なんか使ってごらんよ、神殿側にも眼をつけられて監禁されるのが落ちさ。普通、鳥はしゃべったり術を使うなんざありえないからねえ」
「ううううう、そうだとしてもぉ。耐えらんないわ、あのニコニコ攻撃には。あの人たちどうして見も知らぬ人間にああまで愛想良くできるのかしら。いくら神官でも奉仕精神旺盛すぎなんじゃないの? おかしいわよ~」
サクラは枕をバシバシ叩いて嘆いた。
「まあやつらは腹に一物持ってるから、いくらでも取り繕うことはできるのさ」
その言葉にサクラが勢いよく体勢を反転させたので、ユキナは寝台から弾き飛ばされた。床にしたたか頭を打ちつけ視界が回っているユキナの状態など構いもせず、サクラは羽を掴み上げて詰め寄った。
「何? やっぱり何かあるのね!? さっきの巨木のこともちゃんと説明してよ、ユキナさん!」
「そ、そ、そんな揺さ、ぶらない、どくれ、よ。――ふう。そうしたいのは山々なんだが、その前にだ。そろそろ出ておいで。坊や」
サクラの手の中で天井を見上げたユキナは呟いた。そんな小さな声でも届いたのか、上から言葉が落ちてきた。
「鳥に坊やなんて言われたくねえな」
「あたしから見りゃ坊やなんだよ。つべこべ言わずにさっさと降りてきな」
「ユキナさん?」
サクラは驚いて天井の隅から隅まで視線を走らせるが、どこから声がするのかわからない。でもこの声には聞き覚えがあった。
「ったく、生意気な鳥だな。あんた、ちゃんと調教してんのか?」
窓側の隅の天井にわずかな隙間が見えたと思ったら、黒い影がそこから降り立った。
昼間に会った少年、ハヤトである。
サクラは少年を見留めて、また天井を見上げたが隙間はもうどこにもなかった。
(この子ってどこかの隠密!?)
妙な突っ込みを入れつつ、とりあえず定番の指摘をする。
「あ、あなた! 何でこんなところにいるの!?」
少年は不遜げに顎を上げてサクラを見下ろした。サクラはまだユキナを掴んだまま床に座り込んでいたのだ。
「言ったろ。あんたには聞きたいことがあるんだ。連中に捕まってちゃ困るんだよ」
「捕まる、てどういうことよ。あなたもこの神殿や神官たちのこと何か知ってるの?」
サクラの質問には答えず、少年は腕を組んで口角を上げるようにして笑った。子供がする表情にしては何とも生意気に思えるが、その中に自信と経験値の高さを窺わせた。子供だと思って侮るとしっぺ返しを食らうかもしれない。
「提案がある。ここからの脱出に手を貸す。その後おれに協力して欲しい。仕事として依頼するから代金は支払う。手助けした分は引かせてもらうけどな」
「協力って? それにあたしたちは依頼されるような仕事なんてしてないわよ。ただのしがない薬術士なんだから」
「ただの薬術士? んなはずねえだろ。だったら森での不思議な力は何だったんだよ?」
「あ、あれは、えーと、その、薬術の一環で……」
しどろもどろの返答は説得力まるでなし。そんなサクラに少年は追及の手を緩めない。
「それにあんた、この鳥使って遠隔操作で法術使ったろ? そんなことできるやつ見たことねえけど。ということはかなり高度な法術使いってことになるよな。だったらあんた“予知”や“透視”もできるんじゃねえか?」
「まさか! できないできない! 絶対無理!!」
サクラは首をぶんぶん振って否定した。この少年の思い込みをどうやって解消させればいいのか必死に考えたが、森で野獣を息づかせた瞬間を見せてしまった後では何を言っても無駄なような気がする。
サクラは情けない表情でユキナにすがった。例え姿は鳥でもサクラの叔母であり親代わりの人だ。頼れるのは彼女一人だった。
ユキナもまた赤ん坊の頃から自らの手で育ててきた娘には、幾度喧嘩をしようとも甘くなるものだ。片羽を持ち上げ娘の頭を撫でる。
「まったく。少年の言うとおりかもしれないねえ。ちと甘やかし過ぎたようだ。子供相手に言い負かされるとは」
「ううう、何よ。そんなに言わなくてもいいじゃない」
二人の様子に少年が首を傾げた。さすがに何か感じたらしい。
「おい?」
「よくお聞き、坊や。あたしゃ今はこんな形だがれっきとした人間なんだよ。法術を使ったのは間違いなくあたし自身なんだ。この子じゃない。そこのところは間違えないどくれ」
「……何だって?」
さすがの少年も茫然と一人と一羽を見つめた。
「あんた、人間なのか?」
「そうとも。まあ、あたしゃこの姿も悪かないと思ってるけどね。綺麗だろう? この羽。浅黄色なんてあたしにぴったりじゃないか」
羽を広げて満足気に眺めているユキナを無視して少年はサクラに近づいた。同じようにしゃがみ込んでサクラの顔を凝視する。少年の漆黒の瞳は強い意志を宿していた。
「だけど、野獣を蘇らせたのはあんただな?」
この少年はあくまでサクラに何らかの力があると思っている。事実、あの状況では言い訳のしようがないのだが、一体何の目的があって近づいてくるのか。彼が協力して欲しいこととは何なのか。
サクラは少年を改めて見返した。
おそらくまだ十四、五歳ぐらい。埃でぼさぼさの髪は瞳と同じ漆黒なのだろう。洗えば艶が出てやわらかさが戻るはずだ。顔立ちはすべてが小作りで幼いが眼力だけは大人顔負けだ。薄汚れたローブに覆われた身体も鍛えこまれてはいるがまだまだ細い。これから大人へと変化していく発展途上の姿である。
サクラはある種の感慨を受けた。
(この子は何を求めて生きてきて、この先も生きていくのか――)
強烈な意志の強さを目の当たりにして、サクラの心が落ち着きを取り戻した。この少年に誤魔化しは効かない。すべてを話すことは無理でも嘘をついてはいけないとサクラは思った。
「あのね、野獣を助けたのはあたしの中にある《力》であって、あたし自身じゃないの。わからないでしょうけどそういうことなの。法術とは違うものよ」
「法術とは違う? あんたの中の力って……ほんとに訳わかんねえな」
少年は眉間にしわを寄せたが、たいして考えるでもなく立ち上がった。
「とにかくあんたと、その鳥は普通の術士とは違うってことだ。おれに精神系の術は使えないからどうしても協力してもらう人間が必要なんだ。どのみち、あんたたちはすんなり開放されないぜ。鳥が法術を使って怪我人を手当てした、なんていう噂は町中に広がってる。もちろんこの神殿にもな。ここは色んな研究がされてるらしいから、術を使う鳥なんて格好の餌じゃねえか?」
「……餌?」
「失礼な!」
サクラは訝しげな顔をし、ユキナは憤慨した。
「しょうがないね。ちょっと様子を見たかったんだか、身動きできなくなるのは避けたい。いったん町から出るか」
そう言ってユキナはちらりと戸口を見遣った。
「……誰かさんが立ち聞きしているようだしねえ」
サクラと少年が一斉に振り返った。扉の向こう側で人の気配が遠ざかって行くのを感じた。
「ユキナさん」
「ふむ。この町の権力はどこが掌握してるんだろうね。神殿と警備隊はどうやら結託してるようだし。坊や、この町は神殿が動かしてるんじゃないのかい? 議会の力は弱いだろう?」
ユキナが少年を見上げると、彼は片眉を吊り上げて不快な顔をした。
「坊やじゃなくて、ハヤトだ。なめた呼び方するなよ、鳥のおばさん」
「ほう、いい度胸だ。あたしをおばさん呼ばわりしたやつは二目と見れない姿に変わっちまうよ?」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ、二人とも! ちゃんと名前で呼び合いなさい。礼儀なんだから。あたしのことはサクラさんって呼んでね、ハヤトくん」
しっかり自分の呼び方を主張しておいて、サクラは窓縁へと歩み寄った。そっと外の様子を窺う。
「この下は公園なのね。今なら囲まれる前に出られるかも。どっち方面に出る?」
サクラはハヤトに問いかけた。
切り替えの早い彼女にハヤトは感心しつつもすぐに返答した。
「北のユエの森に出るつもりだ。それには西門を通らなきゃならない。“館通り”をぬけるのが一番なんだが、あそこは高官たちが住むところだから《守護膜》を張りまくってるって話だ。あんたたちそいつを無効化できるか?」
「また面倒なことを……」
「あんまり複雑だと困るわね。ユキナさんはこのとおり身体が小さくなった分、許容量も少ないのよ。消耗させるようなことは避けたいわ」
そうハヤトに訴えると、
「じゃあ、あとは実力行使だ。あんた剣は使えるんだろ? 昼間の態度は騒ぎを避けるためだったと思っとくからな」
さらりと言い放ち、ハヤトは勢いよく窓を開け放した。
「行くぞ」
こちらの返事も待たず、窓枠に足を掛けると躊躇することなく飛び越えた。真下の木を足がかりに降りて行く。
「うーわー、手助けするなんて言っといて一人でほいほい行っちゃうなんて。あたしたちを過大評価してくれてるのかしら?」
サクラが呆れて言うと、ユキナはどうでもいいように肩を竦めただけだった。
「まあとにかく、あいつは何か知ってそうだ。情報だけでも聞き出しときな」
「そんな冷たい言い方して。ユキナさんはどうするの?」
「やつらを引きつけとくよ。もしかしたら《神武官》が出てくるかもしれない」
「ええ!? そんな大袈裟なことになりそうなの?」
頭を抱えていやがるサクラにユキナは真顔で言った。
「たぶん神殿の連中は、あたしらの正体に勘付いてるかもしれない。あの巨木だが、あれは誰かの“眼”だ。誰かが周囲を監視するために使ってる媒体にすぎない」
「まさか、あたしたちのことを探るために?」
「いや目的は別にあったんだろうが、あたしらをわざわざあそこに引き出したのは警備隊が言ってることの確認のために違いない。ま、その接続線切っちまったけどね」
「ちょっとぉ! そんなことしたら疑えって言ってるものじゃないの!」
「いいじゃないか。さっさとやつらに動いてもらったほうが片がつくってもんだ」
何もこっちから飛び込まなくても~。と、うなだれながらサクラは窓枠に手を掛けた。
「大丈夫。何とかなるさ」
ユキナが軽く羽を掲げて行けと促す。
「……お気楽ね。――じゃ後で」
サクラはひらりと外へ飛び出した。
この宿屋は二階建てで、サクラがいた部屋は二階にあった。常人なら簡単に飛び降りられる高さではない。決して。