5.
縦襟の簡素な白い長衣に冴えた蒼い上着を革の腰帯でしっかり留め、白地に金糸で五大要素(光・地・水・風・火)の模様が刺繍された肩掛けを羽織っている。
そして髪は長くても短くても額と耳を出し、その額には細い銀の額飾りをつけている。
これが彼ら、シン=クナ神殿の神官たちの出で立ちであった。
サクラたちは大聖堂の《白亜の間》という、高い天井と十本の柱が無秩序に並んでいる広い空間を神官たちに挟まれた格好で静々と歩んでいた。
その天井や壁面、柱には細かな飾り彫りと鮮やかな彩色で外壁と同じく華美な印象を受けるが、壁の上部に透かし彫りが入れられているため、中は光が模様を描いて照らされ、光と影の演出効果なのか荘厳かつ神秘的であった。
奥の巨大な祭壇に向かって人々が思い思いに跪き祈りを捧げられる場を、一行は奥へと進んでいく。幸い祈ることに集中しているのか誰もこちらに関心を示さなかったが、サクラは心中穏やかではなかった。
注目されるのに苦手意識を持っているという性格もあるのだが、腕にしっかり抱えた小犬の容態が心配で気が逸るばかりだったのだ。歩きながらも何とか止血剤を飲ませようとしたのだが、やはり内臓が痛んでいるらしく吐き出してしまう。
本当ならすぐさま人目のつかないところへ行き、ユキナに法術を施してもらえば何とかなると思うのに、はがゆいことに今は迂闊に行動できない。
少しの希望として、ここが神殿であるならば、そしてこの神官たちが小犬に気をかけてくれるなら、彼らに施術してもらうことが可能かもしれなかった。法術、薬術は彼らの得意分野だ。
それくらいの奉仕は神殿なら当然の行為といえるはずだった。
しかし、サクラは彼らに安心して任せられる要因を感じ取ることができなかった。先ほどの警備員たちを簡単に退けたあの威圧感。自分が知っている神官とは印象が違う。
サクラは肩に意識を向け気配を探るが、ユキナはまんじりと身動きひとつしない。
一体何を考えているのか。
そのうちに《白亜の間》を通り過ぎ、祭壇を回りこんでさらに奥の通路へ入るとすぐに中庭へ抜けた。
開けた視界にまず眼に入ったのが、鬱蒼と葉を茂らせた巨木であった。
あまりの大きさに呆けた顔で見上げていると、前を歩いていた神官(今サクラを取り囲んでいる神官たちの中では最高位であろうと思われる)が、ふいに振り返り一礼した。
ようやくサクラは相手の顔を認識した。
一番に眼が入ったのは、肩よりも短い亜麻色の髪。色みも綺麗だが細く艶やかな質感は女性なら羨むほど美しく見えた。髪の印象と同じく顔立ちも中性的で目元に穏やかな雰囲気と知性を感じさせる。なるほど、神職者としても教育者としても慕われそうな感じだ。
「こちらは我が神殿の御神木として人々を守護していただいている《光柱の樹》でございます。私たちはこの御神木によって術力を増強し、あらゆる問題に役立てているのです。――さ、小犬をこちらへ」
「え?」
ふいに横合いから腕を差し出された。隣にいた神官の一人が白い布を広げて小犬を乗せるよう促したのだ。
サクラは躊躇した。思わずユキナを振り返る。
すると突然、ユキナが羽ばたいた。
サクラも神官たちも一斉に注目し、ユキナが巨木に向かったと見るや神官たちが駆け寄ろうとした。彼らの動きにサクラは慌てたが、正面の神官が鋭く彼らを制した。
「お待ちなさい。動いてはなりません」
そうして不安げな表情のサクラに向かってふわりと微笑んだ。
「心配は要りません。御神木はすべての生命に優しく豊かな心で接します。動物たちはそれを敏感に察するのでしょう。あなたの鳥は御神木にご挨拶に行ったのかもしれませんよ」
冗談めかして言ったのだろうが、サクラは真に受けなかった。
そもそも姿は鳥でも中身は“ユキナ”なのだ。彼女が何をしでかすかわかったものではないし、それに対して御神木とやらにどんな影響を与えるかしれない。
(何する気よ~。頼むから面倒なことしないで、早くこの子を治療させて)
悲痛な思いでユキナの動きを追った。
ユキナは御神木の周りを一度旋回すると、太い幹の中腹に大きなうろができているのを見つけてそこに降り立った。いくらもしないうちに出てくると、ゆっくりとサクラたちの頭上を流して静かに彼女の肩へと降り立った。鳥らしくいかにも満足気に喉を鳴らし、くちばしで羽を突つくときょとんとした表情を作っている。傍から見ればただの鳥の仕草だ。何の不信も感じさせないだろう。
だがサクラの耳はユキナの囁きを逃さなかった。
「気をつけな。あの巨木はそんなたいしたもんじゃない」
どういうことか問い質したかったが彼らの前では無理な話だった。
亜麻色の髪の神官は、ごく自然にユキナの様子を見て笑顔のまま頷いた。
「ご挨拶が済んだようですね。さあ小犬を治療しましょう。あまり放っておくと手遅れになってしまいます」
仕方なくサクラは小犬を手渡した。治療をしてくれるのは確かなようだし、巨木はともかくこの神官の能力如何によって術の性能が変わるのが本来の見極め方だ。とりあえず神殿の面目上、能力値の高い法術士であろうと思った。
白い布にくるまれたまま、小犬は巨木の根元へと置かれた。
「では法術を施します。御神木のお力をお借りして細胞水準からの再生と免疫力を高めます。あとは小犬の本来の本能へと精神を導き生への執着心を増幅させれば回復へと向かうでしょう」
はがゆいくらいのんびり説明をすると、亜麻色の髪の神官が前に進み出て軽く両手を広げた。
術語の独唱が始まる。
辺りの空気が一変して緊張感が高まる。周りの神官たちは眼を閉じ独唱に合わせて呼吸を安定させている。サクラも不安を感じたままだったがそれに倣うしかなかった。
術の発動中というのは、術者の集中力を乱さないことより、その場に居合わせた者は大気の変動に身を委ねる、もしくは独唱に耳を傾け雑念を払うことを心がけるようにする。そうすると自分自身にも自然の恵みを分け与えてくれると言われているのだ。事実、疲労が取れたり痛みやかゆみが治まるなどの初期症状には効果があるらしい。
緩やかに穏やかに流れる旋律。美しくはあるが、どこか一定して固い印象を受ける。
(普通の神官さんだもんね。ユキナさんみたいに大きく意識が広がっていく気持ち良さまでは感じられないかな。大神官の位を得ている人と比べちゃ悪いわね)
やがて、透き通っていた空気がやわらかくなり、現実のさまざまな思念が混在した世界へと戻った。
「――終わりました。幸いにも臓器に大きな損傷はなかったようです。痛んだ箇所を払拭し接合して細胞を活性化させました。早い段階で新しい壁が生まれるでしょう。あと骨が数ヵ所折れていますが、これもつなぎ合わせましたので、小犬の体力が回復すれば自然と治癒力が高まり強化されていくでしょう。しばらく安静が必要ですが、御神木がたくさんの力を小犬に分けてくださいましたから、もう大丈夫ですよ」
優しく微笑みながら小犬を手渡す神官に、サクラは安堵して深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。助かりました」
「お礼などよろしいのですよ。これも私たちの使命のうちなのですからお気になさらず。――それよりも先ほどは警備隊の方々に詰問を受けていたようでしたが、よろしければご相談に乗りますよ」
さあ、こちらへと、どこへ促そうというのか、神官たちはまたサクラたちを囲んで歩き出し始めた。慌てたサクラは強引にその輪から抜け出そうとした。
小犬の治療をしてもらったことには感謝するがこれ以上は関わりたくない。
「いえっ、大丈夫です! あの、この子を治してくださって本当にありがとうございました。えっと、失礼だとは思いますけど、これを受け取ってください」
すばやく懐から銀貨を数枚取り出し治療代金として渡そうとした。しかしそれは、あっさりと却下された挙句、やんわりと腕を取られて逃げるのに失敗してしまう。
強引に引っ立てられていると言っていいんじゃないかという状況に、サクラは大いに焦りユキナは(どんくさいやつ……)と呆れながら、でも助け舟を出してやろうとしない。
「そろそろお昼時ですし、昼食などいかがです? こちらの食堂では、学生のために食材を充実させておりますし、料理の種類も豊富に取り揃えておりますよ。その席でゆっくりとお話いたしましょう」
優しげな表情と声音で話す割にやっていることはあまりにも強引だ。神官が何のためにここまで執拗に構おうとするのか。
(まさか警備隊の男たちと関わりあいがあるなんてことは……あったらやだ~)
サクラはほとほと困り果てながら一応神官に言ってみた。
「あの、さっきの人たち、たぶん何か誤解されたんだと思うんです。きっと今頃はもう他に手がかりが見つかってるんじゃないかと。ですから」
「そうかもしれませんね。彼らのお仕事は真相を究明するための調査ですから、何事も疑ってかかるのは致し方ないことでしょう。ところで何を誤解されたんですか? あなたが何か罪になるようなことを仕出かすようには見えませんが、何かの事件に巻き込まれたとか?」
墓穴を掘ったようである。
余計に神官の探究心をくすぐったようであった。
「そういえばすっかり名乗るのを忘れていましたね。私はシン=クナ神殿第二神官長の補佐を務めておりますフヨウと申す者です。以後お見知りおきくださいませ」
亜麻色の美しい髪をした神官はとろけるような笑顔をサクラに向けた。
サクラの言動の優柔不断さは今に始まったことではないが、彼女はどうも自分から事態の深みにはまる傾向があるようだ。
この日は結局、食堂に始まって敷地内の建物を隈無く案内され、神官たちが取っ替え引っ替えやってきてはサクラの相手をし、しかもみんな姿の綺麗な男性ばかりでまるで別世界状態だった。
まさか女性が珍しいのかと自棄に思ったサクラだったがそれはあり得なかった。神官にももちろん女性がいるからだ。
ユキナには彼らが別の目的を持ってサクラに近づいていることはありありと感じていたが、口も手も挟むつもりはなかった。
何か考えがあるに違いないが、まったく助けてくれないユキナを憎らしく思いつつ、サクラは鈍さ加減も手伝ってどう対処すればいいかわからずに半泣き状態になっていた。
その様子を屋根の上から密やかに窺っている者がいる。
小さな影はじっとサクラを見つめながら、呆れた溜息をついていた。