戦闘部隊と買い出し隊長
この作品は、Web拍手お礼SSとして2018.06.25~07.25に掲載後、こちらに再収載した作品です。
今年の春、俺は無事に卒業したが、自身は入社に向けての準備と通勤に便利な場所への引っ越し作業、父さん達は医院を閉める事に加えて移住作業諸々で忙しかった結果、実家に出向かなかった。
その代わり、ゴールデンウイークに気晴らしも兼ねて、両親の移住先に出向いてみる事にしたが……。
最寄り駅に、特急が止まるのは良しとしよう。しかし、そこからバスで三十分とか、更にバス停から歩いて十分とかって、一体何の冗談だ。
「還暦前に早期リタイアして、残りの人生は悠々自適の生活って、何なんだよ。しかも、牧歌的な風景に囲まれて過ごしたいだなんて……、物には限度って物があるだろうが!?」
辛うじて舗装されている道を、スーツケースを引きずりながら口から漏れ出るのは、愚痴以外の何物でもない。だが、周囲に家もまばらなこの状況では、誰も俺を責める事は無い筈だ。
「……ただいま」
「太郎、遅かったわね。迷わなかった?」
「連絡が多少悪かったが、バス停からは迷わなかった。一本道だったしな。何を血迷って、こんな何もない所に……」
十分な敷地、と言うか、裏庭から山に繋がっているような立地の家に辿り着き、門から広い庭を抜けて玄関に到達すると、両親が出迎えてくれた。しかしここで思わず愚痴を零すと、父さんがしたり顔で自慢してくる。
「何も無いのが良いんだろうが。裏に畑も作っているぞ。どうだ、羨ましいだろう?」
「言ってろよ。……ところでミミとハナは?」
父さんには、もう何を言っても無駄だと諦めながら、いつもなら迎えてくれる猫達の所在を尋ねると、母さん達は困ったように顔を見合わせてから説明してきた。
「それが……、迷子みたいなの」
「は? 迷子?」
「三日前、母さんが窓を開けていたら、そこから抜け出して戻って来なくてな」
「それまでは時々抜け出していたけど、庭の中だけで遊んでいたし、呼べばすぐに戻って来ていたんだけど……」
最初は呆気に取られていたが、事の次第が分かったと同時に、俺は声を荒げて二人を問い質した。
「ちょっと待て! それじゃあまさか、本当に二匹とも丸三日行方不明なのか!?」
「そういう事になるな」
「どうしようかしら。警察に捜索願でも出す?」
「警察で猫は探さないと思うが。ポスターでも作るか?」
「そんな悠長な事を言っている場合か!?」
「にぎゃあぁ~っ!」
「にゅあぁ~っ!」
緊張感と切迫感が希薄な会話をしている両親に、俺が苛つき始めたその時、家の奥から二匹の鳴き声が聞こえてきた。
「え? ミミとハナか?」
「帰って来た?」
「どこだ!?」
慌てて靴を脱いで上がり込み、両親に続いて奥に進む。先を見据えたのかバリアフリーの廊下を進み、リビングの引き戸を開けると、奥のウッドデッキに繋がる掃き出し窓の向こうに二匹が並んで座り、こちらに向かって「開けてくれ」とでも言うように鳴いているのが目に入った。
「こら、ミミ、ハナ! お前達三日間も、一体どこをほっつき歩いて……」
こちらの家には猫用の出入り口を作らなかったのか、駆け寄った窓のロックを外して室内にミミ達を入れようとした俺は、ロックに手をかけたまま固まった。
「太郎、どうした?」
ミミ達を見下ろしながら動きを止めた俺を不審に思ったのか、後ろからやってきた父さんが声をかけてくる。それで俺は、その理由を告げた。
「……父さん、母さん。どっちも顔が血まみれだ」
「はぁ?」
「血まみれって、怪我してるの!?」
「普通に歩いてるけどな……」
なかなか俺が窓を開けないので、猫達はその前をうろうろ歩き回ったり、窓に寄りかかって足で引っかいたりしている。
「な~う」
「にゅにゃっ!」
二匹はどこからどう見ても元気そのものだが、口の周りや身体の所々に何かの血がこびり付いて固まっている状態に、一体外に出ている間に何があったのかと、俺の顔は強張った。しかし豪快、と言うよりは無頓着と言った方が当てはまる両親は、当初の驚きが過ぎ去ってから、顔を見合わせて平然と頷く。
「怪我はしていないみたいだな。血が付いているのは主に顔だし、返り血みたいだぞ?」
「一体、何と戦って来たの? 凄いわね」
「感心する所じゃないよな!? 余所様の飼い犬や飼い猫相手にバトルして、向こうに大怪我を負わせていたら、どうする気だよ!?」
「取り敢えず洗うか」
「そうね。血が固まって、毛が痛みそう」
「ほら、開けたぞ。ミミ、ハナ、付いて来い」
「そうよ。美人が台無しだわ」
「にゃあ~」
「うなぁ~」
「だから、心配する所が違うよな!?」
いそいそと窓を開けて二匹を招き入れ、風呂場へと先導していく両親を見送った俺は、相変わらずだと呆れると同時に、一気に脱力してソファーに寝転がった。
猫達にとって、環境が良いだと? やりたい放題じゃ無いか!? 飼い主なら、ちゃんと責任を持てよ!
リビングに戻って来たら、色々と言ってならねばと思いながらも、どうやら結構疲れていたらしい俺は、そのままあっさり眠りに落ちてしまった。
両親の新居に帰省した翌朝。俺は朝食後に台所に立ち、後片付けをしている母さんを手伝いながら問いかけた。
「母さん。こんな不便な所で、一体どうやって生活してるんだよ? 周りに店一つ無いじゃないか」
ここに来る道すがら考えていた事を正直に口にすると、母さんは苦笑いの表情でスポンジで洗った皿を俺に手渡しながら、事も無げに告げる。
「ここから車で十分位の所に、郊外型のショッピングモールがあるのよ。広くて、かなりの数のテナントが入って品揃えは十分だし、結構流行っているんだから」
「買い物はともかく、通院とかは?」
「町中に行けば一通り揃っているし、大丈夫よ」
「そうは言ってもな……。この環境で上下水道が完備してあるのが、奇跡的だと思うぞ?」
「本当にね。さすがにガスはプロパンだけど、『住めば都』と言うし、どうとでもなるわよ」
「全く……。父さん以上に、母さんは剛胆だよな」
これまで生活に必要な物や施設が、周囲に粗方揃っていた恵まれた環境で暮らしていたから、こんな不便な所に引っ越す羽目になって母さんがキレて、熟年離婚とかになったら洒落にならないと密かに心配していたのだが、それは杞憂に終わった。
徒歩圏内にコンビニが一軒も無い環境だなんて、俺だったら絶対発狂する。
手伝いが終わったので、俺の部屋兼客間の畳に転がりながらそんな事をしみじみと考えていると、朝食の後に姿を消していた父さんがいきなり現れ、前置き無しに言い出した。
「太郎、安心しろ。ミミ達の戦った相手が分かった」
突然現れた事にも驚いたが、俺は言われた内容に眉根を寄せながら上半身を起こした。
「いきなりなんだよ? それに、どうして相手が分かったんだ? 相手の飼い主から、抗議の電話でもあったのか? それでどうして安心できるんだよ?」
「いや、うちの畑から裏山に繋がる道沿いで、鳥が死んでいた。……臓物が引きずり出されて、何かに食われた形跡がある」
「……え?」
良く見れば父さんは作業着らしき物を着込んでおり、本当に農作業をしていたのかと納得した半面、物騒な内容を聞かされた事で、顔が引き攣ったのを自覚した。
「そう言えば昨日戻って来た時、ミミ達の身体に、羽根の切れ端みたいな物が付いていたような……」
「取り敢えず鳥の遺骸は、そこに穴を掘って埋めてきた。母さんには内緒にしておいてくれ」
「そうだな。畑には母さんも行く事があるだろうし、そんな物を目の当たりにした日には、卒倒しかねないぞ。しかしミミとハナに言って聞かせても分かる筈が無いし、どうする気だ?」
「せっかく広々とした所に引っ越してきたのに、家の中に閉じ込めておくのもな」
「……猫の生活環境だけじゃなくて、世間体も考えろよ」
父さんと取り敢えずの方針を確認したが、相変わらずの猫優先主義に俺は頭痛を覚えた。しかしそこで、そんな物が綺麗に吹き飛んでしまう悲鳴が響き渡った。
「きゃあぁぁぁ――――っ!!」
「何だ! どうした!?」
「母さん!?」
慌てて父さんと二人で声の聞こえた方に駆けつけると、リビングで窓の方を向いていた母さんが振り返り、俺達に向かって動揺しながら何かを指さして訴えた。
「あ、あなた、太郎! あああれっ! 鼠!!」
「え? 鼠なんて、こっちに来てから何度も見た……」
「鼠位で、どうしてこの世の終わりのような悲鳴を……」
母さんの指先を追い、掃き出し窓に視線を向けた俺達は、母さんを宥める台詞を口にしながら固まった。窓の向こうのウッドデッキには、野鼠らしい物体を加えたハナが、誇らしげに後ろ脚を付けて座っていたのだ。
「にゃっ! なうっ!」
「…………」
更に咥えていた鼠を目の前に置き、窓に歩み寄った俺達を見上げたハナは、声を上げながら尻尾を振った。
「ハナ……。お前、まさかそれは、母さんへの貢ぎ物のつもりか?」
再び頭痛を覚えながら俺が問いかけると、ウッドデッキの向こう側からミミが飛び乗って来た。
「うん? ミミも帰って……」
そこで父さんは再び口を閉ざし、母さんは逃げ腰になりながら呟く。
「それ……、蛇、よね?」
「毒は無さそうだな」
「にゃうっ! にゃ~っ!」
ハナと同様、ミミも俺達の前で咥えてきた体長五十センチ程の蛇を放し、得意げに鳴いた。それを見た俺は溜め息を吐いてから、窓のロックに手をかける。
「とにかく、二匹を入れるぞ。獲物は放したし。父さん、これの後始末を頼む」
「ええ、そうね」
「分かった」
両親が頷いたのを見てから、俺は慎重に窓のロックを外し、猫を招き入れた。
「お前ら……、たった三日で野生化するなよ……。こら! 血まみれの顔で、顔を擦り付けるな! 俺のジーンズがっ!?」
愚痴まじりの叱責など分かる筈もないとは思っていたが、この馬鹿猫どもは返り血の付いた顔を、俺の両脚に擦り付けやがった。
普段はそんな可愛い事はしていないのに、どうしてこういう時だけやらかすんだ!? それとも、俺の脚は雑巾代わりなのか!?
「取り敢えず美味いものを食わせて、当面、外に狩りに行くのを止めさせよう。俺、車で買い出しに行って来るから」
「そうだな、頼む」
「お願いね」
取り敢えず、すぐに実行可能な対策を考えた結果、俺は買い出し部隊の隊長となった。