ほだされたらしい
この作品は、Web拍手お礼SSとして2018.05.12〜05.25に掲載後、こちらに再収載した作品です。
春休みになって帰省する前、俺は忘れずにペットショップを訪れて店員に相談し、ミミとハナへの土産を購入した。
「ただいま」
「お帰りなさい。ちゃんと二人にもお土産を買ってきた?」
「二人じゃなくて二匹だろ? ちゃんと買ってきたよ。喜びそうな食い物」
「それなら良かったわ。ちょうどご飯時だし、それをあげてくれる?」
「分かった」
ちょっと高めの値段設定だったキャットフードは、半生タイプの防腐剤無添加で店員一押しの物で、正直「たかが猫の餌に、これだけの金を払う事になるなんて」と腹が立ったが、前回の負い目もあり文句は口にせず、二匹の皿に均等に入れてやった。
「お~い、ミミ~! ハナ~! 飯だぞ~!」
「にゃあ~」
「うなぁ~」
どうやら食事の時間だとは分かったらしく、二匹はどこからともなく俺の前に現れた。猫だから空腹には勝てないらしいとほくそ笑みながら、俺は二匹の前に皿を押し出す。
「ほら、食え」
「…………」
しかしミミ達は皿の中身を凝視し、次いで顔を突き出して匂いを嗅ぐ動作をしただけで、それ以上反応しなかった。
「あれ?」
そのまま一分程観察してみても、状況は全く変わらず、ちょうどそこに来た母さんに尋ねる。
「母さん、二匹とも餌を食わないんだけど。腹が減って無いんじゃないか?」
「そんな事は無いわよ。太郎ったら、変な物を買って来たんじゃないの?」
「何だよ。じゃあ、ちょっと見てくれよ」
何て言われようだと腹を立てながら、俺は開けた缶を母さんに手渡した。それをしげしげと眺めている母さんに、再度尋ねてみる。
「ほら、ちゃんと期限内の、結構良い猫缶だろ?」
「そうねぇ」
そして母さんも首を傾げる中、ミミとハナは母さんに歩み寄り、まるで催促でもするように前脚でその足を軽く叩きながら鳴いた。
「なぅ~ん!」
「にゃあ~ん!」
「あ……」
「どうかした?」
そこで何やら思い付いたらい母さんに尋ねてみると、母さんは申し訳無さそうな顔で言い出した。
「太郎、ごめんなさい。タイミングが悪かったわ」
「だから何?」
「昨日、お父さん用に買った大トロが余ったから、夜にそれを食べさせて、今朝は貰い物の結構良い干物を焼いたから、それを食べさせたの。それで味をしめて、普通のご飯じゃ嫌だって言っているのかも……」
それを聞いた俺は唖然とすると同時に、猛烈に腹が立ってきた。
「猫に何を食わせてんだよ!?」
「ごめんなさいね。ほら、ミミ、ハナ。今日のご飯はこれだから。これを食べなさい」
「うなぁ~ん!」
「にゃっ! ふにゃあ~!」
母さんが屈んで皿を押し出しながら言い聞かせているが、相変わらず猫達は皿に見向きもせずに母さんに鳴いて訴えている。
「……ムカつく猫どもだな。また煙を吹きかけてやるぞ?」
「太郎、止めなさい」
思わず悪態を吐くと、母さんが窘めてくる。益々面白くなくなった俺は、相変わらず媚びを売っている猫と母さんに背を向けて、さっさとその場を後にした。
「太郎。いつまでもふてくされていないで、夕飯を食べなさい」
「……分かったよ」 俺が部屋でふて寝をしていると、夜になって母さんが不機嫌そうに呼びに来た。正直まだ腹の虫が治まってはいないが、つまらない事で母さんを怒らせたくは無い。
「全く……、獣の分際で生意気な」
悪態を一つ吐いて起き上がる。それで(物の分からない生き物の事だ)と自分自身に言い聞かせ、一階へと降りて行った。
そして両親と夕食を食べ終え、ソファーに座ってテレビを見ていると、いつの間にか足下に、ミミが音もなく来ていた。
「あ? 何だ、ミミ。何か用か?」
黙って俺を見上げてくるミミに、素っ気なく言い放つと、彼女は小さく尻尾を振ってから俺の左足に前脚をかける。
「みゅぅ~」
「え? 何なんだ? おい、ちょっと待て! 穴を開けるなよ?」
俺の左足に上がったミミは、そのまま小さな爪を出してジーンズに張り付きながら、スルスルと俺の左脚を登って来た。
そして膝に乗ったと思ったら更に前進し、俺が着ていたセーターの裾から中に潜り込む。
慌てて声をかけたものの、ミミはセーターに潜り込んだままピクリともせず、咄嗟に対応に困った。
するとその一部始終を向かい側のソファーに座って眺めていた両親から、笑いを堪える口調で声がかかる。
「太郎のお腹が温かくて、気持ちが良いんじゃない?」
「俺はこたつの代わりかよ?」
「単に、毛布代わりじゃないのか?」
「あのな!?」
「みゃっ。なうぅ~」
「……え?」
俺は思わず声を荒げたが、ここで足下から小さな声が聞こえてきた。反射的に目を向けると、先程とハナと同様に、ミミが俺の右脚をのそのそと登っているところだった。
「あら、ハナまで来たわ。珍しいわね」
「本当だな。いつもは太郎の事を、毛嫌いしているのに」
そんな事を言っている間に、ハナもミミと同様セーターの下に潜り込んで丸まった。
「どうするんだよ、これ?」
セーターを軽く捲り上げながら両親に尋ねたが、明らかに猫優先の答えが返ってくる。
「太郎。そのままごろ寝しても良いが、寝返りは打つなよ? 下手するとミミ達を潰す」
「俺が毛布代わりなのは、構わないのかよ……。退けろよ」
「気持ちよさそうにしているんだから、放っておけ」
「本当に最近、俺の扱いって雑だよな!?」
「一応、ミミ達も気を遣って、ご機嫌を取りに寄って来たんじゃない? ご飯を貰ったし」
「猫の気の遣い方なんか知るか! しかも迷惑かけられて、機嫌が良くなるわけ無いだろ!?」
ひとしきり文句を言ったものの、二匹は俺の腹にもたれ掛かりながら微動だにせず、結局俺は溜め息を吐き、二匹がセーターから出て行くまで暫くの間ソファーに座り続ける事になった。
「ミミ、ハナ! 飯だぞ! こっちに来い!」
「にゃ~ん!」
「みゃあ~!」
ムカつく事は色々あったものの、所詮は獣だ。チョロ過ぎる。
何回か餌をやっただけで、あっさり俺を飼い主の一員だと認識したらしい猫達が、呼びかけに応じて嬉々としてやって来るのを見ながら、俺はほくそ笑んでいた。すると背後から、両親の笑いを含んだ声がかけられる。
「短い間に、すっかり慣れたわね」
「やっぱり動物だよな。食べ物をくれる相手には、すぐ懐きやがって」
「お前も結構単純だよな。あっさりほだされるとは」
そこで聞き捨てならない台詞を耳にした俺は、目の前で一心不乱に食べている猫達から父さんに視線を移した。
「ちょっと待て。一体誰が、あっさりほだされたって? 纏わりついてくるんだから、仕方がないだろ? 俺は動物を虐待する趣味は無い」
「それは良かったな」
「そうね。虐められる心配が無いミミとハナの為にも、身内から犯罪者を出さないで済んだ私達の為にも」
「言ってろ」
また猫達に向き直った俺だったが、背後から両親がニヤニヤした笑いを向けてくる気配を察した。
別に俺は、こいつらが結構可愛いとか憎めない奴とか思って、あっさりほだされたわけじゃないんだからな!?
「よし、ちゃんと食ったな。それならこれから遊んでやるぞ?」
「にゃにゃ~ん!」
「うなぁ~ん!」
ふっ……、やっぱり単純な獣だな。こんなもので狂喜しやがって。
背後から取り出した釣り竿型の玩具を目にしたミミ達の、喜ぶ様子を見ながら、俺は思わず失笑した。
「ほらほら、しっかり見ろよ?」
「みゃっ!」
「ふにゃっ!」
俺が動かすフワフワの毛玉の動きを追い、飛びつこうとするミミとハナ。そうはさせじと、結構真剣に手を動かしていると、父さんが思い出したように声をかけてきた。
「そういえば太郎、お前、就職先は決まったんだよな?」
そんな今更の事を問われ、俺は猫達に視線を向けたまま、呆れ声で返す。
「ちゃんと知らせておいただろう? 忘れたのか?」
「聞いているし、覚えている。こちらに戻らずに、向こうで就職するんだよな?」
「幾ら来年の話とは言え、息子の就職内定先位覚えていてくれよ。それにまさか今になって『やっぱりこっちに戻って就職しろ』とか、言い出さないよな?」
「それは無いから安心しろ。……寧ろその方が好都合だからな」
何やら急に父さんが小声で呟いた為、聞き取れなかった俺は尋ね返した。
「うん? 父さん、今、何か言ったか?」
「いや、何でもない。独り言だから気にするな」
「そうか?」
そこで会話は終了し、俺は猫達と遊ぶことに神経を集中させた。すると玄関のインターフォンが、呼び出し音を響かせる。
「はい、今出ます」
相手を確認しながら短く応答して玄関に出向いた母さんは、すぐにリビングに戻って来た。
「太郎、ちょっと運ぶのを手伝って。一人だと重いし、玄関にあるのよ」
「何だよ。今、遊んでいるところなのに……」
水を差されて気分を害した俺だが、母さんの手に余るもの物まら仕方が無いと、重い腰を上げた。
ミミとハナも不思議そうに俺の後を続き、一団になって玄関に出向くと、見慣れないパッケージの結構大きいダンボール箱が届いていた。
「……何、これ?」
「キャットタワーの組み立て部品よ。リビングに運んで組み立ててね?」
「は?」
確かに箱の側面に印刷されている写真は、垂直に伸びる支柱に様々な形の板や箱状の物が、ランダムに階段状に接続されている物で、それを見た俺は顔が引き攣るのを感じた。そこに父さんの、のんびりとした声が割り込む。
「いやあ、ミミ達が喜ぶだろうとは思ったが、結構かさばるし組み立てが面倒でな。お前が帰ってくる日程に合わせて、配送を頼んでおいたんだ。せっかくだから今日中に頼む」
「これ位、自分でやれよ!」
「いやぁ、寄る年波で、最近細かい物が見えなくてなぁ~」
「現役耳鼻科医が何をほざいてんだ!? この藪医者!!」
……結局、この父親に何を言っても無駄だと悟った俺は、全部リビングに運び入れ、早速設計図を見ながら組み立てを始めた。
「なぁ~」
「みゅ~」
当初は、どうして遊んでくれないのかと不審そうに俺の、周りをうろうろしていた猫達だったが、組み立てていた物の形状が明らかになるにつれて、明らかにそわそわしてテンションが上がっていった。
「にゃっ!」
「みゃ~っ!」
「あ、こら! おとなしくしてろ! まだ組み立てている途中なんだから! 重い!」
まだ組み立て前の筒の中に潜り込むわ、支柱にネジで接続している時に強引に飛び乗ってくるわ、やりたい放題である。そしてかなり二匹に邪魔をされながら、何とか立派なキャットタワーを完成させる事ができた。
「ふぅ……。完成。ミミ、ハナ、どうだ?」
「みゃあ~っ!」
「なうっ! ふにぁっ!」
「おう、大人気だな」
聞くまでも無く、ミミ達は大興奮でそれに飛び上がり、駆け下り、潜り抜けてご満悦だった。
「にゃっ! なあっ!」
「ぬぁ~ご。にゅにゃっ!」
「お~い。二人とも、そろそろ下りてこないか?」
「ににゃっ!」
「にゅあ~ん!」
「…………」
暫くして、そろそろ俺が遊んでやるかと声をかけても、全く見向きもせずに遊び続ける二匹。
……怒るな、俺。相手は、物の分からん猫にすぎん。
「太郎、お茶でも飲まない? あら、ミミ達は?」
「遊び疲れて寝てる」
「あらあら。もしかして太郎、無視されちゃったとか?」
「……構わないけどな」
全力で遊びだ挙句に疲れ果て、寝床で爆睡しているミミとハナを見てから、俺に視線を移した母さんは、苦笑の表情になった。別に、猫に無視された事を、気にしてなんか無いからな。
「ミミ、ハナ、飯だぞ」
「にゃあ~!」
「なぉ~ん!」
その日の夜も声をかけると、猫達は素直にすり寄って来た。そして早速うまそうに食べている二匹を見下ろしながら、思わず悪態を吐く。
「お前ら……、絶対俺の事を、餌を運んでくる下僕かなんかだと思ってるだろ?」
「にゅあっ!」
「なうっ!」
まるで「そうだよね」とでも言うかのような鳴き声に、俺は思わず吐き捨てた。
「……つくづくムカつく奴らだな」
「猫相手に怒るのは止めなさい」
「怒ってない!」
「怒ってるじゃない」
「怒ってるよな?」
父さんと母さんがコソコソ言い合っているのに、余計に神経を逆撫でされた。
全く、どうしてくれようか、このバカ猫ども。
ムカムカしながら夕飯を食べ終えた俺がリビングに戻り、ソファーに腰を下ろして休んでいると、母さんがかなり分厚いゴム手袋らしき物を差し出してきた。
「ほら、太郎。これを填めて」
「何だよ、これ」
「抜け毛取りだ。よろしくな」
「はぁ? 何をどうしろと?」
「それで、身体を撫でるだけで良いから」
「撫でろって……」
母さんが差し出した物を右手に填める間に、父さんがミミを抱えて来て俺の膝に乗せる。何やら同様の事をされた事があるのか、ミミは暴れもせずに大人しく膝の上で丸まっていた。
「お? なるほど、抜けてる。しかし、随分おとなしいな」
一撫でして毛袋の掌側に、猫毛が付いているのを見て納得した。それに脚に感じる重みと体温が、結構心地良い。
「よし、ミミはもう良いだろ。下りろ」
「にゃっ!」
「次はハナだ」
「俺は世話係かよ……」
「ぶちぶち文句を言わないの」
「全く、しょうがないな……」
「なうぅ~ん」
満足そうに鳴くハナも堂々と俺の脚の上に居座っており、俺は少しの間撫でてやった。
別に世話係で良いと納得したわけでも、懐柔されたわけでもないんだが、一応家族みたいなものだから、世話をするのは当然だからな!
そう自分自身に言い聞かせると同時に、帰る日が近付くにつれて、猫達に構う時間が増えているのを、俺は自覚していた。