未知との遭遇
この作品は、Web拍手お礼SSとして、2018.09.04〜09.15に掲載後、こちらに再収載した物です。
生後十ヶ月の翔を連れて実家に出向いた時、さすがにバスだと色々不安だったので最寄り駅からタクシーを使ったが、俺の心配は杞憂で終わりそうだった。
「そろそろ着くぞ」
「翔、もうすぐにゃんにゃんに会えるわよ~」
「にゃ~にゃ!」
分かっているのかいないのか、佳代の呼びかけに上機嫌で応える翔。
翔にはこれまで、母さんから送られてきたミミとハナの画像や動画を折に触れ見せていたが、果たしてきちんと認識できているかどうかは、怪しいところだ。
「いらっしゃい。小さな子供連れで、道中大変だったでしょう?」
「良く来てくれたな。さあ、上がって上がって」
「お久しぶりです。お邪魔します」
玄関で出迎えてくれた両親は、佳代に抱かれた翔を見て笑み崩れる。それに苦笑しながら俺は足元に視線を向け、両親と同様に俺達を出迎えてくれたミミとハナに声をかけた。
「おう、お前達も達者で何より。元気なのは良いが、暴れすぎるなよ?」
「にゃう~ん」
「なぁ~ご」
まるで「分かってるわよ」「余計なお世話」とでも言っているようにミミ達が応じ、俺は苦笑を深めた。すると佳代が抱きかかえる向きを変えた拍子に、視界に猫達が入った翔が、佳代の腕の中から身を乗り出すようにしながら甲高いを上げる。
「にゃにゃ~!」
「あ、ちょっと翔! 大人しくして!」
「みゃっ?」
「うみゅ?」
慌てて佳代がしっかり抱きかかえるのと、ミミとハナが反射的に見上げたのがほぼ同時だった。そして佳代の腕の中の翔を見て、何やら対応に困ったように動きを止める。
「翔は父さんと母さんには生後五日目の時と、二ヶ月前に会っているが、お前達とは感動の初対面だな。佳代、翔を下ろせ」
「ここで? リビングに入ってからでも良いじゃない」
「いいから」
「全くもう」
ぶちぶち言いながら、佳代は玄関の上がり口に翔を下ろして座らせた。とっくに首が座り、腰も安定している翔は、身体の斜め前に両脚を出して、危なげなくお座りしている。
「ミミ、ハナ。俺の息子の翔だ。よろしくな」
「にゃ~!」
「……なぅ?」
「にゅぁ……」
軽く翔の頭を撫でながら声をかけると、翔は機嫌良く声を上げた。対する二匹は真正面に座りながら、自分達と座高がさほど変わらない新たな登場人物について、理解不能な様子で視線を彷徨わせている。
そんな一人と二匹の対比をみた両親は、笑いを堪える表情で囁き合った。
「二匹とも、随分戸惑っているな」
「本当ね。これまで赤ちゃんは見た事が無い筈だし。無理もないわ」
「私達とは全く違う生物だと、思っているかもしれませんね」
「そうかもしれないな。取り敢えず、さほど警戒はしてはいないと思うが」
佳代も交えてそんな会話をしながら様子を眺めていると、ハナが行動を起こした。
「にゃ~にゃ!」
「なうっ!」
「にゃ~?」
手を振った自分を無視し、背を向けて奥のリビングに向かって歩き出したハナを見て、翔が不思議そうに小首を傾げる。それを見た佳代が小さく笑った。
「あらあら……。ハナは、端から翔を相手にする気は無いみたいね」
「佳代……。誰が上手い事を言えと……」
「え? 何が?」
「……何でもない」
素でキョトンとした顔になった佳代から、俺はさり気なく視線を逸らした。
そうか……、さっきの台詞は無意識だったか。
「にゃんにゃ」
「なうっ」
それから全員でリビングに移動したが、ハナとは逆に、ミミは興味津々で俺達に付いて来た。その前に再度翔をお座りさせてみると、少しの間両者はまじまじと見つめ合ってから、お互いに手と足を出したり引っ込めたりして遊び始める。
「にゃっ」
「てって」
「にゅあっ」
「とうっ」
「お、二人で遊び出したぞ?」
「父さん、一人と一匹だ」
「やっぱりミミの方が、面倒見が良いみたいね」
しかし本当に、あっという間に意気投合したな。種族を超越した交流の始まりか?
「にゅぅ」
「にゃんにゃ~、みゃあ~」
手足を取り合う遊びに飽きたのか、翔がいきなり前傾姿勢になり、ミミに抱き付く。当然支えきれなかったミミは抱き込まれ、翔はそのまま床に横から転がった。
「みゅぎゃ!?」
「にゃっ! きゃははははっ!」
「にゃうっ!」
「にゃんにゃ?」
ミミを両腕で抱えたまま、上機嫌で床に転がる翔。さすがにミミも迷惑そうな顔になって、スルリと翔の腕から抜け出した。
しかしその際にも、翔の様子を見ていると、引っかかれたり噛みつかれたりはしていないらしい。……ミミ、やはりお前はできる女だな。
「あらあら、楽しそうね」
「翔も、猫を間近で見るのは初めてだから。生き物では無くて、動くおもちゃだと思っているのかもな」
「動くおもちゃか。そいつはいい!」
「本当に、ミミが一匹欲しいです。翔の世話と家事で、猫の手も借りたいですし」
「太郎の手は文字通り、猫の手以下でしょうからね」
「違いない!」
「……悪かったな」
父さんと母さんが爆笑し、佳代が若干冷めた目を俺に向ける……。
ここで下手に弁解すると確実に立場が悪化するのが分かっていた俺は、余計な事は口にせずにやり過ごした。
「にゃんにゃ~」
「みゃ~っ」
ここで翔がまた捕まえようとハイハイでミミに近寄ったが、ミミは絶妙な距離を保ちつつ歩き始める。
「お、動き出したぞ?」
「翔君、ハイハイが随分速いわね」
「少し前から伝い歩きも始めましたが、まだ速く移動するのは無理ですから」
「しかし飽きもせず、良く動き回るよな」
「今のうちに佳代さんは、一息入れて頂戴」
「そうさせて貰います」
どうやらミミは迷惑をかけられても、翔の相手をするのは続けてくれるつもりらしい。
俺達が座っているソファーセットの周りを、ひたすらぐるぐると回り始めるミミと翔。
お前は本当に世話焼きだな、ミミ……。偉いぞ。そう言えばハナの奴、自分一人だけどこにトンズラしやがった?
のんびりとそんな事を考えながら、暫くの間他愛もない事を話しつつ茶を飲んでいると、俺達にとって完全に予想外の事が起こった。
「みゃっ? うなぁぁ~っ! にゅにゃ~ん!」
何やらソファーの向こうで、ミミが常には聞かれないような、切羽詰まった鳴き声を上げたのを耳にした両親は、背後に向き直って背もたれの後ろを覗き込んだ。
「うん?」
「ミミ、どうかしたの?」
しかし次の瞬間、二人が血相を変えて勢い良く立ち上がり、慌ててソファーを回り込んだのを見て、俺と佳代も腰を浮かせた。
「翔! 大丈夫か!?」
「翔君、どうしたの!?」
「え?」
「翔がどうかしましたか?」
「佳代さん、大変! 何があったのかは分からないけど、翔君が倒れているわ!」
「さっき変な鈍い音がしたが、何かにぶつかって脳震盪でもおこしたのか!?」
「何だって!? だがそんな所にぶつかる物なんて、何も無いだろ!?」
俺も慌てて駆け寄ると、確かに狼狽えているミミの横で、翔が突っ伏して微動だにしていない。さすがに俺も血の気が引いたが、俺の横から進み出た佳代が、しゃがみ込んで翔を抱き起こしつつ、しげしげと眺め下ろしながら口を開いた。
「これは……。すみません。翔は単に、お昼寝をしています」
「……はい?」
もの凄く間抜けな顔で、間抜けな声を上げた母さんを、父さんも俺も笑ったりしなかった。その戸惑いは、全く自分と同じ物であったから。
そんな俺達に対して、佳代は真剣そのものの表情で説明を続けた。
「翔はオン、オフの切り替えが極端で、寝る直前まで元気良く遊んでいるタイプなので。多分、夢中になってミミを追いかけ回しているうちに体力が尽きて、突っ伏した拍子に床におでこか肩でもぶつけて、そのまま熟睡したのだと思います」
何だそれは……。力尽きるまで遊んだ挙げ句に、いきなり爆睡するってアホだろ。
「本当か? そんな所、俺は今までに見た事が無いが」
疑わしげに俺が尋ねると、佳代からは冷気すら漂う眼差しを向けられた。
「太郎は今まで、力一杯翔を遊ばせた事が無いのよ。せいぜい気が向いた時に、三十分位相手をするだけで。後はほったらかしだし」
「…………」
途端に両親から、若干責めるような眼差しを向けられ、俺は閉口した。
すると何か? 翔はいつもこんな感じで全力で遊んだ後は、いきなり事切れた状態になるのかよ?
確かによくよく見ると翔の奴、何とも緊張感の無い顔で、すぴーすぴーと規則正しい呼吸をしているよな……。
「あの……、佳代さん。本当に大丈夫?」
「はい。完全に熟睡モードですし、呼吸にも異常はありませんから」
「言われてみればそうね……。それなら急いで隣の和室にお布団を敷くわ」
「お願いします」
母さんと佳代の間でそんな会話が交わされ、翔を抱えたまま佳代と母さんが移動すると、父さんが豪快に笑った。
「あっはははは! いやぁ、これは参った! 翔は遊ぶのも寝るのも豪快だな! これは将来、絶対大物になるぞ!」
「さり気なくジジ馬鹿を発揮するのは止めてくれ」
この間、困ったようにリビング内をうろうろしていたミミは、母さん達を追って隣室に向かった。何となく俺と父さんも、その後を追って移動する。
「なぅ~ん?」
「あ、ミミ。いきなり倒れて、驚かせちゃったわね。ごめんなさいね?」
「心配しなくても、翔君は大丈夫よ?」
敷いた布団の上に翔を寝かせた佳代と母さんが、眠っている翔の顔を覗き込むようにしているミミに、苦笑気味に声をかける。それでもまだ納得していないのか、ミミは布団の周りをうろうろしていた。
「翔君は本当に、気持ちよさそうに寝ているわね。見事なWM体型」
「ちょっと羨ましい位ですね」
「なぅ~ん」
そんな事を母さん達が話していると、寝ている翔の様子を窺いながら、そのすぐ横にミミがうずくまった。それを目にした途端、佳代が鋭い声で指示を出す。
「太郎! カメラ! 大至急!」
「何だよ? 翔が起きるだろう? 静かにしろよ」
「何を言ってるの! 奇跡のツーショットじゃない! これを撮らずして何を撮るの!?」
勢い良く翔とミミを指さしながら吠えた佳代に、何を言っているんだと呆れたのは俺だけだったらしく、母さんが弾んだ声で佳代に更なる提案をする。
「佳代さん! どうせならここにハナも一緒に並べたら、もっと可愛くなると思わない!?」
「そうしましょう!」
「あなた! 大至急ハナを連れて来て!」
「ああ、分かった!」
父さんまでいそいそとどこかに消えたと思ったら、すぐにハナを抱えて戻り、その間に俺は佳代にせっつかれ、デジタルカメラを荷物の中から取り出した。
「にゃ? ふぎゃ?」
全く状況が分かっていないハナを、ミミとは翔を挟んで反対側の布団に下ろし、父さんが頭を撫でながら言い聞かせる。
「ハナ。良い子だから、ここで少し大人しくしていろよ?」
「なぅ……」
ハナは戸惑いながらも、ミミと同様に布団にうずくまり、翔の顔を覗き込んだり、俺達を不思議そうに見上げたりした。
その様子を見た佳代が、身悶えしながら感嘆の声を上げる。
「くぅうぅぅっ、やっぱり可愛いっ! 奇跡のスリーショット! 何かのフォトコンテストに出しちゃおうかしら!」
「佳代さん、うちにもデータと焼き増しをお願いね?」
「お任せください。太郎、宜しくね!」
「……ああ」
結局、撮るのは俺かよ……。
周りの三人から期待の籠もった視線を向けられながら、俺は川の字になった一人と二匹の写真を、何枚も撮る羽目になった。
その中でも佳代お気に入りの一枚は、今でも自宅リビングのデジタルフォトフレームの中に、データとして残されている。