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91話 【毒見】の女

久しぶりに繋ぎ程度の小話を

「お茶をお持ちいたしました」


 給仕服を着ているわけでは無いが、秘書官のような立ち振る舞いの女がティーカップを男の前に差し出す。


「うむ」


 横柄にそれを受け取った男は茶を口に含むと、部屋に唯一存在する自分以外の人間を見やる。


――美しさよりも淫猥な女を雇ったが……それにしてもコレはそそる


 男――ドルザーグ・ボレノスは女を見ながら、この女は夜になればどのような嬌声を鳴り響かせるのだろうかと妄想を膨らませる。男を知らない顔をしつつも男を楽しませる体をする女を見ながら。


 ドルザーグは一介の領主である。

 一つの街を収める立場にいる男ではあるが、その内実ドルザーグの仕事は無い。

 領主という立ち位置は代々受け継いできたものであるためドルザーグに領主としての意義や誇りは無く、だが下民がいるという不遜な思いだけはしっかりと持っている。

 肉をたらふく食らい、酒を浴びるように飲み、そして女を抱く。


 しかし金に物を言わせて好きなように生きる彼に、忠告する者も進言する者もいない。

 それをすれば翌日には物言わぬ死体となることを誰もが知っているからだ。


 そして彼に味方する者も存在する。

 彼の私兵に与えられる給金は高い。

 世の中金こそが全て。

 金があれば人間の欲望の大抵は叶えられる。

 仕事に励んでいた両親が財産を貯蓄していたからこそ彼の使える金は豊富である。

 すでにこの世にいない家族のものは全てドルザーグが受け取った。

 ならば彼がどのように扱っても問題は無い……そうドルザーグは思っていた。


 受け継いだ莫大な財産を消費する一方で彼は領民から多くを取り立てることはしなかった。

 最低限……とまではいかないが、常識的な金額を収めさせる。

 抱きたいと思った女がいれば家族に金を渡し納得させる。


 この勢いでは向こう数年とかからずにドルザーグ家の金は無くなるだろうが彼はそうしたら命を絶つまでと思っていた。

 人生、毎日が絶頂。

 絶頂で無くなればこの世に未練は無くなる。

 楽しく毎日を生きることこそが人生を楽しむコツ。


 誰に恨まれようが、金を渡せばそれで大人しくなる。

 領税を高く集めないから領民の恨みを買うことも無い。


 そんなドルザーグ・ボノレスを知る者は彼を『欲望領主』と呼ぶのであった。


「今夜、儂の部屋まで来い。そうすれば金をやろう」


 仕事部屋とは建前であり彼はただそこにいるだけである。

 秘書とは建前であり彼を喜ばせるためだけにそこにいる。


「給金だけが高いここで職を得たということはお前も欲しているのだろう? ならば悪いようにはしない。相応の礼金は弾むぞ?」


 自分がどうしようもなく堕ちた人間であることはドルザーグも分かっている。

 だから自分に仕える者が金目当てであることも知っている。


「いえ……その……」

「何を恥じらいでいる。……いや、それもまた良しか。そのままでいい。体を金の為に儂に預けることに抵抗を持ったまま儂のモノになれ」


 名前は何だっただろうか。

 雇ったはいいが、この顔と身体しか見ていなかった。

 少し幼さを残した顔つき。

 肉感的な身体はしかし腰のくびれが蠱惑的な曲線を描いている。


 布数枚では隠しきれない『女』がそこにはあった。


「今更お前が自身を高尚だと思うなよ。儂の領民であるならば誰もが知っているだろう、儂の色狂いを。欲望というものは抑えつけられただけ反動として帰ってくる。お前がもしも自分の欲望を抑えているのだとしたら……ふふっ、今夜儂が解放してやろう」


 ドルザーグが領主となったのはここ数年のことだ。

 それまでは愚直に働く父親がドルザーグを働かせ、堅実な母親がドルザーグを監視していた。

 40も半ばを過ぎた頃にドルザーグはようやく両親という枷から解き放たれ、こうして自由の身となったのだ。

 ……僅か数年で貯めに貯めていた財産を吐きだしてしまったということでもあるが。


「困ります……私は夜には帰らねば……」


 尚のことドルザーグを拒むその様子に少しばかり苛立ちながら、


「……倍だ。今貴様が月毎に貰えるであろう給金の倍を今夜貴様が儂の部屋に来るだけで与えてやろう」

「……」


 顔を赤らめ俯く女にドルザーグは詰め寄る。


「貴様は幸運なのだぞ。ただの女なら金が欲しければ娼婦と成り下がるところを、こうして儂と一晩過ごすだけでそれ以上に金を得られる。なあ、おい。……ええと、キャシーだったか? キャシーよ、金は欲しくないのか?」

「……欲しいです」

「なら後は何を躊躇う。貴様は金が欲しい。儂は貴様が欲しい。それでいいではないか」


 もう少しだ、とドルザーグは手ごたえを感じる。

 後少し何か一言を投じればこの女は今夜、自分に向けて股を開く。

 そして、一度身体を許した女というものはその後、躊躇いや恥じらいというものが無くなる。


「……いえ。私が言いたいのは……」

「……?」

「今夜ではなく、今ということです」


 突如、ドルザーグの視界が塞がった。

 それは、キャシーがドルザーグと唇を重ねたからである。


――なんだ。とうにこの女は堕落しておったのか。


 キャシーの舌がドルザーグの口内をまさぐる。

 それは途轍もなく甘美で、痺れるものであった。

 これまでに味わった女達とは比べ物にならない程に。


――ああ、脳まで蕩けるようだ。接吻でこれならばあちらの具合は相当なものだろう。……ああ、痺れる。舌がしび……れ、る?


 感覚的に……というか物理的に。

 実際にドルザーグの舌が痺れていた。


 キャシーがドルザーグから口を離す。


「あ……あ……」


 キャシーを追いかけるように手を伸ばす。

 だが、キャシーへは届かず、ドルザーグはその場に倒れた。


「……ふん。私を金で買いたいのなら別の仕事で雇いなさい。こうして、あなたの部下がやったように」


 口から泡を吹いて倒れるドルザーグの傍で女はそう呟く。

 その幼さを消し去った顔は先ほどまでと打って変わって、『人を殺せる』人間の顔であった。


「お疲れ様です。報酬はここに」


 いつの間にか部屋に1人の男が入っていた。


「……部下に裏切られるとはこの男も惨めなものね。そこまで悪いことをしているようには思えなかったけど? いえ、金を至上としているから後腐れなく生きているように思っただけなのだけれどね」

「それはあなたが金で雇われる暗殺者だからです。義理や人情とまではいかないにしろ、感情論というものは誰だって持っています。毎晩泣く娘と金貨の入った袋を巡って争う両親のいる家がこの領地にどれだけあるかお分かりですか? 金で幸せが満たされるのであれば、金で失うものだってあるのですよ」

「ふーん……」


 男が熱く語るのとは別に、キャシーと呼ばれていた女は興味なさげに自分の爪を見ている。


「でも、それなら自分で殺せばいいでしょ? 私がわざわざ雇われてこの男を殺す手間よりそちらの方が楽なんじゃないの?」

「剣で斬ればその後が残ります。事故死に見せかけようとしてもこの男は屋敷から出ようとしません。毒は……効かないのですよ、この男には」

「……へえ?」


 それは聞き逃せないとキャシーはドルザーグの部下であった男を見る。


「スキル『除去』……とドルザーグは言っていました。毒を消すスキルであると。体から異物を取り除けるスキルであると。だから普通の毒は効かないのです」

「私も毒使いなのだけれど? もしかして、私をあわよくば嵌めようとか思っていたわけじゃないでしょうね」


 キャシーの眼光が鋭く男を貫く。

 すると、慌てたように男は取り繕う。

 

「そ、そんな……滅相もございません。噂で聞いたのです。あなたの毒は耐性関係なく効くのだと。どのようにして調合しているのかは存じませんが、スキルさえも無効にして毒殺できるのでしたらあなたに頼る他ございませんでした」


 それだけ追い詰められていたのだ。

 遠くないうちにこの領地は終わる。

 領主の財産が消えうせれば他の領主に取り込まれる。

 ドルザーグよりマシな領主であれば良いが……はっきり言えばそれ以下の領主の方が近辺には多い。


 だからやるしかなかったのだ。

 まだドルザーグ家に金があるうちに、新たな領主を立てる必要が。


「新たな領主の誕生というわけね」


 キャシーは部屋に設置されたワインセラーから一際高価なワインを取り出すと栓を開ける。

 それを2つのグラスに注ぐと、


「乾杯しましょう。この地に関係の無い私だって、それくらいさせてもらってもいいでしょう?」


 キャシーの差し出すワインを、しかし男は受け取らない。

 何やら渋い顔をして首を振る。


「やめてください。毒使いから差し出される飲み物など恐ろしくて受け取れませんよ」

「あら。私が依頼主に毒を盛るような女だとでも? ……でもそうね。それなら私が『毒見』をしてあげましょう」


 男に差し出していた方のワイングラスを傾けると、キャシーは喉をゴクリと鳴らす。

 ワイングラスの縁にキャシーの紅が張り付くのを見ると、それを拭き取り


「ほら、毒なんて入っていなかったでしょう?」

「……」


 男に向けて再び差し出されるワイングラス。

 ワインに毒が入っていないことは証明された。


 だが、それにも増して男はキャシーの機嫌を損ねることが恐怖であった。


 グラスを受け取ると


「……頂きます」


 キャシーはそれに合わせて自らのグラスを打ち合わせ、キィンと音を響かせる。


 男はグラスを傾けると、一息にワインを飲み干す。

 毒は入っていないだろうが、早く目の前の女と別れたくなったのだ。


――頼るのは間違いで無かったかもしれないが、こちらの素性を明かすべきでは無かったのだろうな


 そう思い、次の瞬間には男もまた倒れていった。

 それは、少し前まで雇い主であったドルザーグと重なるような位置で。


「馬鹿ね。毒使いがした『毒見』なんて信用するものじゃないわよ。それに、私の顔を見て生きていられるはずないじゃない」


 ドルザーグとその部下の男。

 2人の死体をそのままにしてキャシーは部屋を出て行く。


「……本業がせっかくお休みになったのに副業で金を稼ぐだなんてとんだ働き者ね私は。せめて使うような相手でもいればいいのに」


 ふと年相応な表情を見せた後に、キャシーはすぐさま顔から表情を消し去る。


 そしてキャシー――これ以降キャシーと彼女を呼ぶ者もいない。偽名なのだから――は二度とこの地を踏むことは無かった。


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