56話 翠の巨人 5
甘い誘惑という言葉にある見解をどうやら俺は考え直さなければならないようだ。
それは決して詐欺や欺瞞、あるいは堕落へ誘う甘言という意味だけではない。
甘言はあくまで言葉。耳を塞げば聞こえてくることはなく、言葉を知らぬ赤子は騙されることはない。
だがしかし、嗅覚へと直接的に刺激する甘い誘惑。甘味というやつは女子供だけではなく、意外と、と言うべきか屈強な男共にとっても贖いきれない魅力を持っていたようだ。
「な……なんだこりゃぁ」
「は、生えてくる……俺の体からどんどん木の枝が生えてくる……やっぱり間違いねえんだ。こいつを食べてから俺の体はおかしくなっちまった」
「だけどよ、止められないんだよぉ……、駄目だって分かっているんだけど食べちまうんだよぉ……」
いかにも、といった強面の男達が泣き叫びながら一心不乱に果実を貪り食っている。
その度に枝は成長し、男達は気が付いていないようだが皮膚が緑づき葉のような肉体へと変わっていく。
「……地獄のようだ」
地獄絵図とはこういうものを言うのだろうか。
地獄はいくつかの階層があるというがこれが最下層か。あるいはこれでも生温いのだろうか。
それは地獄に行かなければ分からないか。
「……氷魔法を使います」
連れてきていた魔法使いの女が青い顔をしながら男達へと冷気を仰ぐ。
話は通していたのだが、実際に見てみると想像以上だったというやつか。
……いや、俺だってここまで進行しているのは初めて見たが。
商会で果実を食った奴らは枝を生やしているだけであった。
食った量が違うのか、それとも込められている力の質が違うのか。
それだけ『翠の巨人』が力を取り戻しつつあるということでもある。
「何とか……終わりましたね」
冷気を当てられた男共は寒さに身を震わせる。
雪降る地方の風に似た温度の冷気は、それだけで枝を枯れさせ葉を朽ちらせた。
男の持っていた果実は萎み、やがて砂のように崩れていった。
「あ、ああ……俺のが……俺のがぁぁぁ」
「どうしてくれるんだよ! もう食べられなくなっちまっただろうが!」
「ひっ!?」
驚くべきことにとは言えない。
予想通り、あの果実には中毒性があったようだ。
俺もあの果実は一口だけならとかじってみたかったが、このような醜態を見せられたら躊躇せざるを得ない。
大の男共が果実を巡って女一人に群がっているのだ。
これが醜態でなくて何というのだ。
「……醜いな」
「あ? なんだオッサン」
「俺達が何だって?」
「そこの姉ちゃんはアンタの知り合いか? ならさっさと新しい果実を寄こせよ。アレだ、アレと一緒のやつだぞ!」
情けない。
まだあの果実に執着しているらしい。
先ほどまで嘆き悲しみながらも尚、果実を手放せなかった異常事態をもう忘れてしまったようだ。
体に生えていた枝葉がもう無くなっていることにも気が付いてないらしい。
「こいつらは売る価値もない。俺がスキルを使うまでもなく、無価値のようだ」
ため息を一つ付くと、男共に背を向ける。
まったく、時間を無駄にしたとしか思えない。
礼を求める気は無かったが、まさか文句を貰うとは思わなかった。
「行くぞ」
女魔法使いを連れ立て、歩き出す。
こうなってはキリが無いかもしれないが、目に入る果実は駆逐しつつ、『翠の巨人』を追うしかない。
幸いなことに、果実はどこからか自然に湧き出てくるものではなく、『翠の巨人』が配り歩いているということはすでに割れている。
こうして面倒ではあるが果実を食っている連中を辿っていけば追い付けるはずだ。
「おい、無視してるんじゃねえよ」
「待ちやがれ!」
背後から男達の怒鳴り声が聞こえる。
……やれやれ。
中毒性のある果実を食って知能指数が下がったのではないだろうな?
「まさか力の差すら分からんとはな」
「あ? ……な!?」
「あ、足が!? 足が動かねえよ!」
「固まってる!? 凍っちまって離れねえ」
俺の雇った魔法使いがただの魔法使いだと思うなよ。
特に、俺が連れて歩いているのだ。伝説に近い力を持つ『翠の巨人』を追っている俺が。
弱いわけがないだろう。
価値を正しく見極められる俺が、安い魔法使いを雇うわけがない。
「……申し訳ありません。少しの間そこでお待ちいただくことになります」
先ほどまで男達に怯えていた女魔法使い。
彼女はいつの間にかその表情を隠し、それどころか無表情に男達を見下して、見捨てた。
……先ほどのが演技なのか分からない。
ただ、女というものは恐ろしいというのはよく分かる。
価値が高い女は特にな。
それから何人かの枝葉を治療もとい消し去って『翠の巨人』を追った。
どうやらあの男達が例外だったようで、枝葉を無くし果実を消し去った俺達にこぞって頭を下げる。
食べているときはどうかしていた。
今となってはあれほど恐ろしい食べ物も無い。
どうか、この元凶を収めて欲しい。
……まあ、元凶というか何というか。呼びこんだのは俺だから俺が収めなければならないのだが、こうして礼を言われるとより義務感に駆り出される。
これも一つの呪いだろうな。弱者が相手の心に残そうと言葉で訴える呪いだ。
任せろとまでは言わずにやるだけやってやろうと残して俺達は次の場所へと急ぐ。
幸いなことに協力的な連中であったため、『翠の巨人』が向かった先も知ることが出来た。
これまで得た情報と照らし合わせてより詳細に、正確に奴を追うことが出来る。
女魔法使いは魔法を連続で使ったせいか僅かに疲労が見えている。
ここいらで休ませるか……? だが、その時間も惜しい。
「……」
短時間で熟考を重ね、一時的に休憩をさせることにした。
その間は俺の商会の人間どもに代わりに俺の警護をさせる。
魔法こそあまり上手く使えないが、それでも強さという点では先ほどまでの女魔法使いに引けを取らない。
剣技に秀でた連中が植物に対してどれほど効果的は分からないが。
「……ん? あれは……」
いくつか『翠の巨人』が拠点としているだろうと思われる候補が出てきたが、そのうちの一つに繋がる路地裏から見知った男が出てきた。
それはマイナスの価値を引き連れていた男。
確か名前は――
「貴様は確かシドウだったか」
貧弱であり凡弱。
一見すれば人畜無害とも見れそうな出で立ちの男。
しかしスキル【勘定】ではそこそこの価値がある。
下手な領主よりも価値の高い男であると【勘定】は断定した。つまりは、俺にとって利益を出してくれる男ということだ。
……マイナスを連れているからプラスマイナスゼロと考えても良いのだが、しかしなぜそのようなことになっているのかも興味はあった。
「グリセントか――」
よもや俺の名を覚えているとはな。
少し見直そうかとも思ったが、しかしそこから続けられる下らない言葉はやはり俺に曖昧な評価を許さないと【勘定】が言っているからだろうか。
「――そんなことはどうでもいい。それよりもお前、この辺りで緑色の肌……もしくは見た目が緑色をした者を見なかったか?」
本当であればこんな男に頼りたくは無かったのだが仕方がない。
弱みを見せればまた金を集られるだろうか。
ならば最小限の情報だけを与えて知らなければそれまでだ。
流石にこいつも『翠の巨人』に深く関わってはいないだろうし。
見た限りでは枝葉が生えているわけでもない。
少なくとも、こいつは食べてはいない。
それが分かれば、それだけ分かればそれでいい。
「いいや?」
案の定、こいつは何も知らなかった。
「それよりも聞いてくれよ、なんと――」
まだ何か言いたげであったが、こちらは生憎とそれほど暇ではないのだ。
むしろ一刻を争う程に忙しい。
……ああ、こいつの呑気そうな顔を見ていると腹が立ってくるな。
平和を何時までも当たり前に在り続けると勘違いしている市民。
むしろ対極にスリルを求めているタイプの人間だからこそ、緊急事態でこいつとあまり関わりたくはない。
これ以上引っ掻き回されたくはない。
「おい、行くぞ」
ここも外れだったか。
残りの候補はいくつあっただろうか……。
まだ何か言いたげなシドウを置いて俺は足早にその場から去ったのであった。




