18話 奴隷商会 3
「命を以てして償いたい。そう考える人間というのは間違いなく善人だ」
俺とシルビアのオーダー通りの奴隷を紹介するべく前を歩いているグリセントが言った。
どうしたんだ? そう尋ねる前にグリセントは次の言葉を発する。
「だが、実際にそれを行動に移す者は少ない。なぜならば、誰だって他人と自分を天秤にかければ自分の方へと秤が傾くのは当然だからだ」
「それは、そうだろうな。真の意味での悪人も善人も長生きはしない。そういうことだろう?」
何を言いたいかは分からないが、何を言っているかは理解できる。それには素直に同意できた。
俺の元居た世界でも歴史上においてそれは証明されてきた。
「分かっているじゃないか」
グリセントは笑う。
「突然どうしたんだ。話が見えてこない。それに長生きしないとは、どういうことなんだ?」
シルビアは首を傾げてこちらを見る。
まあ、普通は知らなくて当然か。ましてシルビアは他人の心なんて読めなさそうだし。
「善人とは他者の為に動く。自分の命よりも他人の命を優先する。そんなやつはどこにでもいるようなあり触れたやつの為に死んでいく」
「悪人とは自分の為にのみ行動する。他人に対して友愛の感情など抱かない。だから、誰にも助けてもらえずに全てを敵にしたまま死にゆく」
グリセントがシルビアにそう教え、そして俺がそれに続ける。
「どちらも愚かの所業だ。ほどほどの善人、悪人は逆に長生きするから面白いものだがな」
「確かにな。こういう商売をしていればそういったやつらは多く見る。真の悪人にも善人にも成りきれなかったやつらを。そういうやつらが何て呼ばれているか知っているか?」
グリセントの問いにシルビアは首を横に振る。
「一般市民だ。ごく普通にその辺にいるやつらこそ善人であり悪人なのだ。誰もが悪人にも善人にもなり得る可能性を持っている。だから、人間という存在はここまで多種多様であり十把一絡げでもある」
なるほど、と俺は思う。
グリセントの思考。それは俺とあまり変わらない。
ようは自分にとって損得があるかどうか。それだけで他人を図っている。悪人とか善人とか関係ないのだ。
悪人にしろ善人にしろグリセントにとっては等しく金を落としていく客なのだから。
「だから、どうしたのだ? そのような問答を私に言ったところで何になる?」
まあこれから奴隷を紹介されるのに悪人とか善人がどうたらという会話は関係がない。
そうシルビアが思っても仕方ないだろう。
「そう眉間にしわを寄せるな。仮面越しでも怒っているのは声で分かる」
「ならば話をとっとと進めるなり終わらせるなりしてほしい」
シルビアにとってこれから行われる奴隷選びは重要なイベントなのだろう。だから余計な会話で気が散るのを防ぎたいようだ。
俺としては気楽にやってくれという感じなのだがな。
「最初に言っただろう。命を以てして償おうとする者は善人でありだが実際に行動する者は少ないと。だが、必ず一定数いるのだ。行動に移す者は。それは真の善人であるかもしれないが、俺はあえてこう呼びたい。愚か者であると」
ピクリ、とシルビアのこめかみが揺らいだ気がした。
まさかグリセントの言葉に怒っているのか?
「愚か者なら、どうしたというのだ? 誰かに迷惑をかけているわけでもあるまいに」
「そうだな。迷惑はかけていないかもしれない。逆に、誰かの役に立っている。そう、俺の役にな」
俺たちは1つの扉に辿り着いた。
これまで見てきた扉の中でも異様なまでに重厚な作りになっている。
「紹介しよう。ここから先にいるのは他人の為に自らを差し出した愚か者、もとい真の善人だ」
扉の前に立っていた2人の男がその重そうな扉を2人がかりで押し開けた。
「随分と厳重なんだな」
「いやなに、身体能力の高い連中なのでな。脱走されても困るからどうしても警備も檻も頑丈にしなくてはならない」
身体能力の高い連中?
戦闘は出来なくても、家事全般だとシルビアが伝えていたはずだが。
「家事さえ出来ればそれでいい。そう言わなかったか?」
「ああ、言われたとも。そして興味深い。なぜそこまでして奴隷に拘るのか。どこぞの貴族だとしても奴隷を買う金があるのなら家政婦なりを雇えるはずだ。だが、それをしない……やらないのならば何か理由がある」
……予想以上に詮索してくるな。
奴隷を欲しい理由は偽ってはいない。
偽ったものは俺たちの身分。
貴族の使いではなく冒険者。
まあ別にここまでくれば冒険者でもいいかと思わなくもない。
そもそもで適当な奴隷を売りつけられないために貴族になりすましていただけだ。グリセントはそこのところはしっかりしている。冒険者だからといって適当なものを売ることは無い。あくまで囮として使うのであれば相応のレベルのものを用意するだろうが。
「……だが、これ以上は詮索はしない。お前たちがどうだろうと俺は奴隷を売るだけだ」
「それは助かるが、いいのか?」
「貴族だろうが、仮にお前たちが冒険者だろうが金を払うなら関係は無い。金は金であり、だれが払おうと俺の懐に入るのなら等しく俺の金になる」
……本当は俺たちが冒険者だということに気づいているんじゃないだろうな。
だが、その言葉を信じて良いのならば俺に被害は無い。
扉を開け、中に入ろうとした時、店員らしき男がグリセントに近づいてきた。
「グリセント様、用意が出来ました」
「分かった。それと、あいつらはいつ頃廃棄になりそうだ?」
「後三日間、持つか持たないかでしょう」
「ならばそれまで上等な飯を食わせておけ。最後の晩餐だ」
「畏まりました」
一言二言会話した後にその店員は去っていった。
「待たせたな。では行こうか」
「廃棄というのは、奴隷のことか?」
「ああ。病気のやつがな。精神的なものか元々持っているのかは分からないが、医者に見せることは無いから治らなければそれまでだ」
商品が悪くなればそのまま捨てる。
野菜や果物、肉なんかと一緒だな。
「……命を無駄にしているとは思わないのか?」
シルビアはグリセントの考えにはやはり異を唱える。
まあ俺も普通の考え方とは思っていない。必要な考えだと思っているだけだ。
「思わないな。むしろ奴隷業とは供給者から人を買い、需要を必要とする者に奴隷として与える。無駄など無い。世の中を支えるために必要な職業であると自負している」
「……」
ついにはシルビアは付いていけないとばかりに口をつぐんだ。
「まあそれはいい。お前たちに売る奴隷は廃棄用ではない。れっきとした俺が選び俺が売る一流の品物だ」
部屋に入ると灯が灯された。
「一人一人紹介していこうか。全部で4人、この中で気に入るのがいれば幸いだ」
そう言ってグリセントによって1人目が連れて来られた。
20代半ばだろうか。素朴な女であった。目元が優し気で、そこにいるだけで安らぎを与えてくれそうだ。
「シドドイ。とある山奥の村の出だ。村の人間が冬を越せるようにと自ら志願して奴隷となった。動物、魚を捌くことに関しても問題はない」
シドドイを見ると、こちらに微笑みを返された。
「シルビア、どうだ?」
シルビアに『鑑定』を使うよう促す。
「……そうだね、確かに私達が求める家事全般の能力は高いようだ。1つだけ、掃除に関しては低いのが評価を下げる点かな」
掃除か。グリセントは料理を得意分野として売るためにあえてそれを伝えなかったか。
俺はそこまで苦手ではない。だが、シルビアは苦手そうだ。イメージだけど。
「ではシドドイ、自分で自分を売ってみせろ。高く売れればそれだけ村が助かるぞ」
「はい! えっと、私はシドドイと申します。お料理は安い材料でおいしく作れます! お高い材料のものは扱ったことは無いですが、きっとすぐに慣れると思います。得意料理はお肉料理です。よろしくお願いします!」
最後にぺこりと頭を下げる。
性格は問題無さそうだ。料理が得意というのもポイントが高い。
だが、料理以外の情報が残念ながら伝えられてこなかった。
「候補には入れておくか。次を見せてくれ――」
そして残り3人。どれも似たようなものであった。
得意分野はあれど苦手分野もある。
「どれを選んでも一緒か」
「戦闘に関する能力であれば3人目だね。彼はドワーフの先祖返りだ。強靭な肉体を持っている」
「あいつか……」
下の毛も生えていないような年齢の少年に生えている髭。それがいかに精神にダメージを与えるか俺は今まで知らなかったらしい。
「俺の精神衛生上、止めておこう。……そうだな、戦闘如何はどちらでも良かったが、共にいるのであれば最低限身を守る術を身に着けているやつのほうがいい」
そして髭の生えていない少年が出来ればいい。
「ちなみに、こいつらはいくらなんだ?」
「値段を知らずに買おうとしていたのか? ……予算はいくらでもと言っていたからこいつらは特別高いが、まあざっとこんなものだな」
そういってグリセントが示した値段は俺の思っていたものの数十倍であった。
……シルビアさん、ちょっとしゅーごー。
「え、なんでこんなに高いの?」
「いや、相場はこんなものだぞ。少しばかり高い気もするがそれだけ彼らが大切に扱われているのだとすれば納得できる。……まさか、足りないのか? 私は今無一文だから貸せないぞ」
足りない。
これを買ったら明日から生活できないとかそういうレベルではなく、手持ちの金がすでに足りていない。
「……」
「……」
どうしよう……。俺達2人がお宿で1000日以上宿泊できる値段だよ。てっきり100日分かと思っていたのに。
「……あー、もう少し安めのを連れてこようか?」
空気を呼んでかグリセントがそう提案してきてくれた。
「それも、値段を聞いていいか?」
「というか、お前たちの予算を教えてくれた方が早い。それに見合ったものを連れてくる」
素直に、俺達の食事代と宿泊費数日分を抜かした金額を言うと、
「……それだと囮用のものしか売れないな。後は廃棄用か。あれらは使い捨てにする冒険者が多いから特売品なのだが」
ええい、もうこの際だ。廃棄用に期待をかけるしかない。
病気? そんなもの、医者に見せればいい。
「廃棄用だ。その中から家事の出来るやつ、そして出来れば多少は戦闘の心得のあるやつを頼む」
「分かった。それに該当する奴隷が1人……いや2人いる」
かくして、あれだけ予算に限りはないと格好つけていた俺達は、奴隷が思っていたよりも高かったというグリセントにこれでもかと格好悪いところを見せつけていた。
……興味深いといっていたあの目がいつの間にか哀れみの目に変わっていたのを俺は気づかないふりをすることにした。