139話 ダンジョン 7
【壺の間】
壺というものは入れ物だ。
そして同時に美術品でもある。
固体液体を収めるだけに留まらず、その見た目の美しさを競い、飾る。
俺たちは宝石の蒐集家である依頼人の下にこのダンジョンを潜っているのだが、壺という飾り物もそういった意味合いでは宝石と大差は無いだろう。
結局は、本来の用途を無視し、見て楽しむだけに留めるのだから。
「壺、ね」
「壺、だな」
俺とシルビアの掛け合いに特に意味はない。
ただ言ってみただけ。
それはこれまで通ってきたどの部屋よりも、名前だけならば脅威度が低そうだからだ。
【毒の間】、【闘の間】を始めとして、【火の間】や【剣の間】……他の部屋にて俺たちは傷つきながらも回復し、そして魔力を消費しながら進んできた。
どれもが一筋縄ではいかず、足止めを食らいながら思考し、そして対処してきた。
仲間がこいつらで良かった。そう何度も思わされた。
コネクトルがいたから、アバセルスがいたから、農業戦士がいたから、チャーミーがいたから。
ひねくれた俺ですら、情というものが沸いてくる。情の種類なんて分からないが。まあ愛情では無いだろう。同情も違うな。欲情も沸くはずがなく、恩情、あるいは義理人情なんてものかもしれない。
「壺と聞いて、何を思い浮かぶ?」
流石にここまでの試練を乗り越えてきた俺である。
部屋に入る前に慎重に、中を推察する。
「そうだね……これまでの部屋を見てきた限りだと、壺の中身が鍵ではないかと思うよ」
「壺の中身……毒とか入っていたりか」
「いや、別に毒とは限らないけど……そうだね。壺の中身を飲み干せとか、逆に満たせとかかな? 壺という入れ物の用途を示せという部屋なのだろうか」
「満たせ。誰かの血液だな」
「物騒すぎやしないかね?」
壺の中身はさておいて……いや、さておけるものではないにしろ、ここであれこれ言っていても見ないことには始まらない。
百聞は一見に如かず。
部屋に入ってから考えてもいいだろう。
「まずは部屋に入ろうぜ」
「だね。ここまでの共通点として、こちらから能動的に動かなければ何もしてこないというものがある。宝箱を狙わずに素通りすれば無害な部屋ばかりであった」
鎧の魔物とて、俺たちの挑戦を待っていた。
即ち、俺たちが立ち向かわなければあいつは戦闘を行わなかったということだ。
毒沼も宝箱までの道を覆っていただけで、他の出入り口は空いていた。
これまでの法則をこのダンジョンが守ってくれているならば、部屋に入ってすぐ何かあるということは無いのだろう。
「後ろも待っている。入ろうか」
休憩を終えた前線組+支援を得意とするコネクトル達は立ち上がり、俺たちと同様に部屋の入り口を見上げていた。
「壺……ねぇ。あまりいい思い出が無いわ」
コネクトルが苦虫を嚙み潰したような顔をする。
よほど嫌な記憶なのか、男を嫌いと話していた時よりも顔は険しい。
「……知り合いがね、壺に憑りつかれたのよ。いえ、凄まじく執着しているって言った方が正しいのかしらね。悪霊に憑かれたというよりも彼女が悪霊に……壺に向かっていっているのだから」
コレクター、ね。
生活が破綻する程に蒐集する異常者ってのはどこの世界にもいるもんだな。
「身を滅ぼしちまったのか?」
「一歩手前……かしらね。あろうことか身を売ろうとしていたから止めたけれど……」
男を嫌悪するコネクトルにとって、売春という行為は本当に信じがたい行動なのだろう。
そもそも、教会の聖女という立ち位置に属するのであれば、売春は否定すべき立場か。
「ともあれ、今は落ち着いている状態だけど……そう長くは持たない。私がこのダンジョンの依頼を国から受けた理由はそれよ」
不承不承といった感じであった。
確か、見つけた宝の山分けする内にコネクトルは入っていなかった。
それは国との契約内容なのだろうけれど、本音では少しでも多く欲しかったのだろう。
少しでも友人の助けになりたかったのだろう。
「働く。回復する。結局、私にはそれしか出来ないのよ。彼女の精神的病は治せない。だから、他の治療をして稼ぐしかない」
「なら、とっとと進むしかねえよな。成果を上げて帰らなきゃ金も貰えねえし、お友達を止めることも出来ねえんだからよ」
「言われなくても分かっているわよ」
コネクトルは部屋へと入っていく。
「壺……だか。おらも壺は使うだ」
「ふうん?」
農業戦士は【壺の間】と書かれた入り口を見て呟く。
「肥しは土にとってのご飯だ。集めるには壺が一番だ」
「ああ……そういうね」
「良いご飯を食べた人は良い肥しを生み出してくれる。そしたら良い野菜や麦が出来る。良いこと尽くしの循環だ」
「まあ、そうだよな。一概に汚いからって遠ざけようとする奴もいれば、糞便が何よりの宝だって言う奴もいるってことだな」
宝ってのは人それぞれ。
子が宝。土地が宝。ゴミが宝。
他者にとっては無価値でも当事者にとっては宝そのものというのはよくある話だ。
先ほどのコネクトルの友人も同様に、価値を知らない者にとって、蒐集される壺などいくらの価値にもないかもしれない。価値のないものに大金をかけるその友人に呆れる者は多いのだろう。それを見捨てないコネクトルは慈悲深いのか、それとも見捨てきれないだけか。
「だけんど、壺は壺だ。別におらたちは壺に拘りはしねえ。壺でなくともなんだっていいんだ」
最後にそう言って農業戦士は部屋へと入っていった。
「……壺ってなんですか?」
チャーミーはそれだけ言って入っていく。
俺にもよく分からない。
その言葉の意味も、壺が結局何を意味しているのかも。
「全部叩き割ればいいんすよ」
アバセルスは特に興味を示さないまま、入っていった。
「ですね」
スザルクも同意する。
「宝物であるなら持ち帰る。それ以外なら、また改めて考えましょう」
予想は予想。
すぐそこに結果が見えるのであれば、ここでもたもたしている必要もない。
最後に俺達3人も部屋へと入っていった。
「……壺、だな」
「……壺、だね」
部屋に入る前とほとんど似たような会話を俺とシルビアは繰り返していた。
入り口の立札を見た時と情報量がどれだけ増えたかと言われれば、壺が増えたと言うしかあるまい。
中央に座する宝箱を囲むように四方に鎮座する4つの壺。
どれも形は同じ。
形状から水壺だろうか。骨壺とかでは無さそうだ。
まあ、壺の種類なんざ俺には分からないし、どんな形状だろうと口の部分が液体用かどうかだろう。使い分けるにしても。
骨壺では無いだろうと思ったのも、大きさは人間の骨1人分にしては大きすぎるだろうと思っただけで、ドラゴンの骨とかになればまた別の話だ。ドラゴンに骨壺なんて必要か知らんが。
そもそもこの世界って火葬? シルビアは土葬だったが。
「持ち運びするには少し大きすぎるね。水筒にはなりえない」
「それに、美術的価値も無さそう。宝物の類では無いわね」
宝箱に入りきらなかったからそこに置かれている、というわけではないのか。
むしろその中身は壺とは比べ物にならないほどにオーラを感じる。
「どうやら、鍵がかかっているようだね」
チャーミーの人形で宝箱を調べる。
宝箱はオーク人形がいくら力を込めようとも開かず、どころかそこから動かすことすらできない。
鍵穴らしきものが見えるから、鍵を探せってことか?
「……壺も調べますか?」
「ん? ああ、いや……そっちは俺達で見るか」
どう考えてもヒントは壺であろう。
他に部屋の中には何もない。
壺をどうにかする。それで宝箱が開く。
これしか考えられない。
「……作者、陶芸家は書かれていないようだね。まあダンジョンが用意したものだ。そんなものを求めても意味は無い、か」
「いやいや、ダンジョン産なのか人の手が加わっているのかはまた別の話になるぜ? とはいえ、書かれていないならそれは宝箱を開けるのに不必要ってことなんだろうが」
もしくは製作者を言い当てろ、であったなら完全に詰んでいるが。
俺たちの中で最も詳しいのは、友人が蒐集家であるコネクトルくらいだろう。
一目見て大した価値が無いと分かるくらいには詳しいようだ。
「中身は……何も入ってないな」
一応全ての中身を見てみたが、その中身は空であった。
鍵が入っていれば楽であったが。
「では中身を満たしてみようか」
何を鍵として宝箱が開くのか分からない。
試行錯誤は必要だ。
間違いを前提として試していくしかないだろう。
シルビアの魔法で壺の中身を満たしていく。
水壺である、と直感的に壺の用途を推測した。
その直感が正しければこれで……
「何も起こらないね」
失敗だったようだ。
「というかこれ、水を入れるような壺じゃないでしょ。重いし、口が狭いから水を入れても出しようが無いじゃない」
「……おーくんならできます」
オーク人形はもういいんだよ。
というか、水壺じゃねえのか。
俺の直感……。
「……なんの壺なのかしらね、これ。思い当たるもの全てと微妙に違う」
「というと?」
「……分からないわ」
コネクトルはそれきり黙ってしまう。
「ひとまず水は消しておくよ」
シルビアが壺の中身の水を消す。
魔法で出したから消すのも楽なのだろうか。
というか、水は何から生まれているのか。
「空気中の水分を集めて水にしているんだ。その方が魔力の消費が少ないからね。反対に、今は空気中に水を拡散させた。別に閉じられた部屋ではないし、体感では分かりづらいと思うけどね」
へぇ。
部屋の湿度とか弄れるのか。
洗濯物干すのに便利そうだ。
「何もないところからこれだけの水を、ってのは空気の無いところでしか言えないな」
「言う場面あるのかな、それ。魔力があれば空気中からじゃなくても水は生み出せるし」
壺……壺……何もねえなぁ。
入れるものもどこにあるわけでもないし。
逆に壺をどこかに収納するわけでもなさそうだ。
「場所とかどうすか? ほら、黒魔法とか呪術系って儀式めいたことするじゃないっすか」
「円陣作るだな」
「なんだよ円陣って。魔法陣とかそういうのか?」
俺達で組んでどうするよ。
壺を並び替えるんだろうが。
「たとえば、一列に並べてみるとか?」
「ああ。並べてみると模様で文字とか絵が出来るってやつか」
……この4つを運ぶのか。
「重そうだし嫌だなぁ」
「声に出てるわよ」
「主張してるんだよ」
力のあるやつが4つ運べばいいじゃないかと思ったが、コネクトルが全員で運ぼうという委員長みたいなことを言い出して俺も力作業をさせられることになった。
「……無理だ」
4つのうち1つを運ぼうと力を入れてみたけど驚くくらいに持ちあがらない。
「……私でやっとくらいですね」
スザルクが壺に手をかけて力を入れるとわずかに持ち上がる。
……うーん、これは。
「はい全員2人一組になってー」
手を叩きながら集合させる。
はい皆集まってー。
俺とシルビア、スザルクとアバセルス、コネクトルとチャーミーがそれぞれ2人一組になる。
「リーダー」
「はい何でしょうか農業戦士君」
「おら1人なんだが」
農業戦士が1人余ってしまった。
まあ予想はしていた。だってこのパーティー、7人なんだからな。
「君は力があるだろう? よって、1人でもやっていけると判断したのだよ」
「そうだか?」
「ああ。張り切り給え」
「そうそう。私たちでは運べないけど、君なら1人でも壺を持てるだろう、農業戦士君」
「そっすね」
「同意ね」
「……です」
「なんだかやれる気がしてきただ」
俺たちの声援を背に農業戦士は力こぶを作る。
そして片手で壺を持ち上げた。
「おおー」
マジですごいな。
死体となったシルビアの力は期待できないが、スザルクすら持ち上げるにはちと不安が残る重さだ。
それを軽々と持ち上げている。
「どこに運ぶだ?」
「ではこの辺りに」
農業戦士を皮切りに俺たちも壺に手をかける。
ぐ……やっぱり重いな。
隣ではアバセルスが加わったことで余裕が出来たスザルクの姿が見える。
チャーミーとコネクトルの組み合わせも力不足と思っていたが、オーク人形がいるため、チャーミーもコネクトルも手すきとなった。
コネクトルが指示出しとなった。正直羨ましい。
「……なんでシルビアとコンビなんだよ」
「……それは私が言いたいよ。力無さすぎだよ、君」
お前もだよ。俺よりも力ある設定じゃねえか。
蘇生直後はすごい力発揮してたのに、なんだよ、なまったのか?
「ふざけてないで、ここに置いて」
コネクトルが俺たちに指示を出す。
よりにもよって一番遠いところじゃねえか。
後は俺達のを運ぶだけのようだ。
うんせうんせと運んでいたら、
「あっ」
その声を発したのは誰だったのだろうか。
俺か、それともシルビアか。あるいは周りにいた連中かもしれない。
俺とシルビアの手から壺が落ちた。
誰かが発した声と同時に、壺はあっけなく割れた。
ガシャン、と余すことなくその全てを砕けさせて地面にばらまいた。
「……あ、あーあ。やっちゃったなシルビア」
「そ、そうだねシドウ。君が力を抜くから……」
醜い俺とシルビアの罪の擦り付け合いが始まろうとしたときであった。
ガチャン、と音がした。
壺の割れた音よりも重厚な音。
その発生源は、宝箱からであった。
全員の視線が割れた壺の破片からそちらへと向かう。
「……もしかして」
慎重に宝箱に手をかけ、開けようとし――開かなかった。
「いや、開かねえのかよ」
何だったんだよあの音は。
……いや?
びくともしないわけではないな。
ガチャガチャと少し蓋が動きそうだ。
中でまだ引っかかっているという感じか。
「どうだ? 開きそうか?」
シルビアも気が付いたのだろう。
先ほどよりも宝箱の手応えがあることに。
「いや……まだ駄目だな」
足りていない。
壺が足りていない。
「あーあ。壺割れちまっただ。これ、宝箱もう開かないだか?」
「さて、どうなんすかね。4つあったのが欠けたっすから、どうしようもなさそうっすけど」
「……終わり、ですか?」
「……」
農業戦士とアバセルス、チャーミーが会話する中でスザルクは無言で何かを考えているようであった。
……チャーミーの言うように、本当に壺を割ったらその時点で詰みなのか?
これがゲームであったならどうだろう。
部屋を入りなおせばもしかしたら壺は復活しているかもしれない。
割っても割っても、いくらでもどこからか壺は再生する。
……ん? ゲーム……か。
「そうか……」
「そうだったのね。わかったわ」
コネクトルの行動は早かった。
同時に俺も動き出す。
どちらから合図をしたわけでもない。だが、2人で壺を持ち上げると、そのまま地面へと叩きつけた。
「ちょっ」
「いや、いいんだよシルビア。こうするのが正解だ」
割れた壺の破片が地面を更に彩る。
そして、宝箱から何かの音。
「そう。壺を割ることが正解よ。何かを入れるでもない、鑑賞するためでもない。割るために作られた。それがこの壺の正体」
儀式めいたというならば、壺を割る儀式とて存在する。
宝箱を開ける儀式は壺を割って完成する。
「意味深な並べ方をしても、これ見よがしに何かを入れる形状でも、それはただのフェイクだ。大事にするだけじゃない。物はいつか壊れるんだ」
「憑りつかれたように執着していても前へ進めない。ずっとそこに立ち止まることになる。進むためには壺を割って、捨てていかなきゃならないのよ」
残り2つの壺を割ると、今度こそ宝箱を開けることが出来た。
そこに入っていた瓶は、流石に割ることは出来なかった。中の液体を撒き散らすわけにはいかないからな。