133話 ダンジョン 1
【???/ほんの少し昔のこと】
本を読んでいた。
どこにでもいるような人間が書いたどこにでもあるような内容のものだった。
不思議と今でも記憶にこびりついている。
幾千と本は読んできた。愛読書は百を超えていた。
それなのに、タイトルも覚えていない本の内容だけが明細に覚えていられるのは、それ以降の記憶の衝撃の大きさと、短さ所以だろうか。
物音がした。
扉は鍵をかけて閉めたはずだ。
抜けている、とよく言われる私でも流石に戸締りくらいはできる。
これでも女であるという自覚もある。……年齢はおいておくとしても。
音の発生源は探すまでもなかった。
顔を上げた先、窓ガラスに反射する後ろに映る人影で間違いないだろう。
「誰かな? 今日は客人が訪れる予定は無かったはずだけど」
「……」
窓に映っているのは残念ながら影のみ。
普段から掃除を心がけておけば良かったと後悔しながら振り返る。
そして、私は納得した。
向けられている杖の理由もその意味も。
なぜ、ここに彼女がいるのかも。
ああ、こうして私は死ぬのだなと思った。
冷静に、ただそう受け入れた。
「……詰めが甘いよ。そこは風じゃないと」
「……っ!」
杖の先から放たれたのは火の魔法。
炎に体が焼かれる直前に吐いた嘆息はすぐさま焼き消された。
心なしか火力が強まった気がする。
……このままだと家ごと燃えてしまうかな。
せっかくの新築なのに勿体無い。
炎が骨さえ焼き尽くした後、杖を持つその人物は次いで自身に杖の先を向ける。
そして杖の先からは――
【シドウ/現在】
「指名依頼?」
「はい。隣の街でシドウさんが解決した【爆弾魔】の事件。その実績を聞いたとある貴族がシドウさんに是非とも、と」
【王国騎士十傑】とやらが捕まえたのだが、どうも俺の名前も一緒に知れ渡ってしまったらしい。
俺というよりも、俺の配下であるスザルクのおかげとも言えるのだが、スザルクは俺がいなければそこに存在さえしていなかったのだから……まあ俺のおかげか。
俺の活躍で【爆弾魔】事件は解決したと言ってもいいだろう。
あの時、数ある死体の中からスザルクを選んだ俺の慧眼が正しかったのだ。
名前が知れ渡ると同時に俺の冒険者ランクがまた上がったようで。
どちらかといえばサポートに向いた俺のランクが上がったところで実力に見合っているかと言われればそれはまた別の話。
スザルクとかシドドイの方が強いぞ。
シルビアも力を取り戻しつつあるし、アイとシーも何とかって化け物みたいな百足を倒したとか言ってたな。何であいつらそんなに血の気多いんだ。
あれ? 俺以外強いな。直接戦えば誰にも勝てねえや。
「どうされますか?」
狙ったかのように上目遣いで問うのはアシュリー。
いつも泊まる宿屋に冒険者ギルドから手紙が届き、赴いてみれば指名依頼があると言われた。
ギルドの奥まった部屋に案内された時は何をやらかしたかと内心びびったものだ。
「……依頼ってどんなやつ?」
最近忘れがちだけど、アシュリーの前では猫かぶってたんだっけ俺。
ふと思い出す。
その理由も忘れたけど。続ける意味も見つからない。
「残念ながら依頼内容は受けていただかないとお教えできないものでして……。というよりも、私も分かりません!」
「えぇー」
「受ける場合にのみ、このお預かりした手紙を渡せということなので」
「じゃあ、断る方向で――」
「あ、報酬だけ封筒の外に書いてありますね。希少価値の高い宝石と」
「受けようではないか」
即決即断は人生を大きく動かす。
人間に必要なのは思い切りだ。
なお、俺よりも思い切りの良いのがシルビアという人間である。
「シルビアさん、でしたか。宝石がお好きなんですか?」
「まあね」
シルビアとアシュリーってそこまで面識なかったっけか。
暇をしていたから連れてきたが、ここは共通の知人である俺のフォローが必要だろう。
「いや、好きというか集めているというか。今、強化月間なんだ」
「はぁ……」
アシュリーは何言ってんだみたいな目をしている。
俺も自分で何言ってんだとは思ったけども。アシュリーも俺に対して打ち解けたというか、本性を現し始めただろ。
ともあれ、アシュリーの視線はシルビアから俺へと移った。
「クナリスではお疲れさまでした。私は、直接は、聞いていませんけども。噂では聞きましたよ」
「お疲れというほど何もしていないんだよなぁ」
何もしていないから直接話すこともないし。
「依頼を受けるってことだけど、手紙はここで開封したほうがいいのか?」
「はい。依頼内容はこちらでも把握しておかないと、後で依頼主とシドウさん達で内容のすれ違いがあった場合に仲裁に入れませんから」
そういうことなら。
「依頼主は……アネミア・クレジッドって書いてあるな」
封筒を開ける前に小さくそう記されていることに気づく。
知らない名前だ。
また偉そうな名前しているから貴族なんだろうなと予想できるが。
「有名な貴族だね。【蒐集家】と異名を持つ老人だ」
「へー」
【食い倒れ】よりよっぽどマシな異名じゃないか。
というか、もしかしてこの街の有名なやつらって全員異名持っているのか?
ゴレンも自称か他称かは知らないがそれっぽいの言っていたし。
さて、開けるか。
どうせ行動を起こさないと新武器の素材は集まらないのだ。
アイとシーも頑張って【風魔鉄】とかいう石を持ち帰ってきた。
シルビアやシドドイは驚いていたし、スザルクも眼を見開くほどの価値があったらしい。
【竜牙木】も結局はスザルクに美味しいとこを持っていかれてしまったし、俺も少しは見せ場を作らないとな。
「一文目から報酬書いてあるぞ」
それほど報酬に自信があるのか。
「【暗黒の帳】……知らねえな」
しかしその自信も無知に対しては通用しない。
威圧を感じなければどんな猛獣の前だって通過していくように。
俺に報酬で釣るだなんて小細工が通じると思うなよ。
「君。それは黒や闇系の魔法を高めてくれる宝石だぞ。当然ながら武器の素材にもなる。杖とかに使えば君の魔法やスキルも成功率や効率が格段に良くなるはずだ」
「どんな依頼だって受けてやるぜ」
シルビアがこそっと俺に教える。
そして無知が知を得た時、その小細工は凄まじい攻撃性を持つことになる。
見事に一本釣りされた気分だぜ。
「依頼内容は……ダンジョンの攻略? 条件がスザルクの同行ってあるな」
この世界にダンジョンはある、らしい。
実際に見たことが無いからあまり現実味がないのだが、魔力が何かしらの理由で溜まると出来やすいのだとか。たいていは魔物が吸い取っていったり、あるいは発生したりとで発散されるのだが、偶発あるいは意図的に魔力を発散させられなかった時、ダンジョンはそこに作られる。
内部は魔物の巣窟。しかし、魔力を帯びた武器や宝石類も湧き上がる素敵な場所――そこに捨てられていた武器や落ちている鉱石が魔力を帯びた結果そういったアイテムになるという夢もないオチではあるのだが。
しかしなぜにスザルク?
あいつダンジョン関係で何かやったっけ?
むしろダンジョンの外で魔物倒していたと聞いているが。
「まさか……少し見てもよろしいですか?」
「ああ」
ダンジョンという言葉に引っかかったのかアシュリーが手紙を覗き込む。
【暗黒の帳】に少し訝しんでいるようだが、それはすぐにスルーし、依頼内容を追っていく。
「……やはり侮れませんね。【蒐集家】、恐るべきはその嗅覚でしょうか」
「どうしたんだ?」
「……この街の周辺にダンジョンが無いことは知っていますね?」
「ああ。実際に見たことないから忘れていたくらいの存在だ」
「あるんですよ、本当は。いえ、正しくはこれまでは無かったと言うべきでしょうか。2日前のことです。とある山のふもとに突如としてダンジョンが出現しました」