131話 アイとシーと奴隷 6
「アイ! シー!」
ロウガの声は届いたのか届かなかったのか。
暴風の中へ届いたところで何の意味があるのか。
それでも無事かどうか確かめずにはいられない。
風の中は先のと合わせて5匹の【サウザンドデスフィーラー】が大部分を占めている。
アイとシーの小さな体は見当たらない。
すでに細切れに刻まれてしまったのかと、ロウガの背筋を冷たい汗が辿る。
暴風が【サウザンドデスフィーラー】を切り刻み棘を落としていく。
悶え苦しみ、やがて1匹、2匹と息絶えていく。
「我らが大百足様が……」
「せっかく娘を集めたのに……」
老夫婦は大百足全てが死ぬ様を見て膝をついている。
「なんだか知らねえが、助かったみたいだ、な……?」
唐突に暴風が収まった。
その中央には【風魔鉄】を槌で砕き、斧で割るアイとシーがいた。
「……無事だったか」
なぜ無事なのか分からない。
小柄過ぎて、偶然にも暴風に当たらなかったのか。
「はい!」
「ロウガさんのおかげで勝てたね!」
そんな笑顔を見せる2人を見ていると、ロウガは2人に対して恐怖を抱く。
無邪気ともいえる笑顔が逆に恐ろしく見える。
なぜ笑っていられるのか。
下手をすれば死ぬかもしれないところに飛び込めるのか。
思えばいつからアイとシーはロウガに対して懐疑的な目を向けなくなったのか。
シドウという男に似ているとは言っているが、ならば尚更何か企んでいると疑うべきではないのか。
アイとシーは幾度か自身の命よりもロウガの命を優先する場面を見せていた。
果たして、今日出会ったばかりの、しかも第一印象としては最悪であろうロウガにそこまでの価値を見出せるだろうか。
ロウガが何を考えているのか疑うべきであるとアイとシーには思うが、ロウガはアイとシーこそ何を思い行動していたのか分からなくなる。
「どうしたの?」
「ご無事ですか?」
「ああ、いや……無事かどうかってんなら、お前たちの方こそ大丈夫かよ。よくあの中で傷1つな、く……!?」
アイとシーには傷1つ無かった。
暴風の中で付けられたであろう傷はもとより、これまでの【サウザンドデスフィーラー】やロウガの【友撃】で付けられた傷すらも無くなっている。
「……?」
「ロウガさん?」
アイとシーはロウガが2人が無傷であることを気が付いたことには気が付いていないようだ。
「いや……別に」
無傷の2人を相手にするのは【サウザンドデスフィーラー】5匹を同時に相手取るよりも勝ち目がない。しかも【友撃】を知られた後では余計に。
一応、この戦いの功労者でもあり、すでにロウガはアイとシーと争うつもりもない。
何を考えているか分からない2人を刺激したくはないし、味方として思ってもらえるならそのままでいてもらった方が互いに都合がいいだろう。
超回復に近いスキルでも持っていたのだろう。その副産物で痛みに強かったに違いない。
ロウガはそれで自分を納得させた。させるしかなかった。
「それにしてもシドウ様に指輪貰っておいてよかったね」
「うん。でも、またシドウ様に魔力込めてもらわなきゃいけないね」
ロウガの傍らで2人の少女はそれぞれ自身の指に嵌る指輪を眺める。
【音無しの指輪】。そう呼ばれるかつて巨人が守っていた宝物の一つである。
スキルや魔法を一つだけ込めることのできる指輪であり、シドウは事前に【メンテナンス】のスキルを込めていた。
体を暴風で削られながらも中央へと進み、完全に死体へと戻る前に【メンテナンス】で傷を癒し、【風魔鉄】を壊したのであった。
しかしそれはシドウにとっての秘中の秘。
アイとシーもその辺りはわきまえている。
だから、ロウガが何も尋ねないのなら何も言わないし、尋ねられても誤魔化す。
「……おのれ」
「よくぞ我らの尊き願いを」
ゆらり、と老夫婦は立ち上がる。
「ならば最後は」
「我らの手で!」
老人とは思えぬ速度でロウガへと走ると、その手に握っていた【サウザンドデスフィーラー】の毒棘をロウガへと突き刺した。
「……ぐっ」
「……うぐ」
ロウガと翁が倒れる。
1本はロウガが咄嗟に【友撃】でロウガ、アイ、シーという仲間と老夫婦という仲間でグループ分けし、嫗からの攻撃を翁へと肩代わりさせた。
だが、同時にダメージを返せないという条件があるため翁からの攻撃は自身で受けきるしかなかった。
「っ!?」
死ぬような毒ではない。
翁は麻酔系の毒であったのか、動かなくなったが痛みは無いようだ。
だが、ロウガは全身を耐えがたい苦痛が襲っていた。
汗が噴き出る。
熱いのか寒いのか分からない。
「ロウガさん!?」
「そんな……」
アイとシーの声が聞こえるが何を言っているか分からない。
「今こそ。今こそ我が刃は復讐を遂げる」
嫗は大ぶりのナイフを取り出す。
何やら勝ち誇った声が聞こえるが、それもロウガには届かない。
痛い。痛い。苦しい。苦しい。
ただ、苦痛の中で待ち構えていた。
「……遅かったじゃねえか」
「すまない。道に迷ってしまってな」
涙で霞む視界の中でロウガは御者マストックの姿を捉えていた。
「【薬毒】」
ロウガの全身を回る毒が全て取り除かれる。
どころか、全身を強壮剤が打ち込まれたかのような解放感で満たされる。
「そんな危ねえもの、向けるんじゃねえ」
嫗の腕を捻ると、ナイフを奪い取る。
「いやあ、助かった助かった。こういった手合いはお前がいないとやばいな」
「俺も一度刺されたがな。しかし毒よりも単純に刺された箇所が痛い」
「……理解不能。確かに毒の棘は刺さったはず」
「それは全て薬へと転換された。毒を薬に。薬を毒に。それが俺のスキル【薬毒】だ
」
マストックもまた【サウザンドデスフィーラー】の縄張りを踏み荒らす所以のスキルを持ち合わせていたに過ぎない。
攻撃を受け付けないロウガに対してマストックは毒を無効化する。
ロウガでも防ぎきれなかった時の保険でもある。
「痛みのショックで思い出したぜ、砂地の民。確かてめえらは、そこの大百足に若い娘を食わせることで使役するっつう最悪な民族だったじゃねえか。何が荒らした、だ。俺が荒らしたのは民じゃなくて儀式の方だわ」
心当たりが無いのは当たり前であった。
ロウガは孫娘という家族を攫われたことで怒るだろう人物を思い出そうとしていた。
だが、真実は儀式の際に用いる生贄を攫われたために老夫婦は怒っていたのだ。
「俺がやったのは、魔物に食われることで生贄になろうとした娘を奴隷とすることで有無を言わさずに生かしてやったことだ。正当な理由だと? てめえらの方が邪道な理由じゃねえか」
【サウザンドデスフィーラー】へ生贄という名目の餌を与えることで飼いならす魔物使いである彼らはその数と同じだけの娘を犠牲にしてきた。
部族外だけでは足りず、最後に残った自身の孫娘をも生贄に差し出そうとした儀式をロウガとマストックは邪魔をし、助け出したことがあったのだ。
「今どうしているのか知らねえけどよ、少なくとも死ぬよりは幸せになってるんじゃねえのか? まあ生贄を受け入れてたんなら辛い人生かもしれねえがな」
「そ、そんな……うっ……」
嫗が胸を押さえる。倒れた翁も何か苦しそうな表情を見せている。
「どうやら持病があったようだな」
度々老夫婦が飲んでいた薬はそれぞれ抱えている病の症状を抑えるものであった。
「く、薬を……」
嫗が自身と翁の懐から薬を取り出そうとしたとき、
「すでにその薬は毒へと変えておいた」
マストックの無感情な声で動きを止められる。
【サウザンドデスフィーラー】の毒を薬へと変えられるのであれば、老夫婦の薬を毒へと変えることも出来る。
持病に侵される体は終わらぬ苦痛を訴え始める。
「だけど別に俺たちは悪じゃねえからなあ」
ロウガは笑う。
暴風によって根元から折られ、地面に突き刺さった大量の【サウザンドデスフィーラー】の毒棘を見ながら。
「マストック」
「そちらもすでに変えてある」
ロウガは毒棘の1本を拾うと、嫗へと突き立てた。
「ぎゃぁぁぁぁ!?」
「おっと、外れちまったか」
嫗の悲鳴を気にせずに次の毒棘を手に取る。
「な、なにを……」
「薬って言っても、病の数だけ種類はあるだろう? 毒も然りだ。これだけの種類の毒が薬になったんだが、どれがお前らの病気に当てはまるか分からねえ。いずれは特効薬に当たるだろうからしばらく楽しんでくれや」
次々と突き立てられる毒の棘。
しかしどれも老夫婦の病には効かなかったのか、ただ苦痛を与えるのみ。
血管など関係なく無造作に突き立てらえるためただただ痛い。
小さく出血はしているが、薬となった棘の一本が止血剤となっていたのか出血量は少なく、より老夫婦の苦痛を長くする。
「なんか……」
「やっぱりシドウ様みたいですね」
やっていることは老夫婦の命を助けるという行為なのだが。
私怨も同時にぶつけ、楽しむ様をアイとシーは自身の主人の姿と重ねるのであった。