130話 アイとシーと奴隷 5
「まずは戦力の確認からだ。お前たち、どのくらい動けるんだ?」
手足が奇妙に曲がっているくせに走り逃げることが出来ていたアイとシーにロウガは尋ねる。
戦力として数えていたロウガであったが、怪我の具合から見て本来の力を十全に引き出せているとは言い難い。
これ以上、どの程度の傷を負えば動けなくなるのか。
それを知っていなければまともな戦闘も行えないだろう。
「んー。あと一回、あの虫の攻撃を受けたら動けなくなるかな!」
「あの棘はどうにかなるでしょうが……これ以上の物理的なダメージはあまり良くないですね」
毒は問題なくても、あの巨体から繰り出される攻撃は確かにロウガでもまともに喰らえば致命的だ。
「よし分かった。同時には難しいが、どちらかが攻撃を食らう際は俺がどうにかしてやる。だから、攻撃を受けていない方が確実にあの百足野郎を始末してくれ」
とはいえ、現在は逃走中でもある。
この地下通路内の道に明るくないため、脳内地図で一度通った場所はマッピングできても、知らない道がどこに通じているかまでは分からない。
すでに引き返したところまではたどり着いており、ここから先はどこに出るのか分からない。
もしかしたら、あの老夫婦に通じる道に出るかもしれない。
「一応、尋ねておきますけど……本当にあのお爺さん達の言っていた孫娘さんには心当たりがないんですね?」
「んー……まあ、な」
否、心当たりが多すぎて見当が付かないといった方が正しいだろうか。
あの娘も、この娘も、あの時の娘も……挙げだしていけばキリがない。
「本当に?」
シーからの視線がいたたまれず、ロウガは分かったよばかりにその心当たり全てを白状する。
「だがよ……荒らしたってのは本当に心当たりがないんだぜ。それも恨まれるようなことをだな、俺はやった覚えがない」
「でも、私たちを捕まえようとしたときは魔物を使ったじゃないですか」
「旅している人たちから攫ったんじゃないの?」
その言い方をされてしまっては、真実であるからロウガは頷かざるを得ない。
「いやでもなぁ……娘、娘……娘を虐待していたあの両親? それとも30下の娘を許嫁とか言っていた頭のいかれた親父か?」
ああまでして、孫娘のためと怒り覚悟を決めて恨みを晴らしに来るまでの心当たりはない。
「ん? でもあの時の娘は……いや、今は村に戻ったって話だし……。ならあの川決壊時の娘は……確か冒険者になったって話を聞いたし……」
心当たり全てを紐解いてもやはり老夫婦の孫に当てはまる娘はいない。
悩むロウガの独り言を拾うとアイとシーは
「やっぱりシドウ様に似ているね」
「偽善者らしく振舞おうとするところがそっくりです」
ロウガへの印象が好感触となっていく。
思えば邂逅時にアイとシーの身動きをさせなくしようとしたのも、回復手段があるからそうしただけであって、殺そうとしたわけではない。
聞けば聞くほどに、攫い奴隷にしたであろう娘たちも、当人たちにとっては強引なものではなく、むしろ劣悪な環境下から救い上げようとしたようにも聞こえる。
何を思いアイとシーを捕らえ奴隷にしようとしたのか、それはロウガの心の内にしか無いものであるが、完全な私欲だけではないだろうとアイとシーは考えを改めた。
「……チッ」
細い通路を進んでいくと背後から岩を削る音が聞こえる。
「……走れ!」
ロウガの声と同時に背後から【サウザンドデスフィーラー】が無理やりに通路を頑強な体躯で削り道を広げながら進んでくるのが見えた。
「ロウガさんのスキルは使えないのですか?」
「悪いが、あれは複数の敵がいる場合のみだ。この状況だとマストックを置いてきたのがより悪手に思えてきたぜ」
御者の安否も気になるが今はロウガ自身らが一番危険である。
「開けた場所に出るぞ! 左右に分かれろ」
道の先に光が見えた。
安全を確認する暇もなく、ロウガ達は細い通路から飛び出した。
ロウガは右へ、アイとシーは左へと転がる。
その真ん中を【サウザンドデスフィーラー】は躍り出るように突進し――その先で荒れ狂う風の中で切り刻まれた。
「……おいおい。どこに通じているのかと思ったらまさかここかよ」
希望を失ったとばかりにロウガは諦めた顔をする。
頭上を見上げれば天井は開けている。
落ちてきた崖以上に広い隙間であり、地上から見れば谷か何かのようなのであろう。
「……谷?」
「あれ、ここってシドウ様が言っていた……」
「【逆戻しの谷】……」
アイとシーも気が付いたようだ。
だが、その正体に気がついても、意味合いまでは知らないようである。
「【逆戻しの谷】……別名、空落ちの谷だ。この谷は決して奈落へと落ちることは無い。下から巻き上がる突風で落下物は全て地上へと打ち上げられるんだ。そして地上で転落死。馬鹿げた場所だぜ」
その風の正体は、谷の底に眠る魔物の仕業だとか、自然発生した風が複雑な地形によって強風となっていると噂されていた。
「しかしその正体は……【風魔鉄】だったか」
「ふうまてつ?」
荒れ狂う風の中央には深緑に光る金属が置かれていた。
それこそがロウガの言う【風魔鉄】である。
「風の魔力を取り込んだ魔石みたいなものだ。鉄バージョンだがな。石なんかより丈夫だから取り込める魔力の質も量も違うんだが……ドラゴンの魔力でも吸い込んだのかってくらいにはやばい代物だな」
【サウザンドデスフィーラー】の装甲が切り刻まれたのだ。
ただの風ではなく、鎌鼬現象と呼ぶには優しすぎる。
ドラゴンのブレスにも似た威力を持つ風力を前に、しかしロウガ達は後ずさることはしない。
しないというか、出来なかった。
「これ……少しずつ吸い込まれていってませんか?」
「どんだけの吸引力だよ」
「うまく……踏ん張れない!?」
怪我をしているアイとシーはその身の軽さもあって、うまくその場で留まれずに【風魔鉄】へとじりじりと近づけさせられていく。
「……しっかりとしがみついておけ」
ロウガは両脇にアイとシーを抱え込む。
「ロウガさん!」
「ありがとうございます」
「ふん。重くなった方が俺も動かされにくくなるからな。俺のためだ」
他の壁を見ると穴がいくつか空いていた。
途中にあった分かれ道は最終的にここへと通じていたのだろうか。
「至極無念」
「この手で裂くよりも自然の力の前に落ちようとしておる」
穴の一つから老夫婦が下りてくる。
その手には小さな錠剤があり、2人は噛み砕き、飲み込む。
続けて4匹の【サウザンドデスフィーラー】が老夫婦を風から守るように囲む。
「このままじわじわと見るのも一興」
「さりとてせっかくの好機を生かそうぞ」
老夫婦の指示のもと、【サウザンドデスフィーラー】が頭部を持ち上げる。
鋭い牙が覗く咢を開き、見せつけるように左右へと頭部を揺らす。
ロウガは自身にしがみつくアイとシーを見る。
今2人を戦いに出せば、何がきっかけで暴風の中へと吸い込まれていくか分からない。
とはいえ、ロウガ自身も闘える力は少なく、アイとシーを放って戦おうとすれば結局は2人が暴風に吸い込まれていく可能性が高まる。
故にロウガにはこのスキルしかなかった。
「【友撃】」
指鉄砲で【サウザンドデスフィーラー】の一匹に銃口を向ける。
【サウザンドデスフィーラー】が突進すると同時に、他の大百足がよろける。
ロウガも突進の衝撃に負けぬよう、その場で歯を食いしばって踏みとどまる。
「必死である」
「抗うほどに苦しみは増す」
続けざまに他の【サウザンドデスフィーラー】2匹が同時にロウガ達を襲う。
「くそっ」
ロウガは転がり、2匹の攻撃を避ける。
「やはり条件ありか」
「同時には使えぬとみた」
ロウガのスキルである【友撃】が攻撃を仲間内へダメージを伝えるものであることはすでにこの場にいる誰もが知っている。
だが、それが同時に一回、対象は一つまでであることを老夫婦は見抜いていた。
「そうなんですか?」
「ああ……【友撃】ははっきり言えばそこまで強くはねえよ。種が分からないから通じていたってだけだ」
連撃系の技に弱く、集団戦であっても集団が同時に襲い掛かれば太刀打ちできない。
ロウガのスキルはそういったものである。
「しかも、な。この仲間ってのも基準が決まっているんだ。魔物同士、人間同士ってな具合でな。俺らとあのジジイ共を敵同士に分断することは出来るが、ジジイ共と魔物を味方に一括りは出来ねえんだ」
だからこそ、【サウザンドデスフィーラー】からの攻撃は老夫婦へは返せない。
むしろ、魔物と人間という前提を覆さないことには老夫婦とロウガ達を仲間と基準してしまう方が簡単である。
「【友撃】!」
一匹の攻撃を返し、もう一匹は転がり避ける。
すでに相手は装甲を通さない程度の威力に絞っているのか、攻撃を返されたところでダメージを負うことは無い。
しかしロウガは重なる回避で地面を転がっているため小さな傷を負っていく。
「……回復はマストックの方に置いてきちまったか」
「あの男か」
「すでに我らが毒に倒れておるよ」
ロウガの呟きに老夫婦は律義に返答する。
「……へえ、毒に倒れたか」
ロウガの心を折るために言ったのだろうが、むしろロウガの顔には笑みが戻る。
「が、今はマストックよりも俺たちだが……お前らは何か良い考えあるか?」
「うーん……」
「1つだけしか」
「あ、やっぱりアイも思いついてた?」
「うん。でもこれだと……」
考えはあるようだが、躊躇う理由もあるようだ。
ロウガには何も思いついていない。
このままでは体力を消耗し【サウザンドデスフィーラー】に毒を打ち込まれ生きたまま食われるか、老夫婦に殺されるか、【風魔鉄】に引き裂かれるかだ。
「でも、このままじゃロウガさん死んじゃうよね」
「どのみち私たちもあそこに引っ張られちゃうならやるしかないね!」
「俺にできるなら責任は取るし、金が必要ならグリセント様に土下座でもしてやるよ。やっちまえ!」
アイとシーはロウガの言葉に頷くと、ロウガから手を離す。
そして、【サウザンドデスフィーラー】を片手に2匹ずつ掴む。
毒棘に刺されようとも2人の動きは止まらずに、掴んだ先から持ち上げた。
「……へ?」
「……は?」
まさかこの2人の少女にそこまでの力があるとは思わなかったのだろう。
老夫婦は口を開けて呆けている。
その間にアイとシーは【サウザンドデスフィーラー】4匹を引きずると、【風魔鉄】を中心として暴れる風の中へと飛び込んでいったのであった。