128話 アイとシーと奴隷 3
「あいたたた」
「びっくりしました」
少し手足を打ったかのような表情をしながら立ち上がるアイとシー。
彼女らを信じられないような目で見るのはロウガと御者であった。
「いや……助けてもらって言うのはアレだけどよ……ヤバい薬でも決めてんのか?」
「その傷を痛いとかびっくりしたとかで済ませられるわけがない」
見上げれば数十メートルもある崖上のように地上は遠い。
馬車ごと落下したのだ。無事では済まないはずであったが、馬車は少し外装が削れたのみ。ロウガは奴隷が全員無事に揃っていることを確認する。さすがに馬までは守れなかったのか、落石で潰されている。
否、無事では済まなかった2人がいた。
馬車ごと支え落下の衝撃から守ったアイとシーである。
両手は妙な方向へと曲がり、足も肉が削れている。
可愛らしい顔も血まみれであり、幼さがより2人の薄気味悪さを増大させていた。
「大丈夫だよ!」
「痛いことは痛いですが、動くのに支障はありませんね」
未だ落下の衝撃で動転するロウガ達を置いてアイとシーは歩き出す。
「少し周囲の様子を見てきますね」
「あ、おい!」
慌ててロウガと御者も追いかける。
決して2人を心配してのことではない。
奴隷たちよりもこの2人の方が戦力的に安心できる。
この状況であれば最も生存率が上がるだろうと考えての行動だ。
そして、この2人を欠くことは全滅に繋がる。
多少の傷を負ってでも守った方が良いだろう。
「痛みを感じなくなるのか、治るのか知らないが、その傷じゃ戦いもろくにできねえだろ。俺も付いていこう」
「本当に!?」
「お前はここに残れ。さすがに戦うのはきついだろ?」
「ああ。そうだな」
御者は潰れた馬の傍に腰を下ろす。
「てなわけで、俺だけでも一緒に連れてってくれや。協力していこうぜ?」
「それでも助かります。さすがに、走ったりは出来無さそうです」
ロウガはアイとシーの様子から、痛覚に鈍く、生命力に溢れているだけなのだと解釈する。
重傷のように見えてというか、重傷でも動けるのだろうが、骨や筋、神経が傷つけば動かすのには苦労するようだ。
であれば、彼女らはいざとなった時まで温存しておいた方がいい。
一撃の決定力に関してはロウガ達よりも上であろうから。
「あの方たちは……?」
「まあ……大丈夫だろ。魔物除けの香も炊いてある。馬車から出ないうちは魔物に襲われないし……いざとなった時の備えもある」
あえて御者以外を挙げてロウガはアイとシーに馬車の安全を保証する。
「それよりもこっちだろう。俺は幾度も地上の道を通ってきたが地下は初めてだ。脱出口を探すにしても何かしらあたりを見つけておかないとな」
「静かに」
と、ロウガの口をアイは手で塞ぐ。
全員が口を閉じると、周囲には静寂……ではなく何かが這う音が聞こえる。
「落ちるときに見ました……いくつもの目を。アレは大百足の目によく似ていました」
「……【サウザンドデスフィーラー】か?」
「もしかすると、あの縄張りはあくまで地上だけ。地下は広大な範囲であの百足の縄張りなのかもしれないね」
息を潜めながら進んでいくと、やがて開けた場所に出た。
天井はすぐには落ちてこないであろうことを確認し、一息つく。
「……呼吸できるのはありがたいな。妙なガスならどうとでもなるが、単純に空気が無いほうが危険だ」
それに対してロウガは頷く。
アイとシーは呼吸が出来ずとも活動は出来るが、満足に戦える体ではない。
ロウガに倒れられると守ることは出来ない。
ロウガにとってアイとシーは戦力的に必要であるが、アイとシーもまた全員生還を目的としているためロウガの力が必要なのであった。
「そして、酸素不足も危険だがよ……もっと危険なのがお出ましだぜ」
壁の一角が崩れる。
「Gyaaaaaaaaaa」
「……おいでになったぜ」
長身体躯を躍らせながら巨大な百足が空いた穴から飛び出てくる。
「……まずは慎重に」
「やあっ!」
「とおっ!」
相手の出方を探ろう、とロウガが言い出す前にアイとシーは駆け出し、それぞれ武器を振り回していた。
こちらを伺うように這い出た百足は胴を割かれ、頭部を潰される。
ぴくぴくと足は動いているもすでに絶命状態である。
「……その傷でよくもまあ動けるもんだな。いや、だが結果良ければ全て良しか」
百足の出てきた穴がどこへと続いているかは分からないが、進んでみるしかないようだ。
他に道は無い。
アイとシーに百足を引きずり出してもらい、3人は進む。
「しかし……それだけ怪力でタフなら奴隷にならずとも最初から冒険者志望としてやっていけたんじゃねえのか?」
生きるのに困って奴隷となったはずだとロウガは思い出す。
だが、これまでの闘いを見る限り、年幼いとはいえ生きるのに困るほど弱い存在とは思えない。
「そうでもないよ」
「奴隷になって私たちはこの力を手に入れたので」
「……? 何かご主人様に特訓でもしてもらったのか?」
「はい。シドウ様に戦う力を頂きました」
指導力に長けているのだろうかとロウガはシドウという人物像を描く。
アイとシーがこうして明るく生活でき、かつ信用されている。
おそらくそこまで年はいっていないだろう。
指導力に長けた好青年。奴隷を買うくらいだから金も持っているのだろう。
はて、そのような人物は顧客リストにいただろうかとロウガは首をひねる。
部署柄、そこまで客の情報を知らされていないが、従業員の中でも有名になっていれば耳に入るはずだ。
だが、ロウガの人物像に当てはまる人物が浮かび上がってこない。
「生まれはどこなんだ?」
「スジャッタだよ」
「思い出せる記憶の中ではすでに私たちは2人きりでした」
「両親ともに消えちまったってわけか」
「死んじゃったのか、行方不明なのか。それも分からないんだよね」
「シドウ様はいつか探し出してやるって言ってくれましたが」
亜人族を排斥しようとする者も存在するが、彼らによってアイとシーの両親は殺されたのだろうか。
獣人はとりわけ珍しいわけではないが、人ごみにいれば目立つ。
探そうと思えば探せるだろう。
「ま、一緒にここを出られたら俺も伝手を辿ってやるさ。物探しのできるスキル持ちの知り合いがいるんでな」
とロウガが言うとアイとシーは目をぱちくりとさせながら
「なんだかシドウ様みたい」
「はい。言い方もどことなく似ていますね」
「あぁ? なんだそりゃ。シドウってやつは俺みたく捻くれているのか? もっと好人物だと思っていたけどよ」
「いえ。きっとシドウ様は自身のことを『俺みたいな良い奴がそう多くいるかよ』と仰るはずなので、間違いではないですけど」
「いや……何となく今ので察しがついたぜ」
ロウガが悪人であるならば、きっとそのシドウという男も悪人に思考が偏った善人なのだろうと、思い直した。
素直でない言動というか、自らを『良い奴』と評することで『良い奴』と思われたくないのだろう。
「っと、そういえばまだ名前を言っていなかったな。俺はロウガだ」
「アイです」
「シーだよ!」
戦闘や予想外の出来事に襲われていたため未だ自己紹介すらしていなかった。
敵というか、狩人と獲物といった関係性にも近かったためその必要を途中まで感じていなかったのもあるだろうが。
「まあ別によ、俺だって全員に敵対行動しているわけじゃねえからな。知り合いになっちまえば大抵の奴はそいつらに善意で行動するものだと思っているぜ」
話を蒸し返すわけではないが、ロウガにもロウガなりの信念があって行動しているのだ。
勘違いされたままロウガという人物に期待されても困る。
「善意で何かされた奴ってのはな、善意で返さなきゃって思っちまうんだ。それもより大きな善意でな。俺はそれを期待してるんだ。金でもいいし行動でもいい。俺の小さな行動が後々に俺の大きな助けに繋がると俺は思って善意を振りまくのさ」
巡り巡って自分のため。
決して誰かのためではないと。
雇い主であるグリセントも言うが、完全な善人は身を亡ぼす。
見返りを求めるくらいがちょうどいいのだとロウガは思う。
「でもそれって……」
「やっぱりシドウ様に似ているね!」
なぜか先ほどまでよりもアイとシーから向けられる視線が信頼されたような気もしながらロウガは溜息をつく。
すでに彼にとってアイとシーは捕獲対象ではない。
ただこの場から脱出するための共通目的を持った同士であるという認識だ。
いつでも切り捨てられるからこそ、今は手元に置いておく。
その程度であり、適当な相槌や返答をしていたのだが、それが余計に信頼につながったらしい。
「……切り捨てにくくなるじゃねえか」
小さくそう呟く。
「何か言った?」
「いや、なんでもねえよ」
幸いにもアイとシーにその言葉は届かず、消えていったようだ。
「そういや、さっきから何でもない風に動いているが、怪我は大丈夫なのか?」
「うん」
「馬車の中にいた連中を助けたようだが、お前たちが身を張るほどか? 奴隷ってのは厄介ごとの種だ。助けても得にはならねえぞ」
それも自身の命を縮める行為をするほどとは思えない。
「うーん……私たちも奴隷だったからかな」
「見捨てられませんでしたね」
「……奴隷になったからわかることもあるか」
ロウガには理解できぬ気持ちだ。
おそらくはシドウという男にも。
アイとシーは善意だけで行動しているのだろう。
身を亡ぼしかねない考えであるが、実力があるのであればそれはまた別の話。
2人には可能であった。だから助けたのだ。
実はシドウもそういった人間なのだろうかとロウガはますますシドウの人物像に困惑する。
「あ、そういえば……1人助けられなかった人がいたっけ」
「あの人には申し訳ないことをしました。無茶をしてでも助けるべきでした」
「……どうした?」
まるで身に覚えのないことを2人は謝る。
「実は1人だけ助けられなかった奴隷がいたの」
「馬車に乗せるのが間に合いませんでした」
「……は?」
アイとシーの言葉が頭の片隅に引っかかった。