前篇
突然思いついた。
婚約破棄じゃ無くて、正式に婚約を白紙に戻す、真面目な人達が主人公だったら、乙女ゲームの悪役令嬢って、成立するのかな? と。
やってみた……
3/1 ご指摘部分の一部を、修正いたしました。
文官の制服を、キッチリと着込み、髪は後ろに一つに纏めている。 モノクルは、愛用の物。 左手の書類鞄の中には、重要な書類がぎっしり。 やっと…… これで、やっと、御目に掛かれれる。 コツコツ高らかに鳴る靴音。 執務室の前まで、遠い道のり。 これまでの事が、走馬灯のように、思い出される。
掛け違ったボタンは、何処までも、何処までも、掛け違ったまま。 でも、やっと、ここに到達出来た。
執務室の前に立つ。 一つ息を吸い込んでから、右手を上げ、扉をノックする。
コンコンコン
「誰か」
懐かしい声が扉の向こうにした。 泣き出したくなるような、そんな思いを胸に、扉の向こうに声を掛ける。 震えないだろうか? おかしな声が出ないだろうか? そんな思いを、ひた隠し奏上する。
「状況報告と、纏まった資料をお持ち致しました、大公閣下」
「入れ」
執務室の扉を開ける、私の手が震える…… これで、御側に立てる。 そう、立てるのだ。
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三人の貴人が、王城の小間に招き入れられていた。 昼下がりの其処は、陽光が窓から差し込み、柔らかな光に満ちた場所だった。 窓が開けられているのだろう、レースのカーテンが、ゆっくりと動く。 新緑と花の香りが、時折彼等に届く。
ティーカップを持ち上げている、見目麗しい令嬢が、傍らの騎士装束に身を包んだ、爽やかな男性に声を掛けた。
「エルヴィンお兄様、マリアベル王女殿下との ” お話 ” 御受けに成るのですか?」
「……まぁな」
「御父様、ハンデンベルグ公爵家としては……」
「悪くは無い話だが……それだけでは、無いようなのだ。 王家の思惑は時折、不透明になるのだ」
「この度の御城への御呼出しは、その事で御座いましょうか?」
「そうだな、間違いなくな」
「ハンデンベルグ公爵家にとって、その……不透明な未来ですか?」
「うむ、しかし、ぺルラよ、案ずるでない。《ハンデンベルグの真珠》に傷をつけるような真似はさせぬ」
壮年の男性は、テーカップを口に運び、頷いてそう言った。 彼の表情を読む令嬢は、他の人に表情を読まれない、笑顔の仮面をかぶりつつ、今までの事を、心の内で思い返していた。 ただ、表情は変えずに…… 淡々と……
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御父様と直ぐ上の御兄さまと、私、ペルラが御城の小部屋に通されて、陛下をお待ちしていたの。 直々の御呼出しなの。 不安しかないわ。 と云うのも、私には、ペルラと言う、ハンデンベルグ公爵令嬢の記憶だけでなく、違う人の記憶もあったから。
その記憶が蘇って来たのは、今を去る十年前。
初めて御城に御呼ばれした時。 六歳に成った私は、御父様であるエイグスト=ノイマン=ハンデンベルグ公爵と共に御城に登城したの。 表向きは、臣下の主だった者の子息令嬢と、王子様達との交流。 裏側では、未来の御妃様と側近の選定の為。
王国には、五家の公爵家、七家の侯爵家があり、国王陛下の国政を助けている。 五家の公爵家のうち、我がハンデンベルグ家と、マイノンラスター家は、その中でも筆頭と言う役割を持ち、俗に大公家と呼ばれている。
その御茶会で、順番にお披露目されていって、やはり順当に、自然と、王子お二人の隣に、私と、キサーラ=エル=マイノンラスター公爵令嬢が座る事になった。 キラキラなそのお茶席で、歓談している最中に、私は、違和感に憑りつかれた。
違和感。
それは、既視感と言うべきものだったのかな…… 記憶が深い場所から浮き上がり、そして、モノを二重に瞳に映し出した。 ちょっと大人びた姿の、王子様方、美しく華麗なキサーラ様……
酷い頭痛を感じ、無作法にも座ったまま昏倒した。
思い出してしまった…… この世界がいわゆる乙女ゲームと同じ世界だと…… ただ、蘇った記憶は、これから起こりうる出来事のみで、私は、私のままだった。 過去の私の人格はそこには存在せず、ただ、知識と記憶のみが蘇って来たのだ。
三日間の酷い頭痛と、意識の混濁は周囲にとても気を使わせてしまった事を思い出す。 しかし、私は、私のままだった。 これから起こる事を正確に理解した私は、その最悪の未来を回避する為に、懸命に努力を開始した。
母は、私を産み落とす事と引き換えに、その命を失った。 それ故に、父も兄達も、私を大切に、大切に育ててくれた。 甘やかしてもくれた。 六歳に成る私の我儘は、時として、公爵家を揺るがすような事もあったはずだ。 恥ずかして、今も心の内側で後悔している。
甘やかされ、我儘一杯であった私…… 三日間の混濁の後、性格が変わったと、皆が口を揃えて云うのを、不思議な思いで聞いていた。 あの悲惨な最後を想うと、あまりにも当たり前の事。
なにもせず、思うが儘に生きて行けば、御妃候補から遠からず見限られ、第二王子様である、エイマン様から嫌われる未来。 嫉妬心から、彼に近寄る令嬢達を蔑み、侮り、公爵家の力で排除するような、醜い所業の数々を繰り返し、最後は御父様は、私に手を貸した咎で、刑死……
お兄様達も、王家から遠ざけられ、ハイデベルガーの家名は地に落ちる事になる。
記憶の中の私は…… 貴族籍を剥奪され、市井に着の身着のままに放り出される。 その後は、お決まりの娼館落ち…… 最後のお客が、絶望の境遇に落ちた、兄二人…… 私に対する憎悪に燃える二人に体を蹂躙されて…… 後悔の海に溺れ、私は、その夜に縊死…… それを知った二人の兄も、自死。 ついにハイデンベルグは、泥の中に消えて行ったのだ……
嫌だ。 絶対に認めない!
こんなにも愛してくれている家族に、其処までさせてしまったという後悔が、何故か記憶の中から湧き上がって来る。
まだ、到達していない未来の話なのに。
だから、私は変わろうと努力した。 努力して、努力して…… 十六歳に成った今、記憶の中の私とは、全く違った私に成った。 暗黙の裡に了承されていた、エイマン様の婚約者候補と言う立ち位置から、十二歳に成った時に正式に婚約者となった。
第一王子であらせられる、ルパート殿下は、先にキサーラ様とご婚約されて、キサーラ様が学園を卒業後、即、御婚姻されていた。 私、以外…… 状況は変わりなく進んで行っている様だった。 だから、必死になって、私は、私の道を作り込まなければならないと、そう信じ込んだ。
第二王子妃というのは、かなり特殊な立ち位置になる。 将来の国王陛下である、ルパート殿下。 その殿下を陰で支えるのがエイマン様。 なにか支障が出れば、継承権第二位にあるエイマン様が王座にお座りに成る。 つまりは、彼の妻に成るという事は、王妃様のスペアと言う事なのだ。
王宮での教育は、キサーラ様に施されたモノと同様…… いえ、それ以上のもの。 何故なら、何事も無ければ、王家を支えるエイマン様は、臣籍降下され、大公位を賜る為、その分の教育も一緒に施されるから。
学園での勉強と、王妃教育、大公妃教育と、休む間もなく詰め込まれるのだが、無様な死にざまを晒したくないという信念と、御父様、お兄様達を絶望させたくないと言う想いでその厳しさを乗り越えて来た。
たとえ、エイマン様とお話する時間が、少なく成ろうとも、乗り越えるべき壁は高く険しくあろうと……
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私の唯一の楽しみは、大公妃教育の一環でもあった、教会での慈善活動の時間…… 教会には孤児を引き取る施設もあり、その子供達を相手にするときだけは、自然な笑顔を見せられた。 何の打算も無く、一緒に笑って、文字や数字、計算を教え、早い夕餉を頂く…… 傍らの護衛騎士も、その輪に入り、微笑んで居られる、気の休まる時間でもあった。
このままの、時間が続けはいいのにと、何度思った事だっただろう。 学園の高等部に入った辺りから、自分の時間など取れなくなった。 ただ、この慰問の時間だけが、自分を曝け出せる唯一の時間に成ってしまった。
ある日、護衛を務めてくれていた騎士が、微笑む私に語り掛けて来た。 とても真摯に。 温かい真菜罪眼差しで。
「ペルラ様……いえ、ペルラ。 貴女のその笑顔が本物の貴女なのですね。 攫ってしまいたくなる」
「マルベール様、わたくしは、殿下の婚約者に御座いますよ?」
「わかっております…… 判っておりますが、殿下にはその笑顔をお与えになっておりません。 慰問以外で、そんな御顔を見た事が御座いません。 貴女は本心を御隠しに成られている。 もし叶えなれるならば、わたくしにもチャンスを……」
「例えば…… 殿下との婚約が破棄されて、只の女になっても、そう仰るの?」
「貴女ならば。 身分や財産などは関係ありません。 貴女だからです」
「その…… お言葉、嬉しく思います」
その言葉に嘘は無かった。 でも……無理なの。 自分らしい微笑みを浮かべ、絶対に来ないであろう未来に思いを馳せ、その未来で微笑む私を想い。 すこし寂しくなった。
記憶では……
この時期辺りに、エクスタリア伯爵がご自身の過ちから、今まで捨て置いた、庶子を伯爵家に迎え入れられ、学園に通い始めていた筈…… エミリー=ファーリア=エクスタリア伯爵令嬢と、仰ったかしら…… まだ、お顔をさえ見ていない。 天真爛漫で、市民階層で長らくお暮しに成っていたので、大層自由奔放な方だった筈……
いずれ、
忙しくて逢えないわたくしの代わりに、彼女が、エイマン様の御心の中に棲みつく事になるのだろう…… それでも、邪魔はしない。 嫉妬心は浮き上がって来る。 こんなに努力している私なのに、何故御側に居られないの?
仕方の無い事かもしれない……
後は……エイマン様の御心しだい。 あの方が、何処まで、わたくしを見ていてくれたか、それだけ…… もし、謂れの無い断罪があったとしても、私の心は漣も立たないと思う。 御父様に何も依頼しないし、身を潔白に清廉にしておけば……
ハイデンベルグの家名を汚すような行いは、決してしない。 あの昏倒から覚めた日に自分に誓った事だから。
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「待たせた、座って呉れ」
国王陛下の臨席に、高位貴族の三人は立ち上がり、それぞれが示すべき臣下の礼を取っていた。 その小間に入って来たのは、国王陛下、王妃殿下、ルパート第一王子、エイマン第二王子。 更に、教会の最高司祭である、タードラ=エスタス大司教 文章官が三人程その場に同席していた。
その人々を見る、ハンデンベルグ公爵の瞳に鋭い光が宿った。
「陛下、発言をお許しください」
「うむ、許す」
「御呼出しの趣旨が不透明で御座います。 我が息子、エルヴィンと、ご帰国されたマリアベル王女殿下の事につきましては、内々のお話ゆえ、理解しております。 しかし、この場に、我が娘、ペルラを同席せよとのお達しで御座いましたが、その理由が思い浮かびませぬ」
「そうか……そうであろうな。 エイグストよ、マリアベルと、そちの息子の婚姻は了承するか?」
「勿体なき事で御座います」
「騎士エルヴィン。 そちの献身に、マリアベルは心を奪われて居る。 王家の者が云うのは何だが……アレには、これ以上の無理はさせたくはない。 受けてくれぬか?」
「……御受け致します」
「重畳重畳。 ハンデンベルグの忠誠に朕は嬉しく思う。 思うのだが……これから申す事に、そちたちの忠誠が揺らぐやもしれぬ。 先に謝罪する。 すまぬ」
国王陛下の突然の謝罪に、エイグスト、エルヴィン、そしてペルラは疑問と、困惑を感じた。
「理由を先に、言わんといかんな。 この度の婚姻が成立すれば、貴族間の……特に、高位の貴族間のバランスが揺らぐ。 ハンデンベルグ公爵家と、マイノンラスター公爵家のバランスがな。 喜ばしい事なのだが、キサーラが懐妊した。 魔法医務官が調べたところ、男児だそうだ。 これで、ルパートが正式に王太子として、立太子する。 エイマンは…… エイグスト、すまぬ」
エイグストの瞳が深く静かに怒りを浮かび上がらせる。
「ペルラと、エイマン殿下との婚約を破棄すると? そう仰られるか!」
「エイマンと、ペルラとの婚姻が成立すると、ハンデンベルグの穏然たる力が増々増大し、要らぬ危機感を覚える者が続出する…… 親馬鹿と罵って呉れてよい。 マリアベルの幸せを考えると、ハンデンベルグよりペルラは迎えられんのだ……」
沈黙が、その小間に重い空気をもたらした。 沈痛な表情の国王陛下、今にも泣き出しそうな王妃殿下。 申し訳なさそうに佇むエイマン第二王子。 その沈黙をペルラが破る。
「言上、申し上げて宜しいでしょうか」
「許す」
「申し上げます。 陛下は、エイマン殿下とわたくしの《婚約》を、「破棄」されるのでしょうか?」
「「破棄」……ではなく、「白紙」に戻す。 ペルラ、お前になんら落ち度はない。 王宮での教育官共の評価も上々、人となりは、朕もよく知っている。 妃も、お前が嫁して来ることを、心待ちにしていたくらいだ…… すまぬ事をする」
「陛下…… この事について、エイマン殿下は、ご了承されて居るのでしょうか?」
国王陛下の側に立っていたエイマン第二王子、一歩前に進む。 端正では有るが、表情の薄い彼の瞳に、申し訳ないという色が浮かび上がっているのを、ペルラは見つけていた。
「ペルラ嬢。 誠に申し訳ない。 君に何も落ち度はない。 品行方正、頭脳明晰、容姿端麗、公爵家の……筆頭公爵家の御令嬢は、流石に麗しの姫で有ると、王宮の者達にも有名であった。 そんな君を婚約者に持てる、わたしは幸せ者だと常々、思っていた。 君の横に立って、おかしくは無い様にと、自身の研鑽にも身が入っていた…… がしかし、王家の者として、この国の第二王子としての立場ある私としては…… 了承するしかない。 重ねて云う、君になんら、落ち度はない…… 残念だ」
「……左様に御座いますか……」
彼女の消え入りそうな声に、エイマン第二王子が重ねて云う。
「君の見識、才能、能力は、素晴らしいの一言に尽きる…… 振り返り、我が身を考えると、君の才を活かせるような立場には付けぬ。 なにかの折に、傍の者に、出来る事なら、隣国の学院に留学したいと申していたと聞く。 今までの献身と、忠誠に報いたく思い、かの学院への入学許可証を用意した。 学院卒業後、そちらに入学できるように話はつけた。 君の心次第だ。 六歳から、十六歳までの十年間……君から自由を奪い続け、楽しい筈の、学園生活までも奪い、誠に申し訳なく思う。 わたしの資産から、本来君が受け取るべきモノを、分与いたす。 また、婚約は《破棄》ではなく、両家の話し合いの上、「白紙」とする。 君の名誉を護る為に、公式文書に経緯を全て書き記し、宣誓書間に、その旨を記し、神殿に納め……君の《 名誉 》は、護られる……」
彼女は、少々驚いていた。 こんなに饒舌に語るエイマンを彼女は知らなかった。 定例の御茶会の時も沈黙しがちで、興味深い話も、楽しく語り合う話題すら持たなかった。 つと顔を上げた彼女は、深々とカテーシーを捧げ、エイマン第二王子に無表情な顔を向け、言葉を綴った。
「殿下とのご縁を解消されし後の、我が身の振り方まで、御心と御砕き下さり、誠に有難うございます。 ……ご婚約の白紙化に同意いたします。 エイマン様の未来に、光あらん事を」
事は決まった。 貴族間のバランスの激変を未然に防ぐ為、若い二人の婚約は解消され、それぞれの道を歩むことに成った。 用意された、文書に署名を書き記していくペルラと、エイマン。 神殿に納められていた婚約誓紙から、それぞれの名前が消えるのを、二人して見詰めていた。
「誠に、有難うございました。 王家の増々の発展をお祈りしております」
娘の言葉に、エイグスト=ノイマン=ハンデンベルグは、深く頷くと、国王陛下に対し、退出の許しを請うた。 深く嘆きに沈む、国王陛下もまた、頷く。 その瞳に、居た堪れないモノを浮かべながら……
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一人にしてほしい。
そう、家族に言った。 父上も、兄上も、私の気持ちを慮って、一人にしてくれた。 侍女も下がらせた。 部屋の中には、私一人…… ずっと昔に書きなぐった、未来の出来事を綴った羊皮紙を取り出した。
「……結局…… なにも、起こり得なくなったのね。 もう、私は、王家の方との婚約を解消したんだもの…… 断罪も、娼婦落ちも、ちょっとづつ作って行った、逃げ道も…… 何もかも、必要なくなったんだ…… それに、エイマン殿下から、この婚約を白紙にする事を、” 残念だ ” って、言って下さった…… 少なくとも、嫌われては無かったのよね……」
ちょっと心が軽くなった。 嫌われて、蔑まれてるのは、嫌だった…… 心の奥底では、ずっとずっと、好きだったんだもの。 だから、必死にいい子で居たのも有るんだもの。 美しく、聡明で、綺麗な私が、あの人の記憶に残ればそれでいいの。
だって、それ以外に、私を愛した人達に報いる方法なんて……
無いんだもの……
取り敢えず、後編へ
18/2/28 ご指摘の 「……」 多用を修正。