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秘め恋  作者: 蒼崎 恵生
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崩れゆく予兆


 それなりに恋愛経験もあり結婚もした。その上で、ひとしは思う。自分は極度のマザコンなのかもしれない、と。


 玲奈れなとの関係がアオイにバレて、アオイは離婚を望んだ。それなのになぜ自分はアオイを引き止めてしまったのか。それは母親の存在が大きく影響していた。


 幸せな結婚生活など送れず一人苦労を背負い込むことになった愚かな母親。アルコールに頼り自分を壊してしまわなければならないほど弱い人間。そんな母親に飽きれる気持ちを持たなかったといえば嘘になるが、それでも、そんな母親を見限ることなどできず、それどころか自分がそばに居て支えなければと強い使命感すら感じた。弱い女性だが自分を産み育ててくれた。貧困家庭で金もかけてもらったことがないし母親は家事も得意ではないが、それなりに愛情はかけてもらえたと思う。客観的に見ても欠点の方が多い人物だが、それでも尊い存在。しかし、母親のため自分に出来ることなど限られていた。


 アオイは、仁のことを母親ごと受け入れ面倒を見てくれた。彼女は美しい容姿に反してたくましい精神力の持ち主だと、仁は思った。ただ、永遠に続く結婚生活。そのような女性にときめくのは仁の感性では難しかった。やはり、恋愛対象としてでる気持ちになれるのは愛らしさと儚さを備えた玲奈だった。今思えば、母親に似た女性だから無条件に惹かれていたのかもしれない。


 ただ、玲奈と交際する上で気がかりなことがあった。玲奈は仁の母親に不満を抱いていた。そうはっきり口にされたわけではないが、彼女のささいな言葉の振り方や表情、雰囲気で仁はそれを察した。


 その点、アオイは良かった。不出来の義母に文句や愚痴のひとつも言わず、かいがいしく接してくれていた。アオイとの結婚で実家が金銭的に助かったのも大きいが、それ以上に、自分の親を大切に扱われることは自分を大切にされる以上に心あたたまり満たされるものがある。仁はじょじょにアオイの優しさを認め、彼女を好きになっていった。


 それでも玲奈との関係を即座に断ち切るわけにもいかず、情と思い出だけを頼りにここまで来てしまった。もう、自分でも収拾不可能な状態だ。離婚を切り出すアオイを必死で引き止めてみたが、彼女の決意は揺るがないもののようだった。


「ずっと寂しかった。家族なのに、仁はいつも外に居場所を望んでるみたいだったから。私なりに努力はしたけど……。至らない妻でごめんね。もう、結婚した頃の気持ちには戻れない」


「アオイ……」


 それから数日経ったが、冷戦状態とでもいうのか、朝食や夕食でアオイと顔を合わせても会話は生まれなかった。重たい沈黙の中に無機質な食器の音が軽く響くのみ。


 玲奈とは会っていないし、あれから可能な限り早く帰宅するようにしている。それまでの仁からしたら真面目な夫の行動だった。アオイもそれは理解してくれているだろう。しかし、何もかもが遅すぎた。


《こっちは準備できてるから、離婚届にサインしてね。いつまででも待つから》


 とうとう、こんなラインがアオイから送られてくるようになった。悪あがきは無駄かもしれない。一度気持ちが離れたら二度とは戻らないのかもしれない。それでもすがりたい。仁も自分の意思を強く持った。


《サインはしないよ。玲奈とももう二度と会わない。アオイとやり直したい。うんって言ってくれるまで待つから》



 仁がここまで夫婦関係に執着してくると思っていなかったアオイは、相当気が滅入っていた。あっさり離婚し楽になれるという予想が大幅に外れてしまった。


 きっと少し前の自分だったら迷わず仁とやり直す未来を選んだだろう。いや、そうとは限らないか。彼とは元々縁がなかった、ただそれだけのこと。しかし当の仁はそうは思っていない。彼は、どうにかして夫婦関係を持ち直そうと必死だ。


 これも、結婚している身で独身男性を好きになってしまった罰なのだろうか。マサとの出会いをネガティブに捉えてしまいそうになるほど、アオイは落ち込んでいた。それでも仕事中はそれを表に出さず目の前のことに専念した。


 マサのことを悪く考えたくない。どうにかして、彼との間で育んだ友情だけは良好にしておきたい。仁との間に起きた出来事をかき消すかのように、マサを映画に誘った。毎日のようにラインしていたし、こうなるのは自然な流れだったはず。


 今はただ、マサのそばにいたい。許されなくても。



 この頃、アオイは変だ。


 映画館のカップルシート。隣に座るアオイを横目で盗み見、マサは思った。今二人は、恋愛アクションものの映画を見に来ている。以前アオイが見たがっていたもので、マサが彼女にそのチケットをプレゼントした。アオイと旦那がチケットを使わなかったので、結局こうして二人で見に来ることになった。店を閉店した後のレイトショーである。様々な宣伝文句で好奇心を煽る前振りのCMを聞き流し、マサは思考する。


 二人きりで映画なんてデートみたいだし、絶対実現しないと思ってた。


 なのにどういうことだろう。アオイの方から映画に行こうと誘ってきたのだ。前にマサから誘った時は困った様子を見せていたのに。


 まあ、あの頃はまだ旦那の浮気を知らなかったしね……。今は色々あった後だし……。


 それにしても、マサはすんなり現状に納得できない。二人で映画に来られ、しかもカップルシートに座れるなんて願ったり叶ったりなはずなのだが。


「あ、始まるよ!」


 小声で言い、アオイはわずかにマサへ身を寄せた。面白いと話題の映画なのに、マサはちっとも内容に集中できなかった。アオイの存在感の方が際立っていた。


 およそ二時間の上映時間が過ぎていった。平日の夜ということもあり客は少なかった。ポツポツ帰路につく客達に合わせマサとアオイも映画館を後にした。ここまではマサの車で来たので、二人は自然な足取りで駐車場へ向かった。


「どうぞ」


 マサは外から助手席の扉を開き、アオイを車内に誘導した。アオイは「ありがとう」と微笑し、シートに背を預ける。こうしているとまるで本物のカップルみたいに思え、マサは内心それだけで満足していた。


「この後どうする?」


 運転席に着き、マサは一応尋ねた。人妻をこれ以上連れ回すのも気が引けるが、もう少しだけアオイと一緒にいたいのも本当。アオイはにこやかに微笑むと、


「んー。どうしよっか。まだ帰りたくないなー……。マサに任せていい?」


「了解」


 マサは慣れた手つきで運転し、アオイの自宅とは別方面へ車を走らせた。まだ帰りたくない。切ない声でそう言ったアオイの心を都合よく解釈し、内心浮かれてしまう。


 旦那とケンカでもした?


 アオイの不幸を願うみたいでたちが悪いが、正直なところ、アオイへの想いを深めれば深めるほど綺麗な感情だけではいられなくなっている。旦那と別れて俺のそばにいてほしい。そう言ったら、きっとこの友情は終わってしまう。それだけは嫌で、毎日のラインと職場で顔を合わせるのみで満足するように心がけている。このままいくといつ嫉妬心から破壊的な行動に出てしまうのか、自分でも分からない。マサは、自分のことなのに自分の感情が恐く、コントロールが難しいと思った。


「着いたよ」


 数十分のドライブの後、マサは車を止めた。たどり着いたのは小高い丘の上。夜景がとても綺麗だと有名な場所だった。大学の友達に教えてもらい今回初めてやってきたのである。


「綺麗……!」


 車内からでもよく分かる。視界を邪魔するものが一切ない、純粋な夜の景色。寝静まった人々の暮らしが闇に沈み、時間限定の美しさだけがそこにあった。


 夏なのでさすがに外には出られないが、車内でクーラーを効かせて一望する風景は何とも言えないほどだった。はじめこそポツポツ景色の感想を言い合ったりしたものの、そのうち二人は言葉を飲み込み黙って同じ方向を見つめていた。


「ねえ、マサ」


「ん?」


 唐突にアオイが声を発する。神妙な声だった。


「これからもずっと仲良くいられるかな? 私達」


「もちろん。急にどうしたの?」


 なぜだろう。マサは迫り来る緊張を覚えた。自分にとって良くないことを言われる予感がした。


「ううん。深い意味はないの。何となくいてみたくなって」


「ビックリした。真面目な顔するから」


 この時、マサのスマートフォンを鳴らす人物がいた。夏休みを利用してこちらに遊びに来ている同級生のリオだった。









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