苦手意識と後悔
こちらは、以前完結した短編恋愛小説『イノセント ダーティー』を改稿したものになります。視点や設定を変え、元の作品より色々なエピソードを追加していく予定です。
「してはいけない恋」をテーマに書きました。よろしければぜひご一読ください。
2018.03.01追記:更新大変申し訳ありません。最近は更新ペースにばらつきがあり、週一の投稿を目標にしてきましたが、月一になってしまうこともあります。よろしくお願い致します。
2019.08.23追記:私生活により、今後しばらく不定期更新になってしまいそうです。読み進めて下さっている方には大変申し訳ないのですが、ご都合が可能な限りお付き合い頂けたら幸いです。宜しくお願い致します。
……身を焦がすほどの恋ってどんなもんなんだろな。
今年の春、現役合格で大学生になったマサは、夏休み限定で始めたバイト先のカフェカウンターで皿洗いをしつつ客席を眺め、そんなことをぼんやり考えていた。
近くにいくつかの高校や大学が集まっているせいか、商業施設の合間に位置するこのカフェの客層は若者メインで、うちほとんどが十代から二十代の男女客で占められている。時折社会人と思しきスーツの男や、ごく稀に老夫婦なども足を運んでくれるがたいていが一見の客で、そういった人々は二度来店することはない。当然だが老いを体験したことのない明朗快活な雰囲気や後先を考えない軽いノリ、無謀さ、時には悩み相談などしあっている女子同士の情緒不安定さとおおげさなほど高らかな同情の声。若者達の放つ独特の、それでいて中年以降にはあまり見られない空気感が、ある程度落ち着きを得た年齢層の男女を遠ざけているようだった。
女性店長を務めるアオイは出勤するたびそのことを嘆いており、幅広い客層に利用してもらえるようメニューも考案してきたそうだが、単なるアルバイトのマサにとって店長の悩みなどどうでもよかった。
「店長って年上だけどそう感じさせない柔らかさがあるっていうか。同じ目線で話してくれるし、忙しい時でもピリピリしないで接してくれるから好き〜」などと言われ他数名のアルバイター達には人気の高い店長だが、マサだけは初対面の頃からどうにもアオイを受け付けられず苦手に感じていた。明確な理由はこれといってない。嫌味を言われたり怒り任せに八つ当たりされたりこちらの仕事を無視するような業務命令を下されたりもしていない。
もちろん業務上のことで注意を受けたことはあるが、それは店長として当然の対応なのでマサも納得できたし、アオイの言い方はサバサバしていて後を引かないので嫌な気持ちにならない。人前で叱るということもしない人だった。言われる側のプライドを傷つけないよう極力人目のないところでサラッと注意してくれ、後はあっけらかんとしている。そんな評判を聞きつけてバイトしたがる学生も多いし、実際マサも良い環境下で仕事できていると実感する。高校の頃少しだけバイトした洋服の検品工場は、指示を下す社員の気分次第で作業効率を変更させられ毎度ストレスがたまったものだ。それに比べたらここはずいぶん働きやすい。アルバイターの定着率も高いので、志願者がいても求人は滅多に出さないそうだ。そんなところで夏の間だけとはいえ働けることになった自分はツイている。
だけど、なぜか店長のことはダメなのだ。アオイとシフトが重なるとマサは憂鬱になる。他のバイトや客の目もあるので態度に出さないよう気をつけているつもりだが自信はない。アオイへの好感度ははっきり言ってはじめから低かった。
それに、アオイの抱える店の売り上げ状態なんかよりも今は重要な課題がある。課題というにはおおげさかもしれない。しかしこれを課題と言わずしてどう表現したものか。
『夏休みにさ、俺の彼女とお前の彼女で海行こうぜ! いいだろ?』
それもこれも、幼なじみのイクトがダブルデートなるものを決行しようと無理難題を押し付けてきたからである。マサには現在彼女がいないのに、だ。
二組以上のカップルで遊ぶ夏の海。特定の恋人、それがいなければ女友達などを適当に誘って成立させる青春を全面に押し出した華々しい夏イベントのひとつである。だが、それに参加できる権利があるのは親しい女友達か彼女のいる男だけだ。そんな場へ、女っ気のないマサを誘うイクトの気が知れないと外野は言うだろう。マサ自身最初はそう思った。
「誘うなら他を当たれ。彼女がいるヤツなんて他にもたくさんいるだろ」
「何寂しいこと言ってんだよ〜。俺は〝マサだから〟誘ってんのに〜」
一見、好意的な誘い方だ。彼女なんていなくてもいいから親友のお前には来てほしいんだよ絶対楽しいからと言いたげないじらしいオーラを前に、友達として悪い気がしないので喜んでノリよくオッケーしてしまいそうになる。だが、マサはイクトの明るい誘い文句を額面通りには受け取らなかった。むしろイクトはあからさまな悪意を持って全力でマサに恥をかかせようとしている。イクトの顔にはわざとらしい笑みが貼りついていた。
やはり、イクトはまだマサに恨みを持っているようだ。去年の夏のことで。
それが分かっているので、乗り気になんてなれないそのイベントに、マサは参加しなければならない。断ったら、一度粉々に砕けたイクトとの友情が今度こそ跡形なく消えて終わってしまうと思った。
先に裏切ったのは自分。罪滅ぼしにダブルデートに臨まなければならない。義務感で行くイベントほどつまらないものはないが、義務だからこそ投げ出せない。
かといって自分の彼女役をやってくれる女性要員のアテはないし、男友達を連れて行くなんて論外だ。大学では男女問わず何人かの友達ができたが一人暮らしの女友達はみんな実家に帰省するし、そうでなくても彼氏がいる子ばかりなので男のいる場所へは誘いづらい。大学内の女友達はあくまで男女混合の仲間騒ぎをするメンバーであって、恋愛の後始末的ゴタゴタに巻き込む友達ではない。
だからといって諦めるわけにもいかなかった。イクトの前でこんなこと言える立場ではないのは重々承知だが、マサにも男として見栄を張りたい気持ちが少なからずある。大学生になって初めての夏休みに恋人もなく一人寂しく過ごす男のレッテルを、イクトとイクトの彼女に貼られたくなかった。
とはいえ、しつこいようだが都合よく呼び出せる女友達のアテはない。このままではイクトの狙い通り、マサはカップルのラブラブデートについて行く空気の読めないぼっち野郎になってしまう。イクトがその展開を望んでいるのは明からだが、イクトの彼女までもがそうとは限らない。むしろ「なんで一人で来てるの? だったら私イクトと二人きりの方がよかった。この人超邪魔なんですけど」と思われかねない。それだけは嫌だ。何としてでもイクトの思惑通りにならない方法を見つけねば。
考えは堂々巡りで、一向に解決する気がしない。バイト中だというのに、皿洗いが終わるなりカウンターに両手をついて頭をだらしなく下に向ける。
「恨むのは分かるけどやり方エグいんだよォ……」
マサの囁きに反応したのか、あからさまにやる気のない言動を咎めに来たのか、接客を終えてカウンターに戻ってきた店長のアオイは訝しげにマサの顔を覗き込んだ。
「マサ、仕事中だよ。しっかりして」
「すいません」
「もう。しょうがないなぁ」
謝る気のなさを隠さないマサのうなだれた声音に肩をすくめつつ、アオイは苦笑した。この女性店長、マサより五つも年上の二十三歳で立派な社会人なのだが、どうにもそこまで年が離れているとも思えない面立ちで、店長という肩書きにも違和感があるほど注意の仕方も怖くない。向こうもそれを自覚しているのか、自分より年下のバイト達をこうして呼び捨てにしたりちゃん付けにしている。暗に年上アピールをしているのだろうか。それらの要素が他のアルバイターにはウケているようだが、逆にそれがマサの苦手意識につながっているのだろうか。こんな優しい女いるわけがない、絶対裏がある、こういう女は何を企んでいるのか分からない、と、たいした理由もなく心の底で疑ってしまっているのだろうか。
もしかして、俺、めちゃくちゃひねくれてる?
これでも一応、アオイはマサを雇ってくれた面接官でもある。決してなめているわけではないが、威圧感がなく学生のような爽やかさを身にまとうアオイを前に、マサは苦手意識を持ちつつもつい素の自分を出してしまうのだった。だからよけいタチが悪いと思ってしまう。
「恨まれるようなことしたのー? マサは」
「聞いてたんすか!?」
「だって、独り言にしては声大きかったから。そばにお客様がいる時もあるから気をつけてね」
「はーい。今後は気をつけまーす」
従業員と店長の軽いやり取り。
少し年の離れた姉といった感じだろうか。マサにとってアオイはそういう存在だった。細身でマサより低い身長。ショートヘアの髪。彼女はすでに結婚しているらしいが所帯染みた雰囲気もなく、かといって学生のような身軽な口調でもない。対面していても、友達と話す時の気楽さとはまた別の感覚がする。姉という例え方も微妙に違うのかもしれない。
それに、年上なはずのこの店長にはひたすら色気がない。顔立ちは整っているのだが、女を匂わす何かが足りない。かといって地味かと言えばそうでもなく、時々独身らしき男性客にナンパされているのでモテない女というわけでもない。今も若いが、十代の頃はもっと色んな男の目を引いたんだろうなと思うほどには整った顔をしている。でも、ありえないほど男の影を見せないというか、感じさせないというか。
この人、既婚者だよね? 本当に旦那いるの?
店長は不思議な女だとマサは内心思っていた。もちろん口には出さないが。
心の中で勝手にアオイへのジャッジをすませ、マサは気だるげに会話を続けた。
「去年の話なんですけど、ちょうど今頃ですかねー。親友の彼女とヤッちゃったんですよ」
「ほ、本当に!? そ、そんなことが……」
「なんか新鮮な反応です、それ」
客足も減り落ち着く時間帯。店長と二人きりのシフト。特に話すこともないので、マサは雑談の延長といった心持ちでアオイの質問に答えることにした。内容が内容なので、重くならないよう軽口を意識して。
しかし、やめておけばよかった。大人のわりにアオイは同世代のように話しやすい。だけど一応店長で女性だ。こんな話には嫌悪感を覚えたに違いない。現に、普段自分の立場を自覚して凛々しくあろうとしているのであろう店長の頬はマサの話を耳にした瞬間真っ赤に染まり言葉を詰まらせ、困ったように目を伏せてしまった。
やっぱりこの人、イメージ通り色恋系の話は苦手なのかもしれない。年上だし旦那持ちって言ってたけど、実はほとんど恋愛経験ないのかも。
苦手な人間相手に身の上話をしてしまったことを、マサは少し後悔した。