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9、会話

「学校はどう? バイトと両立じゃ、キツイんじゃない?」

 街を歩きながら、本屋で一緒にいた女性が、和人に尋ねる。

『もう慣れたよ』

「そう? あの編集長、人使い荒いって有名だから」

 その言葉に、和人が笑う。

 女性の名は、森下祥子。年齢は二十七歳で、仕事はイラストレーターをしている。

 半年ほど前から、和人は親戚筋の出版社で校正のアルバイトをしており、祥子とはそこで知り合った。そこでよく会う祥子は、いつしか手話を覚え、和人によく話しかけてくれた。そんな祥子に、和人も心を開いているが、一般的な恋人といえるような関係ではまだない。だが、互いの心が通じ合っていることは、当人同士が一番よくわかっていた。

「今日はごめんね。用もないのに、突然呼び出しちゃって」

 祥子が言った。

『ううん、いいよ。年末はバタバタして会えなかったし』

「……今度はいつ会えるかな」

『また、すぐ会えるよ』

 和人はそう言って、祥子の腕を軽く叩いた。小さい頃から心を許した人に見せる、和人の親しげなコミュニケーションの一つである。

 和人の言葉に、祥子は嬉しそうに微笑んだ。

「うん、そうだね」

『また連絡するよ。今度一緒に、どこか行こう』

 駅で和人に見送られ、祥子は去っていった。

 もう女性をデートに誘えるほど、和人は大人にもなっていたし、幸以外に心が通い合える存在が出来ていた。


 実家に戻った幸は、台所へと向かっていった。台所では、溜まった食器を母親が片付けている。

「お母さん。私、やるよ」

 幸が言う。実家にいた頃は家事など進んでやるほうではなかったが、今は小さな親孝行もしたいと思う。

「いいわよ。たまに帰ってきたんだもの。ゆっくりしてなさい」

 幸の思いに反して、母親がそう答えた。

「でも、こういう時じゃないとやらないし……ああ、結構おせち余ってるね」

 テーブルに置かれたおせち料理を見ながら、幸が言う。

「修吾さんが来るっていうし、多めに作っちゃったのよね。カズちゃんの家にあげても、まだ残ってるものね」

「え、和人の家にもおせち分けたの?」

「うん。大晦日の夜に持って行ってね。カズちゃんの家も、お母さんが大変だしね」

「……和人のお母さん、どうかしたの?」

 聞き捨てならない台詞に、幸がそう言った。

「ああ、幸は知らないのか……去年、カズちゃんのお母さんが倒れてね。病名ははっきりしないみたいだけど、今までずっと働き詰めだったから、一度倒れて病弱になっちゃったみたいでね……」

「へえ。知らなかった……」

「それっきりカズちゃんも実家に帰ってきて、お母さんの面倒見ているみたいよ。まあ面倒っていうよりは、お母さんもカズちゃんがいたほうが安心だろうしね」

 母親の言葉に、幸は目を丸くした。

「じゃあ和人、ここから学校へ通ってるの?」

 幸が驚いたのは、実家のあるこの街から学校までは、片道一時間以上あるからである。通えない距離というほどではないものの、学生でアルバイトもしている和人にとっては、辛いものだということは容易に想像出来た。

「そうみたいよ。あの子、家族想いの優しい子だからね。遠くても通ってるみたい」

「知らなかった……」

「さあ、わかったら、おせちたくさん食べてよね」

 母親の言葉に苦笑しながら、幸は久々の家族の団欒を楽しんでいた。


 しばらくすると、幸の家の呼び鈴が鳴った。幸の母親がすぐに玄関へと向かっていく。

「はーい。あ、カズちゃん」

 居間にいた幸は、母親のその声を聞いて玄関へと向かっていった。しばらく会っていない和人に、会いたいと思った。

「美味しかった? おせち」

 幸の母親も少しの手話は出来るが、大きな口でハキハキと話すため、和人は口の動きで大体の言葉は理解出来た。

『美味しかったです。いつもありがとうございます』

 微笑みながら、和人が答える。

「そう、よかったわ。よかったらもっと食べない? 作りすぎちゃってね……」

「お母さんってば。もう結構食べたから、うちだけでも食べれるわよ」

 様子を伺っていた幸が、やっと話に入って言った。

「あけましておめでとう、和人」

 幸の言葉に微笑んで、和人も頷く。

『あけましておめでとうございます。帰ってたんだね、久しぶり』

「うん。いつの間にか、久しぶりになっちゃったね」

 二人は笑った。

「カズちゃん。立ち話もなんだから、上がっていったら?」

 和人と幸の間に入って、母親がそう言う。和人は首を振った。

『いいえ。おせちの入れ物、返しに来ただけですから。母もよろしくお伝えくださいと言っていました』

「そう? ゆっくりしていけばいいのに」

「和人、ちょっと話したいことがあるの。私、送るよ」

 母親の長話になる危険を断ち切って、幸は和人とともに家を出て行った。

『どうしたの? 送るって……』

 和人は苦笑して、幸を見つめている。五歩も歩けば和人の家だ。

「あのね、修吾から言付かってて……ほら、講師のお礼も言えてなかったから、気にしてるみたいなの。だから今度、一緒に食事でもしませんかって」

 修吾からの言付けを、そのまま幸が伝えた。

 目の前にいる和人は、幼馴染みであると同時に、もはや知らない男性という感覚も入り混じっている。久しぶりに会ったということもあり、幸は少し緊張してそう言った。

 そんな幸とは裏腹に、和人だけは今までと変わらず、優しい眼差しを幸に注いでいる。

『ああ、べつにそんなのいいよ。講師といっても大したことはしてないし、バイトが忙しくて途中で辞めさせてもらったんだし……』

「でも、それじゃあ修吾の気持ちが収まらないのよ。彼、そういうところは律儀だから……」

 幸の言葉に、和人は微笑んだ。

『わかったよ。そういうことなら……』

「よかった。今度、修吾と話して連絡するね。あ……メールアドレスとか、持ってる?」

 和人は頷きながら、Gパンの後部ポケットから携帯電話を取り出した。

「そっか。和人も携帯くらい持ってるよね」

『そういえば、教えてなかったね』

「あ、うん……よかったら教えて」

『いいよ』

 二人は、互いのメールアドレスを交換した。

『寒いから、早く中に入ったほうがいいよ』

 携帯電話をしまいながら、和人がそう言った。

「そうだね。風邪引いたら大変だもんね」

『そうだ。ピアノコンクール、入賞おめでとう』

 和人が言った。幸は驚いて目を見開く。

「……知っててくれてたの?」

『当然だよ。新聞でも取り上げられてたじゃない。凄いね』

「そんなことないよ。でも、少し忙しくなっちゃって……」

『いいことだよ。さっちゃんの夢じゃない。ピアノは身体の一部でしょう?』

 和人の言葉に、幸は微笑む。

「うん。ありがとう」

『これからも、頑張ってね』

「うん。和人も……」

 幸はそう言いかけて、和人の母親が倒れたことを思い出した。

「あの、お母さんが大変だって聞いたけど……大丈夫?」

 その問いかけに、和人は優しく微笑んだ。

『大丈夫だよ。今まで僕のために、必死に働いてきたのが祟ったんだ、きっと……』

「そんな言い方、よくないよ」

『うん……だから、これからは僕が頑張らないとね』

 しっかりとした和人の言葉に、幸は頷いた。

「うん。頑張ってね……」

『さっちゃんも。じゃあ、また』

 そう言うと、和人は家へと入っていった。幸は寒さに小さくくしゃみをすると、家の中へと入っていった。

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