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27、相愛

 それから数ヵ月後。和人と幸は、幸が和人の一人暮らしの部屋へ転がり込む形で、同棲を始めた。和人は卒業と同時に、数年間アルバイトをしていた出版社に、正社員として勤め出した。幸も今までやっていた施設伝手で、新しい施設での音楽講師を始めている。新しい生活に慣れるのには時間がかかったが、二人は二人だけの時間を大事にしていた。


 そしてある日の休日。二人は区役所に婚姻届を提出し、正式な夫婦となった。

「なんか変な感じ。今までと変わらないのに、少し違う気がする」

 区役所からの帰り道、幸がそう言った。幸もはしゃいでいるように見える。そんな幸を見るのが、和人はたまらなく嬉しかった。

『そうだね』

「……これからだね」

『うん……』

 言葉少なげに、和人は幸の手を取った。

「和人?」

 和人は黙ったまま、ポケットから指輪を取り出す。いつの間に忍ばせていたのか、いつ買ったのか、幸は驚きを隠せない。和人はそのまま、幸の薬指に指輪をはめた。

「和人……いつの間に、こんな物……」

『さっちゃん。今の僕には、これが精一杯……結婚式もしてあげられないし、こんな安物の指輪しかあげられないけど……ずっと僕のそばにいてくれますか?』

 改めてのプロポーズに、幸は涙を流した。

「当たり前じゃない……私たち、もう夫婦よ?」

 幸の言葉に、和人は微笑みながら大きく頷いた。幸は嬉し涙を拭くと、和人に尋ねる。

「もう、本当にびっくりした……いつの間に買ってくれてたの?」

『この間、仕事帰りにね。おかげであまり貯金もなくなっちゃったけど、今日くらい美味しい物でも食べに行こうよ』

「うん。でも、幸せ過ぎて夢みたい」

『それは僕も同じだよ』

 二人は手を繋ぐと、そのまま街へと歩いていった。



 穏やかな日々が続いていた。幸せな日々だ。その幸せの絶頂の時、更なる事件が起きた。

「妊娠してますね」

 体調を崩していた幸が病院へ行った時、思いのほかそんな言葉を聞いた。付き添っていた和人も、驚きのあまり声にならない。

 幸も同じだった。二人はまだ、子供のことは考えていなかったのだ。だがその時、驚いている幸を現実に戻す声が聞こえた。

「さっちゃん!」

 和人だった。未だ声に出すのが苦手な和人が、それだけハッキリ言葉にしたのは久しぶりに聞いた。和人は嬉しそうに、幸の肩を抱く。

『嬉しい驚きだね。僕は素直に嬉しいよ』

 心からの笑顔で、和人が言う。

「私も……なんか信じられないね。こんなに幸せでいいのかな……」

 ボソッと、幸が言う。

『なに言ってるんだよ』

 からかうように笑った和人に、幸も安堵の笑みを見せる。互いに顔が緩んで、嬉しさを隠し切れない。

 その日から、和人は更に仕事に精を出し、忙しさに感けて書いていなかった小説も、書き始める意欲を見せていた。


「和人、まだ起きてるの? 小説?」

 ある日の夜、幸が尋ねた。

『うん。僕たちのことを、小説にしようと思って』

「私たちのこと? そんなの小説になるかな……」

『なるよ』

 張り切っている和人に、幸は微笑む。

「最近、忙しそうで書いてなかったもんね……いくつか連絡来てたじゃない。また絵本とか書かないんですかって」

 幸が言う。

 和人が絵本を出してから、新作は一度も書いていなかった。理由は忙しいの一言だが、幸と会う時間を削りたくなかったことも要因となっている。

『うん……だけど、話題に乗ってのものばかりだもの。今はまだ、僕は書きたい物を書きたいんだ。この作品も、発表するとかしないとか、そういうんじゃないよ』

 和人の言葉を心ごと理解するように、幸は微笑んで頷く。

「反対はしないわよ。だけどちゃんと暖かくして、徹夜は駄目よ。身体を大事にしてくれなきゃ」

『わかってるよ。それより、君も気を付けなきゃ駄目だよ。今が一番大事だって、お医者さんも言ってただろ。出来る限りのことは僕がやるから、君も適度な運動して、よく食べて、ちゃんと睡眠取らなきゃ駄目だよ』

 和人が言った。幸はその言葉に笑って頷く。このところ、和人は幸の身体をよく気遣ってくれ、少しの家事も手伝ってくれるようになっていた。

「じゃあ、もう寝るね。おやすみ」

『うん、おやすみ』

 隣の寝室へ行く幸を見送って、和人はテーブルに向かう。執筆の手が緩むことはなかった。


 幸は寝室へ行くと、すぐに布団に入った。だが、なぜだか寝つけず、隣の部屋から漏れる明かりをおぼろげに見つめる。

 やがて幸は、トイレへ行こうと立ち上がった。おなかも大きくなり始め、最近では起き上がるのもやっとだ。そんな時、幸は布団に足を滑らせ、畳の上へと強く倒れ込んでしまった。途端に、腹部に激痛が走る。

「痛、痛い! 和人……和人!」

 幸がそう呼んでも、和人には聞こえない。あと身体一つ乗り出せば隣の部屋に手が届くが、それどころの痛みではない。幸は携帯電話を探した。枕元に置いてあった携帯電話は、僅かに手が届く位置にある。幸は最後の力を振り絞るように、手を伸ばした。

 その時、突然ドアが開いた。幸の姿を見て、驚いている和人が立っている。和人はすぐに幸へと駆け寄った。

『どうしたの!』

 和人が焦った様子で尋ねる。

「おなか、痛いの……転んで……」

 あまりの激痛に声にならず、幸はやっとのことで単語を言った。手話をする余裕もない。

 和人は察して、そばに転がっていた携帯電話を取ると、すぐにメールを打った。

<幸が倒れた。救急車を呼んでください>

 素早く送信した先は、和人の実家である。夜中にも関わらず、すぐに電話が鳴った。緊急で了解した合図は、和人が電話口に出られなくても電話で返すことにしている。

『さっちゃん、大丈夫?!』

 電話口から、和人の母親の声がする。幸は少し安心したように、和人から電話を取った。

「お義母さん……」

 布団の上に蹲りながら、幸が苦しそうに言う。

『大丈夫? 今、お父さんが救急車呼んでくれてるから。頑張るのよ、さっちゃん!』

「ありがとう、ございます……」

 和人は慌てながらも、出かける準備を整え始めている。そんな和人を見ながら、幸はそこで気を失った。

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