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23、苦悩

「本当に久しぶりだね」

 真由美の言葉に、和人は頷く。

「あ、絵本出したよね? おめでとう。読んだわよ」

『ありがとう』

「幸とは会ってる?」

 突然変わった話題に、和人は一瞬止まった。しかし、やがて頷く。

『……うん』

「そう。お見舞いに行こうと思ったんだけど、こっちも忙しくて、遠いしなかなかね……修吾から聞いた時は、嘘じゃないかと思ってたけど……」

『……修吾さんは?』

「修吾? あいつ、学校辞めたわ」

 それを聞いて、和人は驚いた。

『どうして……』

「あの事故があってから、人が変わったみたいになっちゃってね……学校もサボるし、家ともうまくいってなかったみたい。学校でもずいぶん揉めたらしいけど、本人がもう行く気がないって……」

『それで修吾さん、今は?』

「さあ……両親もショックだったみたい。そりゃあそうよね、神童って言われてたバイオリニストが突然意欲失くしちゃったんだもん。でも噂によれば、どこか外国の音楽学校へ留学させられてるみたい。一からやり直すならいいだろうって」

 真由美の話を聞いて、和人は頷いた。

『そう。知らなかった……』

 和人は手話で呟いた。幸から去っていった修吾も、傷付いていないわけがなかったのだ。以前、修吾を責め立てた自分があった。和人は少し、罪悪感にかられていた。

「それはそうと、カズは幸とはどうなの。進展は?」

 突然、真由美がまた話題を変えて尋ねる。真由美は和人の幸への恋心を知る人物で、それが二人の別れた原因であった。和人はその質問に苦笑する。

「なんだ、まだ告白してないの?」

 少しからかうように真由美が言う。和人は尚も苦笑すると、首を振った。

『出来ないよ……僕と彼女は、互いに会話もままならないし……』

「それが何よ。好きなら突っ走ればいいじゃない」

 真由美らしい答えに、和人は小さな溜息をついた。

『僕が彼女を幸せにしてあげられることは出来ないよ……そんな簡単なことじゃない。まだ学生だし、将来だって仕事が安定するとは思えないから。それに……怖いんだ。幼馴染みの関係が崩れるのは……』

 和人の言葉に、真由美は急に怒ったような顔をした。

「逃げよ、それは。障害があるから臆病なのはわかるけど、それじゃあちっとも前へ進まないわよ。好きなら当たって砕ければいいじゃない。誰だって、自信も将来もわかり切ってないわ。何度振られたっていいじゃない。それとも何? 告白したら、今までの思い出さえも消えちゃうってことなの?」

 真由美の言葉の一つ一つが、和人の胸に突き刺さる。和人自身も頭ではわかっていることだった。真由美の言葉に、反論の言葉一つも浮かばない。

「ああ、もう! 少しは大人になってるのかと思ったけど、相変わらずね。ウジウジしてたら、いつか後悔するわよ。先のことなんてね、きっと神様にだってわからないわよ」

 和人は内心落ち込んでいた。一日で二人の女性を怒らせた自分に腹が立つ。そしてもっともな真由美の言葉が、和人の心を沈ませた。

「言い過ぎたかな。でも、私がずっと思ってきたことよ。言葉では伝わりにくいんだから、態度で示さなきゃなんにも伝わらないわ。一方的にしゃべって悪かったわね……って、前からか。それは私も反省してる」

 苦笑しながらも、和人は首を振る。二人は喫茶店を出ていった。

「じゃあ、また。頑張ってね。仕事も恋も」

『そっちも……』

「うん。今度、私も幸の家へ行ってみる。ずっと気になってたから」

 和人が頷くと、真由美は手を振り去っていった。

 きついことを言われた感覚もあるが、不思議と心が軽くなったような、後押しをされたような気持ちになる。和人は気を取り直して、家へと帰っていった。


 数日後。和人は学校から家に帰るなり、ベッドに寝そべった。ふとズボンの後部ポケットに違和感を覚え、それを取り出す。数本の鍵の束がある。中には、祥子から預かっている祥子の部屋の鍵もある。和人はじっとそれを見つめた。

 祥子にしばらく時間を置きたいと切り出されてからいろいろ考えてみたが、未だ自分がどうしたいのか答えが見つからない。ただ、祥子の言葉だけが突き刺さっている。

「和人が自分の障害を楯にするなんて思わなかった」

 そう言った祥子の言葉を思い出し、和人はハッと起き上がった。

(そうだ……僕は今まで何をしてきたのだろう。僕には両親がいて、幼馴染みがいて、恋人もいて、友達もいて、勉強出来る環境にも、仕事が出来る環境にもある。みんなが僕を守ってくれていたのに、どうして卑屈になることがあるんだろう……祥子が言う通り、僕は自分の障害に甘えていた部分があるんじゃないだろうか)

 和人はふと起き上がると、隣の家の二階の一室に電気が灯っているのに気がついた。以前の幸の部屋である。何をしているのか……そんなことも考えられず、和人は頭を抱えた。

 幸への想いを恋だと認めても、幸の人生を背負えるほどの度量があるとは自分でも思えない。そしてなにより自分が恋心を抱くことで、唯一繋がれた幼馴染みの絆さえも崩れ去るかもしれないことは、和人自身耐えられないと思った。

 だが、もはや祥子のことを考えると、もやがかかったように自分の気持ちがわからない。幸への想いが恋ならば、それとは少し違うと感じる祥子への想いは、一体何だというのだろう。愛していないわけではないのに、和人は説明のつけられない想いに縛られていた。

 唯一わかっていることは、見合いをするという祥子を残念に思いながらも、自分と祥子の結婚については、今はまだ考えられないことである。

(祥子に会おう……)

 やがて出た答えに、和人は支度を始めた。自分の心すらわからない。だが今、祥子に会って確かめたいことがあった。すでに日が落ちた街を、和人はもう一度出ていった。


 祥子は自分の部屋で、孤独を感じていた。目の前には見合い相手の写真が置かれている。顔も悪くない。職業も安定している。見合いをすれば知らない相手でも、そのうち愛するようになるのだろうか。そんな疑問が渦巻いている。

 その時、祥子の携帯電話が鳴った。メールではなく着信だ。古くから世話になっている出版社の橋野の名前が、液晶画面に浮かぶ。

「はい、森下です」

 仕事の口調で、祥子は電話に出た。

『あ、祥子ちゃん? 遅くにごめんね、橋野ですけど』

「はい。どうしたんですか?」

『いや、この間ちょっと顔出して以来、ちっとも来ないからさ。僕と飲む約束、忘れられちゃ困るからね。催促の電話だよ。今度飲みに行こうよ』

 橋野が、冗談口調で軽く言う。

「あれからそんなに経ってないじゃないですか。忘れませんよ。じゃあ……今日じゃ駄目ですか?」

 祥子が言った。さすがに橋野も、一瞬言葉を失ったようだ。今日といっても、日付が変わるまであと数時間しかない。

『今から?』

「あ、ごめんなさい。無茶言って」

『いや、なに? 水上と喧嘩でもした?』

 そんな橋野の言葉に、祥子は一気にぐっときてしまった。涙が出そうになる。

 思えば橋野は、祥子の駆け出しの頃から面倒を見てくれているよき理解者であり、和人のバイトの先輩でもあるため、人より多く自分を知られている。

『あはは。黙ってるってことは図星か。いいよ、軽く飲みに行こうか』

 軽いノリで続けた橋野に、祥子は頷いた。孤独に呑み込まれそうで、誰かと一緒にいたかった。

 祥子は急いで支度をすると、夜の街へと消えていった。


 祥子は、何度か橋野に連れて来られた行きつけの居酒屋へと足を運んだ。すでに店の中では、橋野がビールを飲んでいる。そして祥子を見つけると、グラスを持ち上げて招いた。

「いらっしゃい。ビールでいい?」

 橋野の問いかけに祥子が頷くと、素早くビールが運ばれる。

「じゃあとりあえず、祥子ちゃんの昇進に乾杯」

「あはは。昇進ですかね……」

「そりゃあそうさ。君も憧れてた出版社だろ。それに採用されたんだ。もっと喜びなよ」

 橋野の言葉に、祥子は頷く。

「なんだよ、ちっとも嬉しそうじゃないな。じゃあ本題に入るか。水上とどうなったって?」

 サバサバと尋ねる橋野に、祥子は苦笑して口を開いた。

「しばらく、冷却期間を置こうと思って……」

 それを聞いて、橋野は少し驚いた。和人と祥子の関係はよく知っているつもりだ。いつ見ても仲が良く、喧嘩をするようには見えない。

「へえ。マジ喧嘩なんて、初めてじゃないの? 何があったの?」

「何ってほどじゃないですけど……」

「嘘つけ。いつも喧嘩のケの字もないくせに」

 祥子は微笑むと、静かに口を開いた。

「橋野さん……和人は本当に私のこと、好きでいてくれているかわかりますか?」

「……え?」

「和人はいつも一歩引いていて、付き合うきっかけになったのも、遠回しに私から告白したからなんです……それだけじゃない。手を繋ぐのもキスするのも、いつも私からだった。小さな喧嘩をしても、和人ばかりに謝らせて……それが本当に、恋人って言えるのかな……」

 祥子の言葉に、橋野は思ったよりも祥子が落ち込んでいることに気がついた。

 橋野は優しく微笑むと、祥子を見つめる。

「でも、あいつが一歩引いてるのは、障害があるからだろ。あいつ自体の性格なんだろうし、ずいぶん傷付いてきたみたいだし、そんなことは今更だろ。そんなに落ち込むことはないんじゃないのかな……」

「……」

 押し黙って、祥子は和人の言葉を思い出した。祥子が一番悲しかったのは、和人が自分との婚約を否定も肯定もしなかったことではない。自分の障害を楯に逃げたからだ。

(考えてみれば小さなことかもしれない。だけど、どうしてこんなに悲しいんだろう。どうしてこんなに腹立たしいんだろう。和人が障害を抱えているのは事実。だから仕方のないこと? 私は和人の障害を忘れられるほど、身近にいたつもりだった。だけど和人は違う。きっと一生、私と交わることはないんだ……)

 祥子は何かの終わりを悟っていた。すうっと熱が引くように、祥子の中で何かが冷めていくのを感じた。

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