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19、完成

 次の日。祥子が起きてリビングへ出ると、すでに和人の姿はなく、テーブルの上にメモが置かれていた。昨日、祥子が散らかした本は元のように積み重ねられ、数冊の本が束ねられていた。その中には、点字の本もある。


“今日も学校なので出かけます。昨日は話が出来なくて残念でした。今日も昨日と同じくらいの時間に帰ります。今日は話が出来ると嬉しいです。和人”


 更に下には、まだ文章が書かれている。


“追伸。長い間、部屋の一角を本で占領してしまっていてすみません。束ねてある本はいらない本です。今度売りに行くつもりだけど、すぐに片付けたいなら君が処分してください”


 それを見て、祥子は俯いた。

「気を使っちゃって……そういうところ、ずるいのよね。私より年下のくせに……」

 祥子は束ねられた本を見て、小さく微笑んだ。


 その夜。部屋に戻ってきた和人を、いつものように祥子が笑って出迎えた。その様子に、和人はホッとする。

「おかえり」

 玄関まで出迎えた祥子を、和人は思わず抱きしめた。和人の中で、祥子の存在が膨れ上がっていく。いくら優しい家族がいても、今まで和人は心の隙間を感じていた。ふとした時に感じさせられる、孤独。幸にもう会えないと言われた日、和人は祥子の存在がどれだけありがたかったか計り知れない。

「昨日はごめんね。大人げなかったね……」

 祥子が静かに口を開いた。和人はしきりに首を振る。

『こっちこそ、ごめん……でもこれからは、なんでも言って。話さなくてもわかり合いたいけど、僕は人よりそういうところは欠けてると思う。だから君には不満に思わせる部分が多いと思うけど、僕はちゃんと、君のことが好きだから……』

 和人の言葉に、祥子は笑って和人を抱きしめた。祥子が一番欲しかった言葉のような気がした。

「ありがとう、和人……」

 二人は微笑み合うと、中へと入っていった。テーブルの上には、束ねておいたはずの本が解かれていた。和人が祥子を見ると、祥子は小さく微笑んでいる。

「無理して捨てなくていいよ。そこの一角は和人のスペースだって、私が容認しているんだし……」

 祥子の言葉に、和人はもう一度、積み上げられた本を分け始めた。

「和人?」

『……本当にいらない本なんだ。明日にでも売りに行くよ』

「和人……」

 和人は祥子を見つめた。

『祥子。君が気にしてるのは、この点字の本でしょう?』

 昨日不機嫌だった祥子の原因を、和人が尋ねた。昨日は本を崩すことで露骨な伝え方をしたが、祥子は何も言わずに目を伏せる。

『べつに怒ってないよ。僕が無神経だった。ごめんね……』

 祥子は首を振る。

「ごめんね……いつも謝らせてばっかりだね、私……」

 今にも泣き出しそうな祥子に、和人は祥子の手を取った。そして二人、ソファに座る。

『どうしたら、君の不安が拭い去れるのかな……僕は、やましいことは一つもしてないよ。ちゃんと君が好きだし、さっちゃんのことは今でも気かかりだけど、恋とかそういうんじゃない。信じてほしい』

 その言葉に、遂に祥子は泣き出してしまった。わかっていても、割り切れない思いで一杯だった。かといって、和人の心から幸を追い出すなど無理だと思ったし、してはいけないことだと思う。矛盾した複雑な気持ちが、祥子を締めつける。

「私がいけないの……でも私、和人を信じてるから。だから……」

 二人は静かにキスをした。互いに優しい温もりが包む。だがお互いの心に影を落としているのは、幸のことであった。いつの間にか祥子の中で、幸の存在は大きく膨れ上がっていたのだ。だが、それを追い払うように、和人は強く祥子を抱きしめる。それ以外の方法は、今の二人には見つからなかった。


 それからしばらく経ったある日。和人は夏休みを利用して、実家へと帰っていた。このところ、仕事関係で祥子の家に泊まることが多かったので、実家に顔すら出していない。

「おかえり」

 いつものように、母親の優しい顔が飛び込んできた。いつもは仕事で忙しい父親も、夏休みで家にいる。両親は和人のことが心配でならないものの、賞を取ったり絵本を出したりと輝きに満ちた我が子を、誇らしく思っていた。

『うん。今日、到着する予定だよ』

 和人が言った。和人の書いた絵本は、発売日を来週に控えている。だが、すでに出来上がった物が一足先に実家に届くようになっていた。

「それを聞いてから、朝からそわそわしちゃってるのよ。和人と祥子さんの合作でしょう? どんなのかしら」

 すでに母親は、待ちきれない様子ではしゃいでいる。父親も終始にこやかで、やれやれといった様子で母親を見つめているものの、いつもと違って落ち着かないようだった。そんな両親を前に、和人自身も少しは親孝行出来たのだと思うと、嬉しくてたまらない。

 その時、呼び鈴が鳴った。和人の母親は、いつもより増して猛スピードで玄関へと向かっていった。父親は、苦笑して和人を見つめる。

「朝からあんな調子なんだ。父さんもね……学生の身でよく頑張ったな、和人」

 ストレートな父親の言葉に、和人も嬉しさを噛み締めていた。両親がこんなに喜ぶとは思ってもみなかったのだ。

 やがて母親が、父親経由で和人を呼んだ。玄関には大きな段ボール箱があり、和人はそれを抱えて、リビングへと運ぶ。箱を開けると、間違いなく和人の名前が印字された絵本があった。

「まあ素敵。作・水上和人だって。祥子さんの絵も素敵ね」

「ああ、嘘のようだな。こんなに立派な本になるなんて……」

『ありがとう。喜んでくれて、僕も嬉しいよ』

 両親の言葉に、和人は素直にそう言った。

 久しぶりの家族の団欒に、和人は日々の緊張から解されている気がした。他愛もない話を家族でしている時だけは、和人も心身ともにリラックス出来るのだった。


 夕食を終えて、洗い物をしている母親に、和人は静かに近づいていった。

「なに、和人。まだおなか空いてるの?」

『違うよ。母さんに、頼みたいことがあるんだけど……』

 そう言って、和人は自分の絵本と、その上に置かれたCDを見せた。

「なあに?」

『これを、さっちゃんの家に持っていってくれないかな?』

「さっちゃんに? いいけど、さっちゃんは……」

 幸は目が見えないので、和人の絵本は見れないと、母親は言いたげだった。だが和人は静かに微笑みながら、絵本の上に乗ったCDを指差す。

『これ、テープ図書の試作品なんだ』

「テープ図書?」

『うん、無理言って作ってもらったんだ。絵本の朗読のCDがついてる』

 和人がそう言った。

 絵本を作るという段階で、和人はテープ図書も同時に作ってほしいと提案していた。テープ図書とは、視覚障害のある人や小さい子供への読み聞かせとして、本の内容を朗読した音声の図書である。普通の本より手間もかかるため、担当者も渋っていたものの、和人に障害があることも考慮して、テープ図書の販売もなされることとなっていた。

 その試作品を、絵本とともに幸に渡そうというのだ。母親も優しく微笑む。

「さっちゃん、聞いてくれるといいわね……」

 母親はそう言ってその絵本とCDを受け取ると、そのまま家を出ていった。

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