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18、不安

「いいね」

 和人の新しい作品を、担当者は何度も頷いて賛同した。

「直すべきところもほとんどない。君、絵本作家としての才能もあるよ」

 最高の褒め言葉を貰ったと、和人も嬉しさに身を投じていた。

『ありがとうございます』

「いやいや。じゃあ、今度の会議にかけるから。それまで発売時期もわからないけど、とにかく森下さんもイラスト書き始めてよ。これなら多分、スムーズに売り出せるよ」

 同時に渡した祥子の下絵も二つ返事でOKをもらい、和人と祥子は意気揚々と帰っていった。

「やったね、和人! あそこの会社、毒舌な担当者ばっかりだから、胸張っていいわよ。私もすぐにイラストかかり始めるね。あ、その前に、夕飯どうしようか。たまには外食にしようよ。前祝いに奮発してさ」

 嬉しそうな祥子に倣って和人も頷くと、二人は歩き始めた。

「あそこにしない?」

 少し先に見えるレストランを指差して、祥子が言った。和人はハッとした。そこは以前、幸と修吾とで食事をしたレストランだ。幸が事故に遭った、あの日のことである。

「……行ったことあるの? あそこは嫌?」

 察して、祥子が言う。

『ああ……うん』

 目を泳がせて和人が頷く。そんな和人に、祥子が苦笑する。

「和人って、バツが悪い時はすぐ目が泳ぐし、顔に出るのね。結構お洒落な店で有名なんだけど、さては前の彼女と来たとか? もしかして、和人って結構遊んでる?」

 すでに気分が高ぶっているせいか、からかうように祥子が尋ねる。そんな祥子に、和人は小さく苦笑した。

『そんなんじゃないよ。ただ……あの店、さっちゃんが事故に遭った日に一緒に食事した店なんだ……』

 和人が正直に答えた。一気に二人は、お祝いムードから意気消沈した。

「あ、そうなんだ……じゃあ、止めたほうがいいね。あっち行ってみようか。この辺、結構お洒落な店あるから……」

 突然、気を遣うように祥子が言い直した。和人はごめん、という仕草を見せると、二人で別の店へと向かっていった。


 その夜。和人は祥子のベッドで眠っていた。夜中にふと目を覚ますと、隣に祥子の姿はない。ダイニングの明かりがついているようで、ドアの隙間から明かりが漏れているのに気がついた。

 和人が起き上がってダイニングへ行くと、祥子がイラストを描いている。下絵も承認をもらっているので、あとはペン入れである。

「和人……ごめん、起こしちゃった?」

 祥子が言った。和人は首を振る。

『こっちこそごめん、仕事中に……』

「ううん、大丈夫……あ、コーヒー飲む?」

『僕が入れるよ。少し休んだほうがいいよ』

 そう言うと、和人はキッチンへと向かっていった。祥子は、そんな暖かな時間が嬉しくてたまらない。

『どう、順調?』

 コーヒーを差し出しながら、和人が尋ねる。

「ううん。いつもより難しい……だって、いくら和人の文が良くても、私の絵が駄目じゃいけないでしょ?  これが和人の今後に影響するのは間違いないんだから。いつもより手は抜けないもん」

 そう言った祥子に、和人は笑って祥子の肩もみを始めた。

「うふふ。ワイロ?」

『そうだね。祥子にも頑張ってもらわないと』

「プレッシャーかけないの」

 二人は笑った。


 しばらくして、何度か出版社側とのやり取りが続き、ようやくイラストの入稿も終わった。あとは発売日を待つのみとなる。

 最後の入稿を終えた祥子は、家へと戻っていった。和人は学校なので、今日は夕方を過ぎないと帰ってこないのは知っている。和人が帰ってくるまでに、部屋の片付けや夕飯の支度をしなければと思った。

 耳の不自由な和人との生活は、祥子にとって思ったよりも違和感なく生活出来ていた。それは、和人の優しさにずいぶん助けられているのだと感じる。半同棲生活となっている和人との生活で、部屋の一角は完全に和人の私物で一杯だ。その大半は本なのでかさばるばかりだが、それを取り上げる気には到底なれない。

 ふと、和人の私物である積み上げられた本が気になった。数十冊にも上る本は、床の上に器用に積み重ねられている。

「危ないなあ、こんなに積んじゃって……それにしても、難しい本ばかりで読む気にもならない」

 祥子は苦笑しながら、その本のタイトルを上から順番に読んでいく。その時、一冊の本が目に留まった。

「はじめての点字……?」

 もっとタイトルを追っていくと、いくつか同じ類の本が見える。

「“点字の基礎”、“視覚障害者とのコミュニケーション”、“視聴覚障害者の対話・触手話”……」

 見えるところに置いてあったのに、和人がそんな本を読み漁っていたとは知らなかった。まるで幸とのコミュニケーションを図ろうという和人の意思が丸見えだ。

 祥子の手の届くところに置いてあったという、和人のあまりにも無防備な行為は、逆に残酷だと思った。

 一気に祥子の不安が爆発する。何度も幸の存在は忘れようと思った。だが、それは振りに過ぎなかったことを、祥子自身が思い知らされている。祥子は怒りに任せて、積み上げられた本を崩した。途端に、辺りの床が本で埋まる。

「和人……本当に、幸さんはただの幼馴染みなだけなの? 私にはどうしても、そんなふうには見えないよ、和人……」

 祥子の目から、涙が溢れた。


 数時間後。祥子の家に帰った和人は、真っ暗な部屋に首を傾げた。玄関の明かりを付けると、祥子がいつも履いている靴はある。不思議に思いながらも、和人は部屋の中へと入っていった。

 リビングの電気を付けると、部屋の隅にある和人のプライベートゾーンと化した一角に、本が散乱していることに気がついた。そのうち一つの本だけ、テーブルの上に置いてある。“はじめての点字”。和人はそれを見つけると、寝室へと入っていった。

 寝室も真っ暗だが、ベッドに祥子が横たわっているのがわかる。和人はベッドに腰かけると、寝ているともわからない祥子の頬に手を触れた。祥子がその手を拒むように払い除けたので、起きていたのだとわかる。

 祥子は和人を見ようともしないので、和人はコミュニケーションの手段を奪われていた。責めるにも謝るにも、自分を見てくれなければ始まらない。和人は祥子の頬にキスをした。

「嫌!」

 今回は今までと違う……雰囲気ごと祥子が和人を拒むことは今までなかった。和人は溜息をつくと、祥子に布団をかけ直してやり、静かに寝室を出て行った。

「……馬鹿!」

 叫ぶように、祥子が言った。だが、和人に聞こえるはずもない。再び閉ざされた寝室の扉を見つめながら、祥子は涙を流した。

「……馬鹿……」

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