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13、宣告

 和人はゆっくりと目を開けると、未だ熱い視線を送る祥子から、軽く目を逸らした。

『ごめん……今日はいろいろあって、まだ気が動転しているみたいだ……』

 正直に和人が言った。その言葉に、祥子は静かに俯いて頷く。

「そうだよね……まだ少し、顔色が悪いみたいだし。今日はもう休もうか。家にはちゃんと連絡したの?」

 突然いつもの様子に戻って、母親のようにテキパキと祥子が言う。そんな祥子の問いかけに、和人はただ頷いた。

「そう。じゃあ、すぐ布団敷くから……」

『僕もやるよ……』

 二人はダイニングスペースに、客用の布団を敷いた。奥の部屋は祥子の寝室兼書斎になっているようだが、奥手な和人を前に、同じ部屋で寝る関係ではまだない。

「じゃあ、私も寝るね。明日は学校?」

『うん。授業はないけど、顔を出してくる。雑誌への応募を勧めてくれた先生にも、報告しておきたいから。あとは、また病院に様子を見に行ってくるよ……』

 祥子の問いかけに、和人が返す。祥子は微笑んで頷いた。

「そう。じゃあとりあえず、明日のことは明日考えるとして、今日はもう寝ましょうか」

『そうだね……』

「じゃあ、おやすみ。部屋の物は勝手に使って。寒かったら布団もまだあるし、遠慮なく起こしてね。あと、シャワーも勝手に使って。冷蔵庫の物も勝手に食べていいから」

 そんな祥子に、今度は和人が笑った。まるで世話焼きのおばさんである。

『わかった。ありがとう』

「うん。じゃあ、おやすみ」

 祥子はそう言うと、奥の部屋へと入っていった。

『おやすみなさい……』

 和人はそう呟くと、布団に入った。祥子の気遣いが心地良い。だが一人になれば、やはり消えない幸の姿。和人は一気に起こった信じ難い現実に、眠れぬ時を過ごした。


 次の日の朝。いつの間に眠っていた和人を、静かに祥子が揺り起こした。

「おはよう」

 手話と声で、祥子が言う。起きたての和人には、祥子のその笑顔がなにより幸せに感じられた。

『おはよう……』

「寝かせてあげたいけど、出かけるんでしょ? 軽くだけど、朝ごはん作ったの」

 そう言って祥子はテーブルを指差す。和人は起き上がると、すぐにテーブルの前に座った。

『美味しそうだね』

「ありがとう。起きたばかりだけど、もう食べられる?」

『うん。いただきます』

 和人は祥子の作った朝ごはんに手をつける。

 朝食を食べ終わった二人は、二人同時に出かける支度を始めた。二人一緒に歯を磨き、顔を洗う。なんだかそんな状態が、くすぐったいが心地良い。二人は互いに安らぎを感じていた。

『じゃあ、行くね』

 支度を終えた和人がそう声をかけた。祥子はバックに書類等を詰めている。

「うん、先に行って。私、まだ時間あるから」

『待っていようか?』

「ううん、いいよ。和人のほうが遅くなっちゃう。行ってらっしゃい」

 祥子の言葉に、和人は頷いた。

『じゃあ……昨日はありがとう』

「私は全然構わないわよ。あ、ちょっと待って」

 玄関まで和人を送り出そうとした祥子は、思い出したように部屋の中へと駆けていった。そしてすぐに戻ってくると、和人に鍵を渡した。和人は意味がわからずに、表情で疑問符を投げかける。

「ここの鍵よ。いつでも好きな時に使って」

 その言葉に和人は驚き、俯いた。

『でも……』

 和人は少し目を泳がせている。初めての出来事に、どうしたらいいのかわからないようだ。

「あんまり深く考えないで。でも、私たちは想いが通じ合ってるって思ってるし……それにこれから、幸さんのことで病院に行く機会も増えるでしょう? 学校に通ってたら、ただでさえ遅くなるんだもの。しばらくここへ泊まっていけばいいわよ」

『……ありがとう』

 それ以上、和人は何も言わなかった。ただ、祥子の優しさを噛み締めているように見えた。祥子も笑って首を振る。

「いいんだってば。私たち、気兼ねしない仲になろうよ。さあ早く行って。今日はどうする?」

『……学校に行って、病院に行って、一度家へ帰るよ。急に外泊したし、さっちゃんのこともあるから心配しているだろうから』

「そうね、今日は戻ったほうがいいよね。わかったわ。じゃあ、またメールちょうだいね」

 和人は頷くと、そのまま祥子の家を去っていった。和人は初めて手に入れた恋人の家の鍵に、なんだか悪いことをしているような、同時に嬉しくてたまらない気持ちになりながら、学校へと向かっていった。


 学校へ向かった和人は、慕っている教師の元へ受賞の報告をしに行った。そして軽く挨拶回りを済ませると、その足で幸の入院している病院へと向かっていく。すぐにでも会いたいという気持ちと、変わり果てた姿の幸を見たくないという気持ちが入り混じり、和人の足は鉛のように重い。しかし和人は、真っ直ぐに病院へと向かっていった。


 和人が幸の病室に向かうと、未だ面会謝絶の札が下げられていた。和人は不安になりながら、何度も部屋の横に付けられた患者の名前を確認した。しかし何度見ても、幸の名前である。

 そこに通りかかった女性看護師を呼び止めると、和人は持ち歩いているメモ帳にすらすらと文字を書いて見せ、返事をくれと言わんばかりに、メモ帳とペンを差し出す。

『ここの患者さんの具合はどうですか? まだ面会出来ないのですか?』

 和人のメッセージを見て、看護師は少し悲しそうな顔を見せ、メモ帳を受け取って返事を書いた。

「意識は戻りましたが、興奮状態でしたので、今は薬で眠っています。しばらくはそういう状態が続くと思われるので、ご家族以外の方は会えません。ご家族の方は今、医師と話しています」

 看護師の文字を見て和人は頷くと、頭を下げて礼を言った。去っていく看護師を尻目に、和人は目の前にあった長椅子に座り、幸の病室のドアを見つめていた。

「カズちゃん」

 しばらくして、目の前に立った人物に、和人は顔を上げた。そこには幸の母親が立っている。また泣いていたようで、目は腫れぼったい。

『おばさん……大丈夫?』

「ありがとう。大丈夫よ……」

 和人の問いかけにそう答える幸の母親は、すぐにでもまた泣き出しそうだ。しかし昨日とは違い、もう大分落ち着いたように見える。

 頷きながら、和人は幸の病室を指差した。

『さっちゃんは……どうですか?』

 あまり手話のわからない幸の母親に、和人は最小限の手話で語りかける。幸の母親も慣れたもので、唇を読んでくれる和人に、ゆっくりと口を開く。

「さっき意識が戻ったんだけど……痛みも恐怖もまだあるし、目が見えなくなったことを知って、ずいぶん泣き叫んでね。今は鎮静剤を打ってもらったから、落ち着いて眠ってるけど……」

 幸の母親は、痛々しい娘の姿に、今や放心状態でいるように見えた。

『そう……おじさんは?』

「今日は仕事に行ったけれど、早目に切り上げてくるわ」

『そう……』

「カズちゃん……心配して来てくれるのはありがたいけれど、しばらくは来ても会えないと思うわ。意識も戻ったし、もう命に別状はないみたいだから、しばらくは来ないほうがいいわ……幸も、今はあなたと会話をすることも出来ないでしょう? どちらも辛いと思うし……」

 その言葉に、和人は心が重くなりながらも、頷くほかなかった。

 確かに、耳の聞こえない和人にとって、普段のコミュニケーションは手話か筆談が主だ。けれど、相手が目の見えない人物ならば、手話も筆談もすることが出来ない。相手にとっても、無理に和人がしゃべろうとしない限り、会話すら交わすことが出来ないのだ。

 そのため、互いに悲しむのは目に見えている。ましてや未だ現実を受け入れられない幸にとって、和人の存在は今は考えられないものだと思った。

『そうだね……僕がいたら、さっちゃんももっと辛くなるかもしれないね……』

「カズちゃん。ごめんね……」

 和人は首を振った。

『それじゃあ、さっちゃんが少し落ち着いた頃に、また伺います……おばさん、気を確かに。頑張って……』

 そう言うと、和人は静かに病院を後にし、そのまま実家へと戻っていった。実家にいた和人の母親も、幸のことを知って深く心配し、涙を流していた。

 また、すでに受賞した作品と受賞賞金も家に届いていた。母親もとても喜んでくれたが、幸のことを思い出すと、二人とも気が落ち込むばかりであった。

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