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対岸には葦のような木がうっそうと生い茂っていた。そのうちの一本に手を伸ばし、体を引き寄せるようにして、なんとか岸に這い上がった。葦の茂みをかき分けて抜け出ると、そこには河原が広がっていた。最近、誰かがここを訪れたらしく、薪のようなものが何本も散乱している。さらに、長い板が4~5枚、岩壁に立てかけられていた。近くに大きめの石がいくつか転がっていたが、黒くすすけているところを見ると、多分ここでキャンプでも張ったのだろう。
「ジョッシュ、ちょっと休もうよ」 長い距離、砂地を歩いてきたこともそうだが、さらに川を渡ったことで、僕は体力をかなり消耗してしまっていた。
彼は僕の方を振り向いてにっこり笑い、地面に腰を下ろした。それを見て、僕も立てかけられた板にもたれかかるようにして、座り込んだ。彼が休んでくれて、内心ほっとした。これからどこをどう進むのかわからないが、とにかく足を休ませないと、途中で歩けなくなるような気がしたのだ。
渡ってきた川の向こう側の岩壁は、下の方が川の流れで削られ、ひさしのようになっている。そして僕たちの背後は、崖が崩れて土砂が堆積した急斜面だ。目指すアーチは、まだ遠く、しかも谷底からだと見上げるような高さに位置していた。最初、崖の上から眺めたとき、アーチの穴の先には、奥に広がる渓谷が覗いていた。岩の色が似ているため、この時はアーチの存在そのものが判別しづらかったのだが、谷底まで下りてくると穴の向こう側には空が広がっており、アーチの形がくっきりと浮かび上がっていた。それはまさに巨大な“窓”と呼ぶにふさわしいものだった。
それにしても、どうやってあんな高いところまで登っていくのだろうか?
これまでなら、すぐにジョッシュに質問したところだが、疲れでその気力も失せてしまっていた。僕は黙ったまま、目の前を流れる濁流を眺めた。
「この川はね、湖につながっているんだよ」
不意にジョッシュが口を開いた。
「さっき、“天”の近くにも川があったでしょ。そして、ティムが“岩”や“壁”に行ったときにも川を見たと思うけど、それらは全部同じ川なんだ」
僕は返事もせず、黙って聞いていた。この濁流がレイクパウエルに流れ込んでいる。水面が青々と輝く、あの湖に・・・。もしそうだとしたら、どうしてこうも水の色が違うのだろうか?
「長老によると、この川に沿って風が吹き、僕たちが住むところへ空気と光を運んでいるんだって。“窓”は、7つのアーチの真ん中にあたり、大量の空気と光を運んでくれるので、特に大事なアーチらしいんだ」
確かに大きなアーチだ。横幅は50m以上あるだろう。いや、ひょっとしたら70mくらいあるかもしれない。とにかく迫力がある。
「だから、もし崩れたりしたら大変なんだ。すぐに他のアーチを探さないと、“内界”が危険な状態になっちゃう」
「崩れる?」僕は思わずジョッシュの方を見た。「崩れることがあるの?」
「うん、もちろんあるよ。こればかりはいつ起こるかわからないけどね。だからこそ、代わりのアーチを探しておくことが必要なんだ」
確かにアーチが崩れることはある。実際、2008年にアーチーズ国立公園にあるウォール・アーチが倒壊した。それ以外にも、あまり名は知られていないものの、いくつかのアーチが崩れたことが確認されている。崩れないまでも、アーチの一部が欠け落ちて、橋の部分が細ったという話もたまに聞くし、アーチーズ国立公園のスカイライン・アーチのように、アーチの中の岩が一部崩落して、一夜のうちに穴の大きさが倍になったという例もある。何万年、いや何億年という地球の歴史の中で、岩の倒壊など日常的に起こることだ。わずか100年に満たない人の一生において、それに立ち会うことは偶然でしかない。だとすると、僕らが知らないアーチが過去にあったはずだし、将来においても新しいアーチが生まれ続けるということだ。レインボーブリッジや、アーチーズ国立公園にあるデリケートアーチ、ランドスケープアーチなどは、まるで神様が作ったのではないかと思うくらい美しい形をしているが、過去にはもっと凄いアーチがあったかもしれないし、今後新しくできる可能性だってある。それらを見られないのはとても残念だが、その一方で、今あるアーチは僕らしか目にすることができない貴重なものだ。その奇跡に感謝しないといけない。
それはそうと、僕は彼が口にした、“代わりのアーチ”というのが気になった。どうやってそのアーチを選び出すのだろう?
「ところで、その“代わりのアーチ”というのは、もう見つかったの?」
「いや、まだだよ。そう簡単には見つからないよ」
「アーチが崩れた時に備えて代わりを探すくらいなら、最初から石積みを置くアーチの数を増やしておけばいいじゃないか」
ジョッシュは首を振った。「多ければいいってもんじゃないよ。空気も光も、“内界”に送る量はちょうどいいくらいでないと。それにあまりアーチを増やすと、石積みが崩れた時に点検するのが大変だからね」
なるほど、それもそうだ。
「でも、どうやって候補となるアーチを選ぶんだい?条件はあるの?」
「アーチを選び出すには、長年の経験と勘が必要なんだ。大きさや場所、形や頑丈さなど、いろんな条件が備わっていないといけない。誰にでもできるわけじゃないんだよ」 ジョッシュは少し得意げな表情になった。
まだ少年の彼が、「長年の経験や勘」などというので、少しおかしかった。
それにしても、次の候補になりそうなアーチはどれだろう? 僕の頭の中で、いろんなアーチの姿が浮かんでは消えた。
「いくつか候補はあるんだろ?教えてよ」
僕は興味津々に訊いた。
ジョッシュはちょっと不機嫌そうな顔になり、口を尖らせて言った。「候補なんてないよ、いま探しているところさ」
本当に探しているのかどうか、彼の態度からすると怪しいところだが、アーチハンターの僕にとってこの話はとても気になった。できることなら、彼と一緒に候補となるアーチを探したいくらいだ。




