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よほど疲れていたのだろう。夜中に一度も目を覚ますことなく、気がつくとすでに昼になってしまっていた。体の節々が痛い。特に太もものあたりは相当な筋肉痛だ。この状態で、昨日のように自転車を長距離走らせることが、果たしてできるだろうか。
そう思ったものの、よくよく考えると朝寝をしたせいで、既に半日以上をつぶしてしまっていた。今からだと、日が暮れないうちにアーチを訪ね、また戻って来るのは難しい。途中で日が落ちて辺りが暗闇に包まれてしまったら、懐中電灯だけで道を辿らなければならない。それはとても危険なことのように思えた。今度こそ、本当に遭難してしまうかもしれない。
だが、地図を見ていて、このエスカランテに比較的近い場所にもいくつかのアーチが点在していることに気がついた。これらのアーチなら、日没を気にせずに訪ねることが可能だろう。このままどこにも行かないのは時間が惜しいので、近隣にあるどれかに行ってみることにした。
自転車にまたがり、目抜き通りを東に走る。ところどころに店が並んでいる。ふと見ると、バーを兼ねた小さな酒屋があり、その店の前に何台かの車が路上駐車しているのが目に入った。 “そうか!どうして気づかなかったんだろう”
車がないなら、借りればよいのだった。お金はかかるが、一刻も早くジョッシュを見つけ出さなければならない今の状況を考えると、背に腹は代えられない。
道路の両側に並ぶ店を交互に見渡しながら、レンタカーの店を探した。しかし、一向に見当たらない。目抜き通りとはいえ、そもそもが小さな町なので、店自体が少ないのだ。
そんな中、町のはずれまで来た時、売店を併設したガソリンスタンドの横の空き地に観光用のジープが何台か並んでいるのを見つけた。普通の車と違って屋根がついていないレクリエーション用のジープだ。小振りだが、深く溝が刻まれた硬そうなタイヤは、悪路を走るのにもってこいに思えた。レンタカー用でないことはわかっていたが、店に入り店頭にいた若い男に声をかけた。
「やあ、隣に並んでいるジープ、おたくの?」
店がすいていることもあってか、男は自分の携帯をいじっていた。呼びかけに反応して、僕の方をチラリと見たものの、またすぐ携帯の上に視線を移した。
「ああ、そうだよ。どこか行きたいところはある?このあたりは自然の宝庫だから、見ごたえあるよ。地元の人間しか知らないところへだって連れて行ってあげるよ」
そりゃいい。これから行こうとしているのは、まさにそのような場所だ。「1日いくらで借りられる?」
僕はわざとそのような聞き方をした。
その質問に彼は思わず手を止め、顔を上げて僕の方を見た。
「ツアーだよ。レンタカーじゃない」
「ああ、わかってる。でも貸してほしいんだ。1日いくらかな?」
男は携帯をカウンターの上に置いて僕に向き合い、首を振りながら言った。
「レンタルは無理だ。ウチじゃやってないから」
それはわかってる。しかし僕もここで諦めるわけにはいかない。
「そこを何とか頼むよ。ツアー料金と同じでいいからさ。運転せずに車を貸すだけで金になるんだ。いい商売だろ?」
男は呆れたように言った。
「いや、金の問題じゃないよ。商売として届け出ていない、ってこと」
僕は男の胸についたネームバッジに目をやった。そこにはフレッドと書いてあった。
「なあ、フレッド。それならこれでどうだ。君は商売でなく、友人として僕に車を貸す。僕は個人的にお礼としてお金を払う。何度も繰り返すなら問題だろうが、今回の1回きりならいいだろ?現金がまずいなら、この店でたくさん買い物する、ってことでもいいぜ」
彼は眉間にしわを寄せ、怪しむような目つきで僕を見た。
「なあ、そもそもこんなところに来ているのに、なんで車がないんだ。あんたいったい、どうやってここまで来たんだい?」
不意に質問され、僕は内心焦った。あまり深く突っ込まれると、交渉どころではなくなる。だからといって、自分から下手に喋りすぎると墓穴を掘ることにもなりかねない。
「いやぁ、友達の車で来たんだけど、急用ができて先に帰っちゃったんだよ。一人取り残されて困っているところさ」思わず出まかせが口をついた。
「だったら一緒に帰りゃよかったじゃないか。足がないことはわかってたんだろ?」
僕はそれには答えず、黙って首をすぼめた。
「ところで、どこから来たんだ?」と、フレッド。
「オハイオだよ」
彼の眉間のシワが、さらに深くなった。
「オハイオだって?あのオハイオ?」
「ああ、そうさ」 僕は“何てことない”と言わんばかりに、にっこりと微笑んで見せた。
「いったいどうやって帰るんだ。自転車じゃ帰れないだろ?まさかウチの車を借りて、そのままドロンって話じゃないだろうな」
表に停めた僕の自転車を顎で指しながら、彼は言った。
“失敗した”と僕は思った。ここはオハイオじゃなく、隣町の名前でも出しておくんだった。しかし、もう遅い。
「頼むよフレッド。お礼なら、はずむからさ」
彼の表情は険しいままだったが、「ちょっと待ってて」というと店の奥へ消えて行った。
しばらく待っていると、一人の小柄な老人を連れて戻ってきた。
「この人だよ」そう言ってフレッドは僕の方を指差した。
老人は近寄ってきて、黙ったまま僕のことを頭から足元までゆっくりと見回した。そして僕の口元のあたりで視線を止めた。無機質なその表情は、幾分こわばっているように見えた。彼はじっと僕の顎のあたりを見つめている。ひょっとして、何か気づかれただろうか。僕は思わず視線をそらしてうつむいた。
「構わん、貸してやれ」
意外な言葉に驚き、顔を上げて老人の方を見た。
老人はそれ以上、何も言わず、踵を返して店の奥へと消えて行った。
フレッドはあまりにも予想外だったのか、“えっ”と短く言葉を発した後、驚いた表情のまま固まっていた。そして、しばらくしてから僕の方に向き直り、両手を広げて肩をすくめた。
「あんた、ひょっとしてテレパシーでも送ったのかい?」
彼と一緒に店の隣の空き地に行き、停めてあるジープの中から1台を選んだ。どれにしても同じようなものだが、フレームを紺色に塗ってあるやつにした。
「で、これからどこへ行くんだい?」 フレッドが訊いてきた。
“それはこれから考えるよ”と言いそうになって、慌てて止めた。
「アーチだよ」
「アーチ? アーチって?」
「ナチュラルアーチさ。岩が削られてできた天然の橋だよ」
彼にはピンとこないらしく、「ふーん」と気のない返事をした。
「この辺でお勧めのアーチはどこだい?できるだけ大きいのがいいんだけど」
「いや、ごめん。ちょっとわからないな」フレッドは首を振った。
「なんだよ。さっき、“地元の人間しか知らないところへ連れて行く”って言ったじゃないか」
彼はバツが悪そうに苦笑いをしながら言った。「あっ、ごめん。実はオレ、ここの出身じゃないんだ。この時期だけ、カリフォルニアから住み込みで働きに来ているんだよ。ロッククライミングの練習をするためにね」
車が手に入ったことで、活動範囲は格段に広がった。僕は嬉しくなって、今日のうちに、この近辺のアーチをいくつか回ってみようと思った。日が沈むまでにはまだ時間があるだろう。地図を眺め、あれこれ考えた結果、まずはエスカランテ・ナチュラル・ブリッジに行ってみることにした。もしこのアーチが残りの4つに含まれているとしたら、どの呼び名ならしっくりくるだろうか・・・。そんなことを考えながら、車を走らせた。




