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ジョッシュがいないことで、こんなに寂しい気持ちになるとは思わなかった。これまでしぶしぶ付き合っていた落石ゲームも、今となっては懐かしく思える。道端でほどよい大きさの石を見つけるたびに、彼は今頃どこで何をしているのだろう?と考えてしまうのだった。
彼がいない間、これまで以上にスージーと話す機会が増えた。彼女はジョッシュがいないことで、心に穴が開いたようになった僕の気持ちを察してか、何かにつけ話しかけてきてくれるのだった。
水汲みの道中では、道端に咲いているいろんな草花の名前を教えてくれた。ここにはピンクや黄色、オレンジ色など、鮮やかな色彩の花がたくさん咲いていた。花の形も様々で、花びらが大きいものや、小さな花がたくさん集まって咲いているものなど、見ていて飽きることがなかった。ただ、せっかく教えてもらった花の名前も、僕には覚えることができなかった。みんな名前が長いのと、名付けられた由来がわからないので単なる文字の羅列にしか思えず、頭に入らなかったのだ。
ある時、水を汲みに行こうと、スージーと一緒に並んで歩いていると、突然彼女が「あっ!」と大きな声をあげた。あまりに唐突だったので、僕は危うくバケツを落としそうになった。彼女は自分のバケツを足元に置き、「あそこ!」と右手にそびえる山の中腹を指差した。
「なに?どうしたの?」
「あの花、見て」
彼女が指した方に目をやると、薄い紫色をした花が一輪咲いているのが目に入った。花がある場所は、僕たちが立っている位置からは、かなり上の方だったが、比較的花びらが大きかったので、遠目にもよく見えた。
「何ていう花かしら。初めて見るわ」
そう言われたところで、僕がその花の名前を知っているはずもない。それで、黙っていると、
「ねえ、ティム。あの花、素敵じゃない?」などと言う。ひょっとして僕に、あの花を取ってきてほしいと考えているのだろうか。
「ああ、確かにきれいだ。僕も初めて見るよ」
彼女は山の急な斜面にしがみつくように生えているその花を、じっと見つめている。しばらく沈黙が流れた。僕もその花を見上げていたが、そのうち彼女が僕の方を見ていることに気がついた。嫌な予感がした。できればこのまま知らん顔をして立ち去りたいが、今さらそういうわけにもいかない。
「ねえ、お願いがあるんだけど」
“ああ、やっぱり” 内心そう思ったが、これまで彼女にはいろいろ気づかってもらっていながら、何もしてあげられていないことを思い出した。ここは一つ、彼女の希望を叶えてあげるか。
僕は軽くうなずいて、山のすそ野の急な斜面を、這うようにして登っていった。
とにかく下は見ないように心がけた。下から見るよりも、上から見おろした方が高さを感じるはずだ。元々僕は高いところが苦手だから、へたに下を見ると、足がすくんで動けなくなってしまうかもしれない。
ゆっくりと慎重に登り、やっとのことでその花に手が届きそうなところまでやってきた。確かに美しい花だ。よく見ると、薄い紫色の花びらの内側は、さらに濃い紫色で染められている。思った以上に凝った模様になっていた。僕は同じ花が咲いていないかと周りを見回したが、不思議なことに同じものはなく、この一輪だけしか咲いていなかった。
「ティム、あとちょっとよ。頑張って!」
下からスージーの声がした。僕は左足で踏ん張りながら、右手を伸ばして花を摘もうとしたが、そのとき、足場にしていた砂が崩れ、ずるずると体が流れ落ちていった。「やばい!」そう思った瞬間、僕の体は山の斜面から離れて浮き上がってしまった。
「ああっ!」
僕が大声を出すのと同時に、「きゃあっ!」という甲高い声が聞こえた。僕の体は山の斜面に打ち付けられながら落ちていく。「もうダメだ」そう思った瞬間、何か堅い丸太のようなものに体が引っかかった。
「おい、いったい何やってんだ?」
仰向けになって見上げると、そこにはリックの顔があった。僕の体は、リックの太い両腕に抱えられていた。
「いったいどうしたんだ。こんな急なところを登って」
スージーが駆け寄ってきた。
「リック!ありがとう!」
僕はゆっくりと地面に下ろされた。足がまだガタガタと震えている。
「ありがとう。いや、助かったよ。危うく死ぬところだった」
大きく息をしながらそう言うと、リックは事も無げに答えた。「そうだな、無謀もいいところだ。こんなところを登るなんて」
「ティムは私のために、あの花を取ろうとしたのよ。ティム、ごめんね」
スージーは泣き顔になっている。
「花を取るためだって? やっぱり無謀だ」リックがあきれたように言う。
「いや、僕が勝手に行ったんだ。それよりリック、本当にありがとう」
僕は心から感謝した。リックがこの場にいてくれて本当によかった。そして、彼が頑丈でたくましい男で・・・。
「ところでティム、あんた“外界”でラリーに会わなかったかい?」いきなりリックが話題を変えた。
「ラリー?」
「ジョッシュのお父さんのことよ」スージーが口をはさむ。
「ジョッシュのお父さんだって? 彼のお父さんは“外界”に行ったのかい? いや、会ったことないな。というか、会うわけないよ。だって僕はこのあたりに住んでいるわけじゃなく、たまたま旅行で来ただけだから」
「そうか。でも会ったことがなくても、誰かそんな話をしてなかったか?」
「わからないな。少なくとも僕は聞いたことがないよ」
リックは残念そうにつぶやいた。「そうか・・・」
「でもどうしてそんなこと訊くの?」
「いや、おれはな、ラリーは“外界”のことがすっかり気に入ったから、ここに帰って来ないんじゃないかと思うんだ」顎を手でなでながらリックが言う。
「やめなさいよ!そんなこと言うの」
スージーが突然、強い口調でいさめた。
「だってよ、ラリーは何度も“外界”に行ったことがあるんだ。行方不明になったっていうのは、おかしくないか?」
「行方不明? いったい、どういうこと?」 僕は訊いた。
「おや、聞いてないのか? ラリーは“外界”に行ったきり帰って来ないんだ。行方不明になったって話だが、本当のところはどうだか。おれはあいつが、“外界”を気に入っちゃって、そのまま向こうで暮らしてると踏んでるんだ。昔、彼から“外界”の話をいろいろ聞いたけど、こっちより、よっぽど生活しやすそうだったぞ」
「ちょっとリック、いい加減にしなさいよ。ラリーが私たちを見捨てるわけがないじゃない。第一、ジョッシュがいるのよ。自分の大事な子供を置いたまま“外界”で生活するなんて、そんなことあるわけないわ」スージーが深刻な顔をして言う。
「う~ん、そうかね」
リックは腑に落ちないといった顔をした。
「リック、そのラリーという人は、君たちと同じような格好をしているんだろ?」 僕は訊いた。
「ああ、そうさ」
「じゃあ、やっぱり“外界”で暮らしてるってことはないね。もしそうだとしたら、ニュースになって全国に知れ渡るもの。このへんに住んでいない僕だって、知っていてもおかしくない話だけど、そんなこと、一度も聞いたことがないよ」
リックは軽く左右に首を振った。
「まあ、よく考えたら、あんたがこの“内界”に来てからというもの、“外界”に戻りたがってるという話は一度も聞いたことがないもんな。確かに、ここの方が案外よかったりするのかもしれないな」
そういうとリックは、軽く手を挙げると僕たちに背を向け、水を汲む隊列へと戻っていった。
その後ろ姿を目で追いながら、不機嫌そうな様子でスージーがつぶやいた。
「本当に失礼な人ね」




