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やや間を置いて、“幹の家”の裏手から杖を突いた老人が姿を現した。小柄で白っぽい服を着ている。近づくにつれ、それが丈のやや長いコートのようなものであることがわかった。鳥の羽根をたくさん突き刺した、冠に似たものを頭にかぶっている。その風貌からして、彼がジョッシュの言う“長老”であるに違いない。そしてその後ろを、ジョッシュがうつむき加減について来ていた。
老人は目を大きく見開いて、僕の顔から視線をそらすことなく、一歩一歩地面を踏みしめるようにゆっくりと歩み寄ってきた。だんだんとその姿が大きくなってくる。そして、僕から10mほどのところで立ち止まった。
お互い顔を見つめ、黙っている。何も言葉を発しないまま、しばらく気まずい空気が流れた。
沈黙に耐えきれなくなり、僕は声をかけた。
「はじめまして。あなたが“長老”ですね」
老人は何も言わず、黙って僕を見ている。再び沈黙の時間が流れた。さて、どうしたものかと考えていると、老人は独り言のようにつぶやいた。
「本当だったのか・・・。とうとう来てしまったか」
顔に刻まれたシワが、いっそう深くなった。やはり僕は歓迎されていないらしい。残念ではあるが、でもそれはジョッシュの様子から予めわかっていたことだ。
「月の光が、よほど強かったんじゃな・・・」
月の光?どうやら、あの夜のことを言っているようだ。そう、ジョッシュを追って、湖に飛び込んだ夜のことだ。冷静に考えると、それは昨夜の出来事だったはずだが、今ではもう随分と昔のことのような気がする。
僕は何を話せばよいのかわからなかった。自己紹介をしたところで、相手が僕に関心があるとは思えなかった。しかしその一方で、こちらから訊きたいことなら山ほどあった。長老なら、ここのことを何でも知っているはずだ。初対面でありながら一方的に質問を投げかけるのは失礼とは思いつつも、とりあえず一番知りたいことだけ、訊くことにした。
「ここは、いったいどこですか?」
老人はしばらく黙ったまま間をおいた後、目を閉じてゆっくりと首を横に振った。それは、回答を拒むというより、僕の存在そのものを否定したがっているように見えた。
「ここは・・・あんたが来てはいけないところじゃ」
答えになっていない返事に、僕は戸惑った。どのように反応すればよいか、わからなかった。ただ、冷静になって考えると理解できる。彼の立場からすると、そう答えるしかなかったのだろう。長老や他の村人の身なりや顔立ちからしても、この土地において僕が異質な人間であるのは間違いなかった。
彼は長老というだけあって、その服にはたくさんの装飾が施されていた。特に頭にかぶった冠には、鳥の尾っぽと思われる長い羽根が無数に刺されている。僕はジョッシュの方に目をやった。彼の質素な服装とは大違いだ。ジョッシュも、その時ちょうどこちらを見ていたが、僕と目が合った瞬間、視線をそらしてうつむいた。
その様子を見て、長老が思い出したように言った。
「ああ、ジョッシュが助けてもらったことについては礼を言う。この村はあんたに救われた」
ずいぶん大げさだと思った。僕は彼が湖に行くのを手伝っただけだ。なにも、彼の体を守ったわけでも、命を救ったわけでもない。しかし長老の口調がやや穏やかになったので、ここで話をつないでおこうと思った。このまま黙ってしまって会話が途切れると、すぐにでも村から追い出されそうな気がしたからだ。
「彼の怪我は治ったのですか?さっき、あの崖の上まで走ってきてくれたけど・・・」 僕は後ろを振り向いて、垂直にそそり立つ崖の上を指差した。「歩けないくらい重傷を負っていたんです。こんなに元気なのが信じられない」
「ああ、“治療”をしたから大丈夫じゃ。もし彼が戻って来られなかったら、本当に大変なことになるところじゃった。あんたには感謝しとるよ」 そう言う長老の表情は、さらに和らいで見えた。
それにしても、ジョッシュを助けたことが、どうしてこの村を救ったことになるのか。長老の言い回しが気になり、もっと詳しく話を聞こうと思ったその時、長老の背後の遥か遠くの方から、人々がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。方角からして、今朝、谷の方へ列をなして歩いていった人達だろう。きっと用を終えて戻ってきたのだ。それにしても彼らは、どこへ何をしに行っていたのだろうか?
僕の視線に気づき、長老もゆっくりと後ろを振り向いた。
「“水汲み”じゃよ」
僕の心を読み取るかのように長老は答えた。「毎朝、みんなで水を汲みに行くんじゃ。ここには川がないからのう」
「水汲み?」
あの谷の奥には、暗黒のアーチ、つまり“門”があるはずだ。まさかとは思うが、ひょっとしてあのアーチをくぐりながら水を汲んでいるのだろうか?
「“神の泉”で水を汲むんじゃ」
長老は表情一つ変えず、つぶやくように言った。
“神の泉”? あの辺りに泉なんかあっただろうか。アーチに気を取られ、その周辺のことは目に入らなかった。いや、それとも、ひょっとしたら“神の泉”とはあのアーチのことを指しているのかもしれない。
「あの谷の奥に巨大な岩のアーチがあると思うのですが、そのことですか?」
「なに、アーチじゃと?“門”のことか。“門”じゃない、泉じゃ。“門”の奥手にあったろうが」 長老は大きく首を振った。
泉なんて見た覚えがまったくなかった。覚えているのは、ただひたすら岩の壁が続いていたことくらいだ。あんなところに泉なんて、本当にあるのだろうか?




