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建物をよく観察すると、中庭のまわり、つまり住居部分と思われる場所の屋根のところどころに、布のようなものがかぶせてあることに気がついた。あれは何だろうか?注意して見ていると、そのうちの一つが開き、中から人が出てくるのが見えた。見覚えのあるベージュ色の服と黒い髪・・・。
僕は思わず大声で呼んだ。
「ジョッシュ!」
彼はよほど驚いたらしく、体をピクッと震わせたあと、辺りを見渡した。
「ジョッシュ!」
もう一度呼んでみたが、やはり僕のいる場所に気づかない。
「おーい、こっちだよ!」
僕は両手を思い切り振った。彼は何度か後ろを振り返った後、やっと頭を上げて僕の姿を見つけた。
「ティム!」
彼は最初、あまりもの驚きで固まっていたが、そのうち”信じられない”とでも言いたげな表情で首を横に振った。そしてその後、にっこりと笑った。
「ティム!そんなところで何をしてるの?下りておいでよ!」
ジョッシュに再会できたこと、そして彼が笑顔を見せてくれたことで、僕の気持ちは随分と楽になった。まったく知らない土地に迷い込んでしまった僕にとって、彼に会えるかどうかは死活問題と言っても過言ではなかった。
僕は下に降りようと先ほど登ってきた岩の裂け目の方へ近づいていった。しかし、崖の淵に近づくと、急に気が重くなった。ここをおりるのは、登るよりはるかに怖い。下をのぞくと足がすくんだ。
「何してるの!危ないよ!」
下からジョッシュの叫ぶ声が聞こえた。僕は思わず体を後ろに引いた。
「ちょっとそこで待ってて!」
ジョッシュはそう言うと、屋根から地面に跳び降り、崖の下を岩壁に沿って走り始めた。僕は彼の姿を目で追ったが、やがて岩の陰に隠れて見えなくなった。
しばらくすると、僕が立っている台地の右手から、彼が走り寄ってくるのが見えた。よほど足が速いと見え、彼の姿はみるみるうちに大きくなった。
「ティム!」
そう言うと、彼は僕に抱きついた。全力で走ったようで、息が上がっている。
「ティム、どうやってここへ?」
「この岩の裂け目を、丸太を伝って登ってきたんだ。あっちにも道があったんだね」
そう言って、ジョッシュが走って来た方向を指差した。
「違うよ、そのことじゃなくて、どうやってこの”内界”に来たの?って聞いてるんだよ」
「ナイカイ?」
「そう、僕らが住んでいるこの場所のことさ。内側の世界という意味で”内界”と呼んでるんだ。前にも話したと思うけど」
ああ、そう言えば最初に会ったときに聞いた気もする。しかしあの時はあまりに突飛な話だったので、本気でとらえていなかった。
「ここが・・・“内界”?」
「そう、僕たちが住んでいるところさ。ちなみに、ティムと出会った場所は、外側の世界だから”外界”と呼んでるよ」
ということは、彼の言ったとおり、レイクパウエルの湖底に沈むアーチの反対側にこの世界があり、僕はジョッシュを追ったことでここに辿り着いたということか。今朝見た、暗闇を抱えるあの不気味なナチュラル・アーチが、この場所、つまりジョッシュが言うところの”内界”への入口だったということだろうか。僕は谷の方に顔を向け、そこから見える景色をもう一度見渡した。右から左へゆっくりと・・・。この湾曲する大きな谷間も、点在する集落も、向こう側に見える急峻な崖も、そして今僕が立っているこの台地も、すべては彼らが”内界”と呼ぶ場所に存在するというのだろうか。
茫然とする僕に声を掛けづらかったのか、しばらく間を置いた後、彼はもう一度同じ質問をした。
「ティム、それで、どうやってここに来たの?」
僕はふと我に返り、彼の目を見て言った。
「君の後を追ったんだよ、ジョッシュ。君と同じように、湖に飛び込んだのさ」
よほど意外だったのか、彼は驚いた顔で大きく目を見開いた。「僕の後を? じゃあティムも”門”をくぐったの?」
「門?」
「岩でできた大きなアーチだよ。僕たちは”門”って呼んでるんだ」
そう言うと、左手の谷の方を指差した。
やはりあのアーチのことか。それにしても、もしあれがこの世界に通じる入口であるなら、”門”という名ほどふさわしい呼び方はない。
「そこをくぐったかどうかは自分ではわからない。でも気がついたら大きなアーチのそばに倒れていたんだよ。そのアーチの向こうに、不気味な黒っぽいものが渦巻いてた」
僕はその光景を思い出して、身震いした。ジョッシュは笑顔を見せて言った。
「ティム、それは”門”だよ。やっぱり、あそこを通って来たんだね」
彼は感心したように何度かうなずいたが、その後、何か思い当ったことがあるのか、少し困ったような表情を見せた。
「どうしたんだい?」
僕が声を掛けると、彼の表情はまた元に戻った。
「いや、何でもないよ。そろそろ下に降りようよ」
彼はそう言うと、来た方向にゆっくりと歩き出した。僕も後をついて行く。
「そう言えば、足はどうしたの?歩けないくらい大きな怪我をしていたはずだけど・・・」
僕は彼の右足を見ながら言った。何か布のようなものを巻いてはいるが、あれだけの怪我にも関わらず普通に歩いている。それどころか、さっきは走っていた。
「もう大丈夫。長老に治してもらったから」
「長老?」
「この村で一番偉い人さ。病気や怪我を治せるんだ。これから会いに行く人だよ」
「なんだって?」
これから会いに行く、と聞いて動揺した。僕はまだ、この土地のことを何もわかっていない。ここがどこで、どんな人たちが住んでいるのか。彼らがどのような生活を送っているのか・・・。そんな状況で、よりにもよって集落の長をやっているような人に会うというのは、相当勇気のいることだ。
だがしかし、その一方で、しばらくこの場所にとどまるなら、長老はもちろんのこと、ここに住む人々と会っておかないといけないのも確かだった。彼らの生活の場に入れてもらわないと、生きていけない。さらにもっと言うと、この謎だらけの世界について、知りたいことが山ほどあった。それについて聞くとしたら、長老ほど最適な人物はいないだろう。
さっきから空の色がずっと気になっていた。晴れているように見えるのだが、抜けるような青空とは違う、どこかぼやけた感じの空だった。そもそも太陽が見あたらない。それも、ここが”内界”であることと、何か関係があるのだろうか。




