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98 告白

 西国イン・エルト共和国への遠征から帰ってきた兵は、ノールズ王国の日々に胸を躍らせていた。


 彼らのほとんどは金のために働いているのであり、なによりも大切なのは、その後の日々なのである。どんな財宝も命あってのものだ。


 そんな彼らは亡くなっていった同胞たちに哀悼の意を示しつつも、たっぷりと金をもらったため、領地に戻ったら馬鹿騒ぎするつもりでいた。


 そして西のノールズ王国――旧西国イン・エルト共和国に残った者たちもいた。それは比較的裕福な兵や領地を持たない騎士たちである。


 第二王子ペール・ノールズは、王アルベール・ノールズから西方の統治を託されたと喧伝し、それゆえにあたかも領主のように振る舞って、騎士たちに土地を分け与えていた。


 その決断の早さたるや暗君とはかけ離れたもので、兵たちにも出し惜しみすることなくうまく割り振ったため、誰かが文句を言う前に決まってしまったのである。


 だが、それに対して真っ向から文句を言う者もいなかった。どのような過程であれ、西の土地の防衛は必要事項だからだ。


 そこに不満を唱えたとなれば、敵対部族との矢面に立たねばならなくなる。たいして魅力がない西の土地を防衛するためにかかる費用は、一諸侯が負担するにはあまりにも重かった。


 それになにより、土地がなく資金が潤沢にある諸侯は王都に近い土地を持つ者で、西の争いには元々興味がなかった者が多い。王が行くのだから渋々ついていったくらいだ。


 彼らは西の争いで、剣を取らずに安全なところにいたのだが、それでも戦いの恐ろしさを目にすることになった。


 歴戦の将ですら震えずにはいられなかった武勇。それはもはや暴威、災害とでもいったほうが正しかったかもしれない。


 ともかく、諸侯が動かなかったため、第二王子は自由に動くことができたのである。

 そうしてペール・ノールズは西の土地を得て、すっかりそこに陣取っているかと思いきや、そちらの統治を部下に任せ、自身は王都へと戻ってきていた。


 民は彼の帰還を喜びつつも、浮かない顔だ。


 というのも、西の領地を得たという事実は、彼らにとっては蚊帳の外の出来事だからだ。彼らが望むのは日々の安寧であり、今日も朝夜とパンをかじることであり、家族と他愛もない言葉を交わすことであった。


 王が陣没したとなれば、その影響がどれほど出るか計り知れない。アルベール・ノールズは特に有能な王ではなかったが、愚鈍な王というわけでもなかった。要するに、歴史の影に埋没してしまうような特徴のない王だ。


 しかし、その息子二人は対極的な性格をしている。


 どちらが跡を継ぐのか。それによって、彼らの運命は大きく左右されることになる。


 ペールはそんな民に対し、


「我々は陛下の意志を継ぎ、この国の平和を守らねばならない」


 と述べていた。これまでの過激な発言とは対照的な台詞だ。

 ペールは西から帰ってきて以来、民衆を安心させる言葉を吐き続けていた。


 第一王子は西に行かなかった負い目もあって強く出ることはできず、もともと温厚な人物だったため、ペールとはできる限り衝突しないようにしていた。


 ある意味、王都においても彼らは対極的な行動を取るようになったと言える。


 そのような状況で、保身に走った貴族たちは王都に参じて彼らの機嫌を取っており、一方でこれといった手柄のない諸侯はこれ以上の出費を嫌がり、早々に領地に引き上げてしまった。


 さて、そうした諸侯たちの中には、一番の戦功を立てたヴィレムの姿もあった。

 彼はあれから学園を辞めて、ルーデンス魔導伯に戻っている。


 彼らしい質素な凱旋に、多くの民は気づくこともなく過ごしていただろうが、ヴィレムの噂は自然と広まることになった。放っておいても、王都からの商人などを通じて情報が入ってくるのである。


「やはり我らのルーデンス魔導伯は期待通りのお方だ」と褒めそやす者がいれば、「なんでも大虐殺を行ったそうではないか」と不安に思う者もいる。


 このような状況になることを見越して、ヴィレムの話を聞くなりオットーはすぐに戦勝をあちこちの村で喧伝させたこともあって、そこまでの騒ぎにはなっていないが、それでもやはり、誰もが平然としていられるわけではない。


 が、なんにせよ、ルーデンス領は安泰だろう、と思う民が圧倒的に多かった。

 ヴィレムの行いが善であれ悪であれ、桁違いの力の庇護下にあるのだから、これから起こるやもしれぬ王位に関する争いにおいても、敵を退け続けられるはずだと。


 そうして噂されていたルーデンス魔導伯は、随分のんびりしたもので、今日も今日とて街中を歩いていた。


 主都の街並みを見ていると、彼はなによりも安心するのだった。無事に何事もなく、変わらずに人々が暮らしていることに。


 領主がのんびりと街を歩けるのも、よく統治されているからにほかならない。けれど、護衛もなしに好き勝手に出歩けるのは、諸侯の中でもヴィレムくらいのものだろう。


 彼は民の顔を見ては声をかけていた。その隣には、にこにこと笑顔のクレセンシア。


「ヴィレム様は人気者なのですね」

「そうだといいね。あの戦いで、どうやら恐ろしい領主だと言われてしまう可能性だってあったのだから」


 ヴィレムは指で目の端をつり上げてみせる。そうするとクレセンシアはくすくすと笑った。


「やはりヴィレム様は、そうしているのが似合います」

「では、君の前ではずっとこうしていよう」

「そういうことではありませんよ。呑気なヴィレム様」


 クレセンシアはヴィレムにそっと身を寄せた。ヴィレムはそんなクレセンシアの頭を撫でつつ、


「そろそろ帰ろうか。おいしい君のご飯が食べたくなったよ」


 と、彼女の手を取った。


 そうして屋敷に戻ると、ヴィレムは一日、ゆっくりと過ごす。オットーは帰ってきたばかりのヴィレムをねぎらって、できる限り仕事を割り振らないようにしているのだ。


 もちろん、必要なものとあれば遠慮なく持ってくるため、そこらの遊んでいる領主よりはずっと忙しいのだが。


 日中は街を見て、帰ってきたら書物を処理し、夜になれば寝る準備をする。そんな日々だった。


 ヴィレムはその晩、窓を開けて外を眺めていた。遙か遠方は真っ暗闇で、なんにも見えやしない。


「ヴィレム様、お隣いいですか?」


 クレセンシアがやってくると、ヴィレムは笑顔で首肯した。

 二人並んで外を眺める。ただそれだけのことなのに、この平和な日常をヴィレムはこの上なく特別に思っていた。


 だから、言うべきときは今だろう。

 ずっと言おうと思ってきた言葉を、ヴィレムは頭の中で何度も反芻する。


「こうして、君と過ごすルーデンス領の日々がかけがえのない大切なものだと、改めて認識させられることになったよ」

「はい。ヴィレム様が作った街ですから。誰もがうらやむちっぽけな日々を、私たちも過ごせるのです」

「ずっとずっと、このまま続いていけばいいと思ってたんだ。だけど、そうじゃないこともある。言わないと変わらないこともある。だからシア――」


 ヴィレムはクレセンシアをじっと見つめる。真剣な彼の表情に、クレセンシアもまた、息を呑んで言葉を待つ。


「俺と結婚してほしい」


 ヴィレムは彼女に告げる言葉をひねり出すと、心臓が早鐘を打っていることに気がついた。敵を切っているときだって、王や皇帝と相対しているときだって、冷静でいられたというのに。


 そんな彼の手を、クレセンシアのたおやかな手のひらが包み込んだ。


「喜んで、お受けいたします」


 はにかむ彼女をヴィレムは抱き寄せた。

 それから二人は言葉もなく、ただそうしていた。夜風がときおり窓から入ってきて、いたずらに頬を撫でていくが、二人の熱は奪うことなどできやしなかった。


 どれほどそうしていただろうか。どちらからともなく僅かに身を引き、互いの顔を視界に入れる。


「ヴィレム様、それにしても、どうして急にそのような告白をされたのです?」

「前から言おうと思っていたんだ。ようやく俺も君も結婚できる年齢になったからね。これからもずっと、君を離したくない」

「大丈夫ですよ。ヴィレム様のお側にずっとおりますから」

「そうわかっていても、信じていても、ときおりどうしようもない不安に襲われるんだ。どんな宝石よりも、花よりも美しい君を、誰もが見初めてしまうから」


 クレセンシアも今はヴィレムの言葉に茶化す気にはなれなかった。

 だから代わりに、彼の普段と違って子供っぽい様子に、そっと頭を撫でる。そうするとヴィレムが穏やかな顔になったので、クレセンシアはそっと、悪戯をするように口づけをした。


 すっかり赤くなってはにかむクレセンシア。

 ヴィレムは慌てていたが、やがて彼女を寄せて、今度は彼から思いを伝えた。


 誰にも邪魔されることのない時間が過ぎていく。今宵は夜も遠慮したのか、やけに静かであった。


「ですがヴィレム様。本当によいのですか?」

「うん? なにがだい」

「婚姻を結べば、諸侯との関係を強めることができるでしょう。ですが、私にはヴィレム様にこれ以上あげられるものはありません」

「俺はただ君が側で笑っていてくれれば、それでいいんだ。俺がほしいのはただの聖域じゃないよ。君と一緒に取る聖域だ」

「……はい。必ずや、一緒に」


 クレセンシアが頷くと、ヴィレムは柔らかな笑みを浮かべた。


 聖域を取る。そのことの意味は、騎士となり、ルーデンス領の領主となり、あれから随分と変わってきた。だけど、これだけはずっと変わらない。


 ヴィレムが望んだ聖域は、二人で目指したものであった。

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