97 折り合いと未来
北から向かってくる軍勢は、今のノールズ王国の兵たちと比べて数は劣っている。彼らは歩兵がほとんどであり、戦術的にも直接向かってくるだけのようで、工夫はない。
しかし、これまで戦い続けてきた兵よりも士気が高いのは明らかだ。
「射かけよ!」
ペール・ノールズの号令に伴い、矢が放たれる。
高低差を生かした作戦に、敵兵は倒れ始める者が出てきた。彼らは軽装ゆえに、それだけで命を落とすのも無理はなかった。
そして、ペールの遙か後方から、飛び上がる存在がある。イン・エルト共和国の兵が従えていた鳥の魔物だ。
捕虜としたイン・エルト共和国の兵たちの中には、ノールズ王国に帰属する者も現れたのだ。そして、ノールズ王国の兵でも幾人かは魔物との相性がよく、すぐに懐かせられる者も少数ながら存在していた。
その魔物は羽ばたきとともに幾何模様を浮かべ、風の刃を放つ。それは向かってくる北西の兵の首を落とし、血しぶきを上げた。
一方的な攻撃にも見えたその戦況は、しかし次の瞬間に一変した。
北西で幾何模様が浮かんだかと思えば、ペールの上空で血が噴き出した。風の刃が、魔物を細切れに砕いていたのだ。
上空に浮かんでいた魔物がことごとくそのような状況になり、降ってくる肉に押し潰されて圧死する兵すらいる。
「どうなっている!」
ペールが叫ぶも、わかったのは向こうで幾何模様が輝いていたということくらい。
そして立て続けに、急襲してくる数十人の存在があった。彼らは全身を外套で覆っており、大きな背嚢を背負っている。
その足元には幾何模様が浮かび、移動を強化していることが明らかだった。
「やつらを仕留めろ! 止めろ!」
ペールの言葉とともに兵たちは弓を引くが、矢は敵に当たる前に逸れていった。風が流れていた。
彼らはあっという間に距離を詰めると、剣を振るい、ノールズ王国の兵たちを切り裂いていく。
諸侯はてんでばらばらに動き始め、その隙に北西の兵も間近に迫っていた。
「殿下、このままでは――」
ペールの近くにいたライマー・セーデルグレンが彼に告げる。この友人の力でここまでこれたこともあって、ペールはすぐに彼の指示を仰いだ。
「撤退させましょう。そして体勢を立て直すのです」
「あんなやつらに……くそ! 退け!」
ライマーはすぐさまペールを連れて、南へと下がっていく。
そこに向かってくる外套の敵兵が一人。鋭い剣が振り上げられるも、ペールに近づく前に、その首が落ちた。
立ちはだかるのは、ローブを纏った魔術師たちであった。ペールが個人的に雇ってきた者たちである。
死の危険に身震いしたペールであったが、彼らの力に勇猛さを取り戻し、周囲の兵を鼓舞しながら撤退するのだった。
◇
撤退が始まると、比較的遠方に控えていたヴィレム・シャレットたちは、先駆けに当たることになる。
そうすると、回り込んできた敵兵が、たった一人で攻め込んできた。
魔術師隊の者たちがヴィレムの前に出て、敵へと風刃の魔術を放つ。が、それらは外れて、背嚢を切り裂くだけにとどまった。
途端、その中から粉末が噴き出した。
「……あれを吸うな!」
ヴィレムが叫ぶと、者どもは一斉に魔術で空気の流れを作り出し、それを吸わないように心がける。そしてヴィレムはシャレット家の者たちのところに粉末が飛んでいかないよう、風で吹き飛ばしていった。
だが、幾分かは辺りの者の口に入ったようだ。彼らは咳き込み、苦しげにうめく。
クレセンシアはそれを見て狐耳を立てる。
「ヴィレム様、あれは……!」
「ああ、聖域の毒だ。なんであんなものが……!」
と、そこでヴィレムは思い出した。北西の民族は海の向こうと取引しているということに。それは聖域に住んでいる者たちということでもあったのだろう。
背嚢を失った者はすぐに立ち去らんとするも、そのときには緑色の刃が彼の手足を貫き、地面に縫いつけていた。
そして剣を突きつけるは、クリフである。
「お前たちは何者だ!」
彼の問いに対し、襲撃者は体に幾何模様を浮かべた。そして次の瞬間には発火。
クリフが咄嗟に離れると、そこには火だるまになりながら逃げていく者の姿があった。あれではとても長くは持たない。だが、それは常人に限った話だろう。再生の魔術を使えば、あるいは。
彼は追おうとするが、あちこちで襲撃者が倒れるたびに袋が破けて噴き出した毒による被害が出ているようで、とてもそれどころではなかった。このままでは、全滅しかねない。
ヴィレムが敵を倒さんと顔を上げた瞬間、彼らの姿は影に覆われた。空を飛んでいるのは、丸々した大きな鳥。それがひと羽ばたきすると、強風が吹き、そこに充満していた毒を飛ばしていった。
「あれは丸焼きじゃないか。なんであんなところに……」
「ヴィレム・シャレット! ノールズ王国の争いには関わらないが、北西のやつらの好きにはさせない!」
「まったく、素直じゃないやつめ」
あくまで契約上そういうことになっているということは、ヴィレムもわかっている。だが、シオドア・アーバスのほか数体の魔物が北から追ってくる軍勢に飛び込むと、あっという間にばたばたと敵が踏み潰されていく。
イン・エルト共和国の兵を軟弱者と称するのも無理もない。彼らの魔物は一線を画する強さを誇っていた。
そのような混乱した状況の中、撤退戦はしばし続いた。
やがて敵が引いていくと、ノールズ王国の諸侯はようやく一息つくことになった。
◇
外国への従軍義務がそろそろ切れようという頃。
ペール・ノールズは一人の人物と会っていた。
彼の正面にいるのは、魔物の王である巨大な鳥――の前にいる男、シオドア・アーバスである。
各部族の調節に働いていた彼だったが、今は彼らの後ろに十数名の南の部族の代表たちがいる。
「シオドア・アーバス殿。では、これにて約束は取り交わされた」
「ペール・ノールズ殿。確かにここに契約はなされた」
そんな他人行儀な台詞は、あえて彼らが元の関係に触れないようにしているからこそ発せられたものだ。
たかだが学園で働く一人に過ぎなかった彼が、今では南の部族を率いてこのような交渉の場にいること自体、かつては考えられないことだった。
西の平原はあれから幾度か小競り合いがあったが、北西の部族、ノールズ王国、そして南の部族の三者が入り乱れる状況になり、結果、このような仮初めの平和を作り上げることになったのだ。
元々南の部族とは争わないように言ってあったのだから、こうして正式に取り決めをする必要があったわけではない。だが、ある程度の領地を分割して与え、あるいは南のものとして正式に認めることで、彼らと手を結ぶ必要があったのは間違いなかった。
ここがノールズ王国の領地となったとはいえ、北西の部族との争いは外国への従軍義務に当たるため、もう日数が残されていなかったのである。
ややもすれば、諸侯は戦いに辟易し、帰ってしまうかもしれなかった。
それならば、多少利益が減ろうが、所詮は田舎のなにもない土地、分け与えても取り分をしっかり確保したほうがマシ、という結論に行き着いたのである。
そのような状況で、南の部族からすれば北の平原を治めている人物が変わっただけなのだが、ついでに領地までもらえたという状況なので文句が出ることもなく、ペールとしてもひとまず西のノールズ王国を守ることができてほっとしていたのだ。
ペールがアルベール・ノールズと話していたことには、この西の土地を彼にゆだねるというものがあった。
それはある意味、第二王子には西の統治の役割を与えることで、第一王子に王位を譲るということでもあったのかもしれない。だが、それこそがペールにとって、今後の動向に大きく影響を与えるものであったのは間違いないだろう。
いずれにせよ、戦いの勝利の証左でもある土地がなければどうにもならないのだから。
諸侯と折り合いをつけるのは、また後ほど行われるとして、ひとまずの解決に向かっている。
「成り上がり風情が」
そんな言葉を、誰かが口の中で呟いた。
西の蛮族と侮っていた相手の中でも、とりわけ洗練されていない南の部族と手を結ぶことへの抵抗感もあったのかもしれないし、田舎の部族とはいえ、一番上に立つ者への嫉妬もあったのかもしれない。
けれどそんな言葉は誰の耳にも入ることはなく――いや、誰も聞かぬようにしていたのか、会議はそれで終了することになった。
さて、そうなると南の部族は少々、ノールズ王国の者と交流して、再び南に戻ることになる。
シオドアは忙しそうにしていたが、その中でなんとか時間を見つけ、それからただの学園に通っている小生意気な少年のところに向かった。
「よお、末っ子。約束どおり、大舞台以外で会うことになったぜ」
「おやおや、このような状況でそのようにのたまうとは、随分剛胆になりましたね。これが王の風格というものでしょうか。なあ、丸焼き?」
ヴィレムがからかい気味に尋ねると、丸焼きは軽快に鳴いた。こちらは王というよりも、もはやただの飼い慣らされた鳥である。
「これからお前さんはどうするんだ?」
「そりゃあ、学園に帰りますよ。それから俺もシオドアさんのように日がな一日ぐうたらしながら、可愛い尻尾を撫でて過ごすため、学園から解放されることにしました」
「よく言うぜ、いつでもそうしているくせに」
シオドアはヴィレムとクレセンシアを見て、そんなことをぼやき、丸焼きをぐしゃぐしゃと撫で回した。
「それじゃあ、もう会うこともなかろうが」
「なにかあれば頼りに来ますので、楽しみにしていてくださいね」
「はは、お前さんが困った状況に陥るときは想像できねえな」
さて、そうして二人は和やかに別れを済ませる。
去っていくシオドアの姿を見ていたヴィレムだったが、すぐに帰り支度を始めることにした。荷物をほとんど持ってこなかった彼らだったが、だからこそ、こちらからいろいろと物資などを持ち帰ることができる。
鹵獲した鎧やら馬乳酒をしまっている魔術師隊の者を見ながら、少しはいい土産を持ち帰ることができただろうか、と思うのだ。
ここで禁術を用いられた兵がいたことや、外套を纏った者たちが聖域の毒を持ち込み襲ってきたことなど、謎は残っている。そしてなぜ相手が王を狙ってきたのかも。あれがただ大将のみを討取らんとしたのであればいいのだが……。
しかし、とりあえずヴィレム・シャレットは、この西の役目から解放されることになったのだ。
領地ではなく物資を中心にもらうことにしたため、もう西に来ることもあるまい。
思えば、一ヶ月あまりの短い期間だった。だというのに、随分と長くルーデンス領を離れてしまった気がする。
ヴィレムがそうしていると、遠くから向かってくる者たちの姿があった。
ヴォロト・ヴィルタとマルセリナ、ナバーシュの三人である。多くの諸侯はヴィレムの扱いに慎重になる中、彼らの対応はこの戦の前後であまり変わっていない。
「ヴィレム殿。先の戦い、このヴォロト感動いたしました。やつらをなぎ倒していくお姿は、古代の魔術師レムのようでございますな」
ヴィレムはかつて、ルーデンス領においてレムの申し子という噂を流しておいた。なにかとそのほうが都合がよかったからだ。しかし今はルーデンス魔導伯の名が知られているため、レムの名はなりを潜めている。
それがこのような形で耳に入ってくるとは。ヴィレムは少々奇妙な心持ちになった。
ヴォロトはヴィレムを英雄とはこのようなものであろう、などと童のように延々と話し続けて、満足すると去っていった。父とはまるで違う性格だが、けれどあのような人物に気に入られるのも悪くない。
そしてこれまで話し終わるのを待っていたマルセリナがずいと身を乗り出すと、
「もう、あんたに勝とうなんて気はないけど、あんたのとこの魔術師には勝ってみせるから! 覚悟してなさい!」
「そもそも勝負を始めた覚えがないんだが……」
元気な彼女の横でナバーシュが頭を下げる。
「あのときは助かった。マルセリナを救ってくれたこと、感謝する」
「ちょっと、なんであたしが助けられたみたいになってるのよ。ナバーシュだって、死にそうになってたじゃない!」
かみつかんばかりの勢いのマルセリナ。ヴィレムは「礼には及ばない。ヴォロト殿と丁度よく君たちがいただけだから」とすげなく返す。
ナバーシュはヴィレムの様子に言葉を続けるのを止め、その代わりに迫るマルセリナを見て、
「それでもお前が無事でよかった」
と、抱きしめた。
「え、あの、ちょっと……もう……!」
真っ赤になるマルセリナと、表情一つ変えないナバーシュ。
彼らを見ていると、子供でいるのも悪くない、とヴィレムは思うのだ。けれど、子供でなくなることで、できるようになることだってある。
ヴィレムはクレセンシアとの未来を思い描き、そこに行き着くためになんと告げようか、とこれからのことに思いを馳せる。
「ヴィレム様、どうかなさったのですか?」
「俺は君を離したくないと思ったのさ」
クレセンシアに、今一度戦いの前に告げた言葉を繰り返し、彼女を抱き寄せた。
帰ったら変わらないルーデンス領の生活が待っているだろう。けれど、その先に進めてもいい頃だ。
ヴィレムは来たる二人の平穏で幸せな日々に、胸を躍らせた。
これにて第十一章はおしまいです。
西方編も終わり、次章から舞台は再びルーデンス領へ。
ヴィレムも仲間たちと動き始めます。
今後ともよろしくお願いします。




