95 その深緑は赤に輝き
ヴィレム・シャレットは騒動を見ながら、視線をあちこちに向けていた。
その調子を見れば、やけに落ち着かないでそわそわしているようにも思われるが、彼をよく知る者からすれば、居ても立ってもいられなくて、今にも飛び出していきそうにしか感じられないだろう。
(なぜ、このタイミングで禁術を用いられた兵が出てきた? あれはかつて聖域で襲ってきたやつと同じ魔術を用いられているはずだ。そしてそれは、シャレット領での実験から続いてきているはず。あの東の山脈で戦ったものといい、王都、シャレット領の襲撃といい、狙ってきているのは、目論見に気づいている俺のはず。ならば、なぜ俺が前線にいないというのに、種を明かした?)
ヴィレムを仕留めるためにあの禁術を用いたというのであれば、兵に紛れて襲いかからせるなり、油断したところを叩くなりすべきだ。雑兵の数を減らしたところで、ヴィレムの戦力にはなんら影響がないのだから。
ならば、王都でヴィレムが魔術師を育成する薬を用いていると噂を流したように、間接的に彼を陥れようとしているというのか。
いや、そもそも、敵は帝国に絡んでいたのではなかったのか。こんな辺鄙な西の土地にまで影響を及ぼしているというのは、なかなかに想像しがたかった。そも、こんな場所で活動していたなら、あの東の山脈で研究などを続ける理由もなかったはず。
ヴィレムは考えるも、これといった答えは出てこない。
努めて冷静であろうとする彼だったが、胸中は穏やかではなかった。
自分とはあまり関わり合いのない争いだと思っていたのが、禁術が絡んで深く関わっており、敵が狙ってきていたのだ。そして今はその近くに、イライアスなどシャレット家の者もいる。
こうなれば、もはや西国とノールズ王国および国内の力関係など考えてもいられない。
「お前たち、シャレット家の兵に被害が及ばないよう、父上に協力してくれ」
ヴィレムは魔術師たちにそう告げるなり、自身は一気に幾何模様を生み出した。それは近辺に広がり、今にも剣を振るわんとしていたイン・エルト共和国の兵に迫ると、風の刃となってことごとく首を落としていった。
次々と、あたかも波が広がっていくように血しぶきが舞う。それには敵味方問わずに、恐れを禁じ得なかった。
ヴィレムは風読みの魔術で状況を探るも、こちらに向かってくる集団は存在していなかった。敵も西の村に現れたものと巨大化した魔物を除けば、これまで倒してきた敵の拠点から散発的に現れるくらい。
となれば、叩くべきは攻めてきている異形どもにほかならぬ。
「シア。これより敵を討つ」
「ヴィレム様……」
「一年越しにやってきたんだ。俺が戦うべき相手が! 大丈夫。我を忘れるほどじゃない」
ヴィレムが言うと、クレセンシアは頷き、ぎゅっと槍を握った。
我を忘れるほどじゃない、というのは、冷静ではない、というのとさほど変わらなかったかもしれない。ただ、その程度の言葉選びができる程度には頭は冷えていると見たクレセンシアだったが、それでも不安は拭えなかった。
一年間の平和は、ヴィレムの中にあった激情を少しずつ冷ましていたが、同時にいつ燃え上がるかも分からぬ不安という火種を着々と積み重ねていたのだ。
大切なものが多くなればなるほど、あれから一度たりとも忘れることができなかった、同胞を失うことへの恐怖が反動となって強くなる。
きっとヴィレムならば、戦いにおいては最善を選択できるだろうが、そのやり方はひどく激しいものになろう。
ヴィレムはイライアスの護衛を、本来ならばヴィレムの護衛をすべくやってきた魔術師たちに任せ、取り出した竜銀を掲げる。
それはいくつにも分かれ、あるものは彼の身の丈を遙かに超える大剣となり、あるものは宙に浮かぶ無数の刃となった。
「シア、行くぞ!」
「お守りいたします!」
ヴィレムが駆け出すとともに、緑の刃が先行して敵を切り裂き、巨大な鳥の魔物を見るなり大剣が振るわれる。
鳥は鳴き声を上げることすらかなわなかった。
一太刀で胴体が切り裂かれ、臓物と血で大地を濡らしていく。
その中で、ヴィレムはなにひとつ、汚れてはいなかった。彼の周囲を巡る風が血を吹き飛ばしていた。
赤き血を撒き散らす深緑に、イン・エルト共和国の兵はたじろぎ、逃げ始める者も現れ始めた。だが、向けたのが剣であろうと背であろうと、散らすのは等しく絶叫であり、そして最期のはかなき命であった。
しかし、絶望に追われているのは、イン・エルト共和国の兵たちだけではなかろう。ヴォロト・ヴィルタの周りにおいても竜銀は輝いているが、彼らを追っているのは異形の化け物で、千切れても復活して動き出すものすらある有様だ。
「もう、しつこい! 女性を誘うときのマナーがなってない!」
マルセリナが叫びながら炎の槍を放つ。
それは肉塊にぶち当たると焼け焦げる音を放つが、すぐさま鎮火していった。体表には幾何模様が浮かんでいる。吸熱の魔術だ。
「馬鹿、今は逃げることを優先しろ!」
ナバーシュが剣を変形させてあたかも幾本もの腕のように操り、迫ってくる鳥の魔物を押さえつけながら、マルセリナに移動するよう促す。
ずんずんと追ってくる敵に気持ちの悪さを覚えていたマルセリナだったが、ヴォロトを連れているクリフが遠慮なく進んでいくため、置いていかれまいと慌ててナバーシュのところに駆け込んだ。
そんな彼らは命からがら逃げていたのだが、前方からすさまじい絶叫が近づいてくるのを聞き、
「今度はなんだって言うのよ! もう!」
泣きそうになりながら叫ぶしかなかった。もう、突っ込んでいったときの勇猛さなんてかけらもありゃしない。
そちらから近づいてくる緑の刃とともに、そんな二人が見たのは、よく知った顔である。
だが、それがとても同一人物だとは思えなかった。
そこには、どこか飄々としたあの少年らしさは一つも見られなかったから。
振るう力は変わらずに、他者を遙かに凌駕している。だというのに、余裕が感じられない。どころか苛烈な表情を浮かべており、辛そうにすら見えた。
彼のことを知らない者が見れば、この大虐殺に心を痛めていると見たかもしれない。だが、決してそのようなことはなかった。ヴィレムは敵対者として認識した相手には、一切の容赦はしないのだから。
「ヴィレム様、ヴォロト殿をお連れしました!」
「よくやったクリフ! あとは俺がやる!」
ヴィレムは彼らの最後尾に立つと、迫ってくる相手を見据えた。異形の化け物はとめどなく村から溢れ続けている。
イン・エルト共和国の兵の様子を見るに、あの異形に対して恐れを抱いているようにも見える。このような事態になるなど、知らなかったのかもしれない。
ならば、イン・エルト共和国に住まう者全体の意思ではなく、誰かが魔術師と手を組んだのだろう。
ヴィレムは敵を見据え、幾何模様を浮かべていく。
それらは複雑に絡み合いながらも二つに分かれ、雲霞の如く押し寄せる異形の化け物どもを、天と地で挟み込んだ。
(こそこそと動き回ってる魔術師ども。お前らがなにを企もうと、俺はことごとく打ち砕いてみせる!)
直後、激しい雷鳴が轟いた。天が怒り嘆き悲しみ、叫ぶ様子から天鳴と名付けられたその大規模魔術は、今は一人の魔術師の叫びであったのかもしれない。これほどの力がありながら、守れなかったものがある。だからそのようなことがないようこの力でもって、迫る敵を排除せねばならないのだと。
地上にいた異形どもは雷撃の魔術では硬直する程度の被害しか出ないとはいえ、高出力で食らってはそれどころではない。存在そのものが消し飛べば、動きようもないのだ。
辺りはなにもかもが黒焦げになり、ところどころ、無事な個体がいるばかりだった。それはヴィレムの冷静さの証明でもあった。あれらに禁術が用いられていることを調べられるよう、いくつかはわざわざ生かしておいたのだ。
クレセンシアはさっと風の魔術を用いると残った敵を切り刻み、サンプルを回収して瓶に入れておく。
先の魔術の激しさとは対照的に、すっかり場は静まっていた。誰もがその威力に、畏怖を覚えずにはいられなかったのかもしれない。
だが、にわかに騒がしくなるところがあった。
ペール・ノールズがいた辺りで、争いがあったらしい。それはヴィレムにとって特に興味があるものでもない。
ヴィレムはシャレット家の兵がいるほうに視線を向け何事もないことを確認すると、逃亡するイン・エルト共和国の兵には目もくれなかった。
異形の化け物の消滅をもってこの戦いは、彼にとっては無関係な戦いに戻ったのだった。