94 夢を追うこと
雄叫びを上げ、兵がなだれ込んでいく。
突き進んでいくのは、ノールズ王国の兵たちだ。それに対するイン・エルト共和国の兵は、慌てて魔物に騎乗するが、羽ばたき舞い上がろうとしているところを射かけられ、空へと辿り着くことができずにいた。
これまでの戦いと異なり、イン・エルト共和国の兵とノールズ王国の兵とが剣を交えた後、激しさを増す前に引いて終着を迎える、ということがなくなったのだ。
そこには油断もあっただろう。これまでノールズ王国は攻めてこなかったのだから、これからもそうであろうと。
だが、決してそれだけが理由ではない。
「攻めろ! 敵は浮き足立っているぞ!」
声を上げたのは第二王子、ペール・ノールズだ。彼が調べ上げておいた敵の補給拠点は見事に当たっていた。それゆえに敵は、本来ならば重要な物資が、今では頼りにすべき機動力を削ぎ落とすための重荷になっていたのだ。
「この畜生め! よくもこれまで!」
主人と合流できずにうろたえていた魔物を、鋭い剣が切り裂いた。血を噴き出しながら倒れた魔物に、剣が、槍が、矢が突き刺さっていく。
むごたらしいと言っても差し支えない状態だ。しかし、これまで溜まりに溜まってきた鬱憤は、それだけでは晴らせそうもなかった。
ノールズ王国の兵たちはここぞとばかりに敵を追い立てていく。
どこへ逃げても、敵の行き先は見当がついているのだ。そのことを不思議に思わない者もいないことはなかったが、あえて第二王子にそのことを突きつけるような者など、このノールズ王国にはいやしなかった。
兵が西へと移動すると、諸侯はそれを追撃する者と、物資をかき集めようとする者に別れ始めた。糧食や武器などは結構、いい値になるのだ。
そんな有様であったが、アルベール・ノールズはむしろ丁度いいくらいだと、彼らの様子を眺めていた。
これほどまでにこちらが優勢ならば、多少損害が出たとしても、いい起爆剤になってくれるだろう。気勢が削がれる要因にはなり得ないはずだ。余計な口出しのほうがよほど邪魔になる。
「ペールよ。今回は助けられることになったな」
「もったいないお言葉です」
「そう謙遜するな。私はこれまで、お前のことを誤解していたかもしれぬ。その気性はまさに、この戦いの勇猛さそのものであったのだろう」
ようするに、今までペールが荒れているように見えていたのは、彼に相応しい場所――戦場がなかったせいであり、そこを得たとなれば、この上ない才能を発揮したと認めたのだ。
ペールは父とは折り合いが悪かったが、たったこの言葉だけで、これまで胸中にこびりついてた不信感の塊が落ちていくような心持ちだった。
「父上……。この戦い、必ずや勝利に導いてみせます」
「ああ、期待しているぞ」
ペール・ノールズはこれまで以上に気合いを入れ、兵たちを鼓舞する声を上げた。
◇
さて、そうしてそれぞれの思惑で動く中、やけに呑気な集団がある。
濃紫のローブを纏ったその中心にいる少年は、呑気に肉を焼いて口にしていた。
「うーん。魔物の肉だからそれなりにおいしいかと期待していたのだけど……なんだか堅くておいしくないな」
と、不満をこぼすのはヴィレム・シャレットである。イン・エルト共和国の兵が駆使する鳥の魔物を見たときから、揚げたらおいしそうだと思っていたのだが、期待外れである。
魔術でさっと焼いたため、周囲の人物が気づいたときには肉にかじりついている主人の姿があったのだ。すでに敵兵は逃げてしまったため、たいした危険がないとはいえ、慣れていない者は閉口するしかなかった。
「ヴィレム様! 下ごしらえをしていないのですから、当たり前ではありませんか」
唯一、そんなヴィレムに日常の口調で話しかけるのはクレセンシアだ。
「そういう問題かなあ? たぶん、運動させすぎて堅くなってるんだよ。だから鳥かごの中で育てればおいしくなるかもしれない」
「飼育してみます?」
「俺は可愛い君の世話だけで精一杯だよ」
「ヴィレム様がしてくださるのは、尻尾の毛繕いだけではありませんか。いつも、私がヴィレム様のお世話をしてばかりです」
そんな会話をしているうちにヴィレムは肉を食べ終わって、適当な地面を掘って骨を埋めた。
呑気なヴィレムたちの近くには、シャレット家の従者たちがいる。そのうちの一人がヴィレムのところにやってきて、連絡事項を告げ始めた。
「ヴィレム様。これから大がかりな追撃が始まるそうです」
「いよいよか。敵の本拠地もすぐ近くだろうから、決戦になるだろう」
ヴィレムは表情を引き締める。そんなヴィレムを見て、クレセンシアがそっと、彼の口元についた肉汁をぬぐった。
さて、そうなると付近に散らばっていた諸侯たちも続々と集まってきて、一様に同じ方向へと進み始める。やや傾斜になっており、本陣を構えるには都合がいい場所なのだろう。
小高くなった丘の上には、イン・エルト共和国の兵たちが居並び、迫るノールズ王国の兵たちを見据えていた。
(おや……? やけに落ち着いているな)
ヴィレムは彼らをぐるりと眺める。
ここを突破されれば、もう彼らの住む場所は目と鼻の先だ。遊牧民である彼らゆえに、城壁や城といったものは存在せず、移動しやすい建物が数多あるはずだ。
そちらではすでにいつでも立てるように準備を整えているかもしれないが、住居などの荷物をすべて持っていくことなどできやしない。ましてここで敗退すれば、残党狩りに合うのは間違いない。
だが、どれほど疑おうと、確信もなしにこの一連の流れを止めることなどできやしなかった。
ペールの号令とともに、丘の上の敵兵へと動き出した。
それに対して、矢の雨が降り注ぐが、それらは盾に遮られ、風の魔法に阻まれ、ノールズ王国の兵たちを押し返すには至らなかった。
幾人かは貫かれ、その足を止めて倒れ込む。
だが、だからといって後ろの者が足を止めるわけにはいかない。同胞の屍を乗り越えていかねば、彼らもまた後ろから続く者に押し倒され踏み潰されることになるのだから。
雄叫びとともに突っ込んでいく兵たちの中、ヴィレムは周囲を眺めていた。
彼が連れてきた兵はたったの数十人しかいないため、シャレット家に仕える者たちが大勢いたとしても、付近の空間にはかなり余裕があるのだ。
しかしそこから見えるのは、背後にはこれまで打ち砕いてきた敵の拠点の残骸。前方には居並ぶ兵たち。
(……魔物はどこだ?)
ヴィレムはこの戦いには加わらぬと決めていた。ノールズ王国に勝利をもたらすことが、彼にとっての勝利と等しくはないからだ。
だが、違和感が拭えない。
「クリフ。俺も少し、働くことにした。なにかあるかもしれない」
彼が頷くなり、ヴィレムは風読みの魔術を発動させる。
幾何模様が付近一帯に広がっていくと、丘の上の兵たちの声が拾われ、それから向こうの有様が明らかになる。
そこには、変わらぬ家々が存在していた。
(……避難していない?)
ただの村人が、避難もせずにいることはあまりにも不自然だ。音を聞く限り、建物だけでなく、人が存在していることは明らかである。だというのに、そこは物音一つ立たない静まりようだった。
「まさか。村を囮にしようというのか?」
ヴィレムが状況を告げると、クレセンシアが槍をくるりと構え、辺りを警戒し始める。
「ならば、周りに敵がいるでしょうね。魔物は?」
「丘の上にはちらほらと見えるが……主力になるほどじゃない。クリフ、こんなことを言ってはなんだが……ローブを脱いで、兵たちの前線にこっそり忍び込んでもらえないだろうか? 俺では目立ってしまうから」
それは魔術師としての誇りをも捨て去ることだったかもしれない。
だが、クリフは迷うことなくローブを脱ぎ去った。彼にとっての誇りは、魔術師であることそれだけではなかったから。その先にある未来を、かつてともに願った者たちの夢を、ひたすらに追うと誓ったのだから。
握った拳には、緑色の指輪が輝いている。トゥッカの思いのこもった、ミシェリーとの約束の品だ。
「ヴィレム様のご命令とあれば、なんでもいたしましょう」
近くにいた魔術師の一人が、クリフのローブを丁寧に受け取った。その内ポケットには、几帳面な彼らしく、大量の小道具がしまい込まれていた。
そうして一向に情報が得られぬままであったが、ノールズ王国の兵たちの中でも突出していた諸侯――ヴォロト・ヴィルタが敵陣を切り裂いていくのが見えた。
彼は長年、西国との小競り合いを続けており、誰よりも鬱憤を晴らさんとしてた。それが解放されるかのように、自ら剣を取って突き進んでいく。
そしてその近くで勇猛果敢に剣を振るい、炎を放っているのがマルセリナ・ヴァトレン。彼女の周りの兵たちは、とりわけ目立った活躍をしている。よほど、前の戦いで活躍に失敗したのが堪えているのだろう。ナバーシュ・クネシュ率いる集団も近くに見える。
それら西寄りに土地を持っている者たちが、西国に対して戦う意思を強めるのは当然のことだが、そこには矜恃もあったのかもしれない。
が、彼らが突出するのに合わせて、敵兵は左右に分かれていった。
彼らの前に提示されたのは、無防備な村。
それを見て、兵たちが戸惑うことはなかった。誰もが略奪を働くことに、無防備な者たちを狩ることに、抵抗を抱かなかったのだ。
自身が侵略者となること。
ヴィレムは抵抗を覚え続けてきたことだが、ごく一般に行われていることであり、兵の士気にも関わるため度が過ぎなければ、見逃すのが通例でもあった。
「待ち望んだ勝利はすぐそこにある! 進め!」
ヴォロトが勇ましく進んでいき、そのあとにほかの諸侯も続く。村を自らが押さえたという事実がほしかったのだろう。
だが、彼らが村へと近づいた瞬間、家々の屋根が吹き飛んだ。
そこから姿を現したのは、肉塊のごとき人型。いや、それは人であったもの。
「な、なんだあれは!」
戸惑う者たちの中でも、一番大きな反応があったのは、ヴォロトであった。彼は王都にてあの化け物に腕を切り落とされた記憶があった。
状況は一変して、引き返そうとする兵が増えていく。しかし、状況がわかっていない後ろの兵は前に出ようとするため、ぶつかってうまく動けやしない。
そして、さらに左右に分かれていたイン・エルト共和国の兵たちが勢いを取り戻すとともに、そこにいた魔物が膨れ上がって大きさを増していく。
敵陣を切り裂いた兵たちは、あとに続く者がいなくなり、混乱するばかりだった。
そんな彼らに、異形の化け物は村中から現れると、勢いよく迫ってくる。
逃げる兵たちとともに、ヴォロトも戻り始めたが、彼はあまりにも出過ぎていた。赤毛の少女と灰色の髪の少年がかろうじて敵を退けながら退路を作っていくも、進みはあまりに遅い。
それゆえに、すでにヴォロトへと数体の化け物が、狙いをつけていた。
彼は腕を切り飛ばされた瞬間を幻視するも、歯を食いしばった。このような状況に気づけなかったこと。興奮のあまり我を見失ってしまったこと。そして、敵を打ち砕く力のなさ。
恐怖よりも悔しさが勝っていた。
このようなところで、最期を遂げるなど――。
ヴォロトの思案は、不意に打ちきられた。鋭い刃が振りきられていた。
だが、赤色が大地を染めることはなかった。緑の輝きが一瞬見えたかと思えば、次の瞬間には化け物すべてが崩れ落ちていた。
そこにいたのは緑に輝く剣を手にした、少年と言っても差し支えない年齢の男。かつては剣の扱いが下手だと笑われた者だった。
「君は……」
「ヴィレム様の一番弟子、クリフと申します。ヴォロト殿、こちらへ」
「そうか、頼もしいな……!」
ヴォロトは英雄を見る少年のように、熱に浮かされながら彼のあとに続いた。
ルーデンス領に仕える魔導師でもなく、ただのヴィレム・シャレットと夢を見る一人として、クリフは友人の剣を振るう。
(俺は少しでも、剣がうまくなったか?)
その問いに答える者はもういない。
だから、クリフは何度だって問い続ける。彼の夢が叶うまで。
「このような雑兵、恐れるに足りぬ! 体勢を立て直す、退け!」
クリフの声に兵たちは鼓舞され、動きがなめらかになっていく。
彼とて、大軍を率いる将、あるいは英雄、諸侯としての才を秘めていないわけではなかった。彼の武勇に、自ずと者どもは率いられていく。
きらびやかに、竜銀が輝いていた。




