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93 帰還者たち


 蛮声が上がっていた。

 空から、地上から、魔物を率いたイン・エルト共和国の兵が迫る中、機動力に欠けるノールズ王国の兵たちは苦戦を強いられていた。


 濃紫の一団がいなくなったと見るや否や、イン・エルト共和国は一気に攻勢に出たのだ。


 それゆえにこれまで遠くから嫌がらせを続けてきたのとは異なり、干戈を交わらせることが多くなって、戦いは次第に激しさを増していく。ヴィレム・シャレットがいなくなってたった二日目のことであるが、イン・エルト共和国および王の両者は、これを好機と見たようだ。


 イン・エルト共和国からすれば、あの人物がどこに行ったのか気がかりであるものの、気づいたときには首を落とされている危険がなくなり、一方でノールズ王国の王からすれば、いつ南が片づくのかと気が気でないが、諸侯をようやく戦いへと動かせるようになったのだ。膠着した状況を動かすのには、今しかなかった。


 こうなると、一番迷惑を被ったのは諸侯であるが、彼らも従軍の義務が存在しているため、その期間は必死で生き延びるために武器を手に取る。


「殺せ! 侵入者を葬り去れ!」

「あんな魔物ごときに怯えるな! 我らの意地を見せつけろ!」


 声や兵が入り乱れる中、イン・エルト共和国の兵に変化が起こった。突如、撤退を始めたのである。


 なにごとかと思ったノールズ王国の諸侯は、やがて近づいてくる濃紫の姿を認めて、ほっと一息ついた。諸侯の一人は、今にも斬り殺せそうだった憎き敵を逃すのに苛立ちを隠せない一方で、なによりも助かった安堵でいっぱいであった。


「これはこれは……邪魔をしてしまったかな?」

「まさか。ペール殿下はヴィレム様の到着をお待ちですよ」


 ヴィレムとクレセンシアはそんな呑気な調子で、兵たちの間を通り過ぎて、王のいる場所へと向かっていく。兵たちは彼らの姿を見ると、自ずと道を空けていく。それゆえに、これは凱旋にも見えたかもしれない。


 が、実際のところ、ヴィレムの不在の理由は知らされていなかったため、彼らに関してどう対応すればいいのかわからなかったのだ。


 そうしてヴィレムはそこに辿り着いた。


「ペール殿下。南の憂慮を取り除いて参りました」


 ペールは思わず驚きを露わにした。自分で言ったこととはいえ、実現するとは思っていなかったのだろう。


「そうか。ご苦労であった。……シオドアが見えないようだが」

「はい。南方との交渉において、彼の地に残ることになりました。彼から文を預かっておりますので、仔細をご確認いただけると幸いでございます」


 ヴィレムはペールに手紙を渡す。

 そこには、シオドアが部族間の調整に働くため、しばらくはそちらに残る旨が書いてある。


 学園は一応、国が管理する機関であるが、シオドアは王から任されているわけでもないので、辞任も難しくはないようだ。


 つまり、彼は南に残ることを選んだのだ。その結果、彼の将来がどうなるのかは誰もわからない。けれど、やり直しだって何度でもできるだろう。人生には機会はいくらでも転がっているのだから。とことんやってみるのも悪くない。


「……では、血を流したわけではない、と」

「はっ。そのほうが禍根も残らぬと思い……なにか問題がございましたか?」

「いや、それでいい。首を取らねばならぬのは、憎きイン・エルト共和国のやつらよ」


 ペールは過激な発言をする。これも彼の性格をよく表わしていた。


「よくやった。これで西を攻めることもできよう。……下がってよいぞ」


 ヴィレムは一揖すると、ローブを翻してその場を去っていく。

 それから自分の陣地に戻ろうと思ったのだが、この地を離れていた間に、そんな場所はなくなっていた。


「うーん。いくら存在感が薄い貴族の末っ子とはいえ、これはあんまりじゃないかな?」

「もしかすると、もう帰ってくるなということだったのかもしれませんよ。ヴィレム様がいたら、手柄をすべて持っていってしまいますから」


 クレセンシアが尻尾をふりふり、そんなことを言う。

 魔術師隊の者も、それなりに力があるからこそ、ヴィレムの力の恐ろしさもよく理解している。クレセンシアが半ば冗談気味に言ったのが、そうは聞こえないほどに。


 クリフはそんな様子を見て、


「ですが、力がありすぎるのも問題かもしれませんね。このような厄介事を押しつけられる羽目になりました」


 と、あからさまにペールを非難するのだ。もちろん、誰にも聞こえないことをしっかり確認してからの発言だが、クリフはなかなかに率直な物言いである。


「それはまあいいさ。力があるから、俺はこうしてここにいるんだからね。……さて、なにかいいところがあれば教えてくれ」


 ヴィレムがそう言った直後、クレセンシアが狐耳を立てた。


「ヴィレム様! あちらにイライアス様がいますよ!」

「父上が? ……いや、そうだな、諸侯が集まってきているんだ。そりゃいるか」

「とても頭が切れるヴィレム様も、家族のこととなるとうっかりさんなのですね」

「そりゃ、俺はもうルーデンス魔導伯の肩書きを手に入れてしまったからね。シャレット領のことばかり考えてはいられないよ。……けれど今は、ただの貴族の末っ子だ。会いに行こう」


 ただ一人の息子として行こうと思ったヴィレムだが、すぐに足を止めた。それから、近くにいた魔術師隊の者たちに問う。


「君らはシャレット領とは縁がないのだったね。気になるなら、待機していても構わないよ」

「我々はヴィレム様の護衛として来ているのです。そのような感情で役目を放り出すわけにはいきません」

「クリフは堅いなあ。いや、そこがいいところなんだけどさ」


 魔術師隊の者もそう言われては断ることなどできやしない。けれど、いったいどのような育て方をすればこの末っ子ができあがるのかと、興味を持っているようでもあった。


 そうしてヴィレムがシャレット家の兵たちが集まっているところに行くと、彼らはヴィレムの姿を見て頭を下げる。


 軽く手を振りながら、ヴィレムはイライアスのところへ行くと、向こうもすぐに気がついた。もちろん、誰だろうが濃紫のローブを見れば見分けがつくのだが、イライアスはヴィレムの顔を見ていた。


「ヴィレム、久しぶりだな。なんでも大暴れしているそうじゃないか」

「お久しぶりです、父上。……好きで戦っているわけではありませんよ。自分の身を守るので精一杯ですから」

「そうだろうな。領主というものは、そういうものだ。小さな手に余りある存在を抱えなければならない。お前はうまくやっているさ」

「ありがとうございます」


 ヴィレムは褒められて、純粋に嬉しくなった。もう成人したというのに、領主となってから随分たつというのに、その嬉しさは幼いときと変わらない。そしてこれからもきっと、変わらずにシャレットの息子であり続けるのだろう。どれほど立場が変わっても、きっと流れる血は変わらずに。


 かつては領主として旅立つことが、父への裏切りに繋がるのではないかと思ったこともあった。それでも父の力になれればいいと思ってきた。


 だけど今は、一領主として、父と相対できることが誇らしくて仕方がない。


「戦いのほうはどうですか?」

「思わしくないな。いや、我々の担当だけでいえば敵を押していると言えようが、やはり戦っていれば犠牲は出る。どれほど少なくしようと思ってもな」


 それはヴィレムも痛感してきたことである。トゥッカの存在を思い出しながらも、ヴィレムは前を向く。そんなヴィレムを見てやはりイライアスは笑う。


「こうしてお前が来てくれると、敵も逃げていくから楽なのだがな」

「……では、この近くに陣を構えてもよろしいでしょうか?」

「構わないが……ほかに拠点があるのではないのか?」

「殿下にここを追い出され、戻ってきたときには居場所もなくなってたんですよ」


 ヴィレムは呆れ気味に笑う。

 そういうことになると、ヴィレムは早速、少し離れたところに仮の拠点を作り上げる。といっても、荷物を置くくらいなのだが。


 かつてレーミアドラゴンを捕まえた土地に遠征していたこともあって、シャレット家の兵には顔見知りもいるため、比較的スムーズに行われた。


 が、腰を落ち着けている間もなかった。


「これより、西へと向かう! 各々、出立の準備をするように!」


 馬に乗って伝令が駆けていく。

 その命令はイン・エルト共和国に来てから初めてのことであったから、混乱が広がっていく。後ほど詳しい説明がされるとのことだったが、そこで言われるのは南の問題が解決したから突き進む、という程度のものだろう。


「……うーん。もう少し南部で粘ればよかったかな?」

「確かに、そのほうが時間はつぶせましたが、評判が落ちてしまいますよ」

「もうすでにろくな噂がないよ」


 肩をすくめるヴィレムだったが、こうなると、おそらくイン・エルト共和国が落ちるところまで一気に進んでしまうだろう。そこにどれほどの犠牲がつきまとうかは、誰にもわからない。


「大丈夫ですよ。ヴィレム様はヴィレム様の大事な者を守ればよいのです」

「……そうだね。もう、誰にも手を出させやしない」


 ヴィレムはまだ見えない地平線の向こうを眺める。その先になにがあるのだろうか。


 やがて手筈が整えられると、兵たちは皆、緊張した面持ちで干戈を手にするのだった。


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