90 勝利への道筋
「さて、お前さんが知ってのとおり、南にはイン・エルト共和国とは異なる部族が暮らしている。しかも一枚岩ではなく、手を取り合ったり敵対したりと、それぞれ主義思想も異なっている。だから統一するのは難しいだろうな」
シオドアはそう切り出した。これからその地の憂いを取り除きに行くというのに、もはや諦めているとも取れるくらいだ。
しかし、そもそもそんな簡単に話を進められる相手ならば、わざわざヴィレムがそちらに赴くこともなかっただろう。
「けれど、手を取り合うことがあるならば、共通の認識が存在しているということだ。あるいはその逆に、敵対するにあたって共通の不満があるということでもある。そこをついてやれば、なんとかなるかもしれないじゃないか」
ヴィレムはそんなことを言う。もちろん、いつもの根拠のない適当な言葉である。いまだ彼にとっては、これは余所様の戦いなのだった。勝とうが負けようが、自分に被害が出ないのがなによりである。それゆえに、どうにも気乗りしない点は変わらない。
そんなヴィレムの様子を見て、シオドアも一つため息をついた。こんな人物と一緒で大丈夫なのか、と思ったのかもしれない。
けれどすぐに気を取り直して考え始める。
「共通点、か。そりゃ、やっぱり魔物を従えてるってことだろうな」
「イン・エルト共和国とは違うみたいですよね」
「あちらさんは、魔物を家畜化したからな」
「野生の魔物とはどこか違うんですか?」
ヴィレムが尋ねると、シオドアはクレセンシアを見た。彼女は小首を傾げ、耳をぱたぱたと動かす。
「そりゃあ……いろいろ違うだろう?」
「そうですね。飼い慣らされた狐は従順になって、体毛の色が変化したり、耳が丸くなったり、よく尻尾を振るようになったりしますから」
「まあ! ヴィレム様は、私のことをそのような目で見ていたのですね!」
クレセンシアがヴィレムの顔を、はたきのように尻尾でぱたぱたと叩いてみせる。
「これのどこが従順なんだい?」
「ヴィレム様のお顔に虫がついていたので払ってあげたのです」
微笑むクレセンシアを見つつ、ヴィレムは彼女の尻尾を抱きかかえた。ふわふわして柔らかい毛は、均一な黄金色に染まっている。
「……シアの毛はどこをとっても全部金色じゃないか。まったく変わってないよ」
ヴィレムはクレセンシアの尻尾の毛をかき分けつつ、そんなことを言う。これが野生の証であろうと。
「ヴィレム様、恥ずかしいですよう。人前でこんなことしちゃ、めっ、ですよ!」
「すまないね。俺は君に悪い虫がついていないかと、いつも不安なんだよ」
おどけるヴィレムと顔を赤らめるクレセンシア。冷静に見ていたクリフはともかく、慣れていない魔術師隊の者は、困惑気味であった。
そしてシオドアは、
「見ているこっちが恥ずかしくなる」
と呆れるのだった。
さて、それから気を取り直して話が続く。
「野生の魔物って言っても、お前さんたちが知ってる魔物とはちっとばかり性質が違うな」
「そうですか? クロカブトといい、こちらで見た魔物がなにか違っている気はしませんでしたが……」
「西の魔物全体でなくて、南の魔物だけだな。というのも、長らく続いてきた因習が理由なんだろう。魔物にも、それなりの知性があるというこった」
どうやら、南の部族における習わしが関係しているようだ。聞いているのは、野生の魔物を従えるということくらいだが……。
ヴィレムが悩んでいると、シオドアは説明してくれる。
「しきたりについてだが……これはどこの部族も一緒でな。契約する際に、一対一で魔物に挑むんだ。この間、部族の者は接触できないことになっている。もちろん、皆にも誇りがあるから、見られていないとはいえ、卑怯な手で手なずけようとするものはいない。もっとも、そんなことをしたって、魔物は従わないがな」
「それが南の魔物における性質というやつですか」
「ああ。逆に、このしきたりに則って戦って勝利すれば、魔物は部族の者とともに暮らすことになる」
つまるところ、このしきたりは部族だけでなく、魔物にとっての制約でもあるようだ。もしかすると、これを受け入れなかった魔物は片っ端から駆除されたため、このような性質を持つ魔物だけが残り繁殖したということなのかもしれない。
そんな話を聞いていたクレセンシアはピンと狐耳を立てた。
「では、野生の魔物をすべて倒して従えてしまってはどうですか? 部族も動けなくなるでしょう」
とんでもないことを言い出すクレセンシアだが、ヴィレムならやりかねなかった。もっとも、彼は東の出自なので、しきたりもあったものではないのだが。
「そういうわけにもいかなくてな。契約できるのはたった一体で、どちらかが死ぬまで付き合うことになる。しかもこの戦いにおいて、たとえなんらかの邪魔が入ろうと、問題が生じようと、考慮されることはない。結果がすべてだ。そして失敗しようが、どちらかが勝つまで終わりはしない。魔物は人を殺すまで追い続け、人はその一体と契約できるまで戦いに挑み続けるんだ」
ようするに魔物との契約は、いかなる事情も考慮されず、どちらかが勝利するまで続くということだ。
「もっとも多くは、挑んだ魔物かそうでない個体かの見分けがつかず、契約できなくなるんだがな」
シオドアはそのようにつけ足す。
そのような話を聞いていたヴィレムは、ふと気になることがあった。
「じゃあシオドアさんも従えた魔物がいるんですか?」
そう尋ねると、シオドアは顔をしかめた。西の話を尋ねたときの表情によく似ている。
けれど今回は、すぐに口を開いた。
「俺に魔物はいない。失敗したからな」
「それはださいですね」
あっけらかんというヴィレムに、シオドアはため息をついた。なんとも無遠慮なやつである、と。しかし、妙に気を遣われるよりはまだましだった。
「俺が挑んだのは、魔物の王だったんだよ。あの部族の中ではその魔物が王とされているから、統治しようと思う者はいねえんだ」
「へえ……その魔物、強いんですか?」
「そりゃな。いまだに挑んだやつは俺くらいのものだ。あのころは青かった……といっても、その時点で俺は部族で一番の腕だったんだが、手も足も出ずにやられ、逃げ出したよ。それから俺は部族を離れ、ノールズ王国に行くことになった。魔物の王に追われた挙げ句、集落が襲われる可能性があるからな。まさか、戻ってくることになるとは思ってもいなかったが……」
ならば、シオドアのみがその魔物と契約することができるはずだ。シオドアは死んではおらず、いまだ戦いは終わっていないのだから。
ヴィレムはふと顔を上げて、口の端を上げた。シオドアはそんな様子を見て思わず息をのむ。
「シオドアさん、可愛いペットはほしくないですか?」
「……おい末っ子。なにを考えてやがる?」
「手助けはします。さあ、鼻を明かしてやろうじゃないですか! 出発といきましょう!」
ヴィレムはシオドアの答えも聞かず、すぐさま周りの魔術師たちに出立の旨を告げる。数が少ないため、伝達には時間がかからなかった。そしてシオドアがあっけにとられつつもそちらに向かう意思を決めたときには、魔術師たちは皆、準備を整えて待っていた。この短期間で、ヴィレムの性格もある程度理解しつつあったのかもしれない。
「目指すは南の山。さあ、南の憂慮を取り除きに行こうではないか。ヴィレム・シャレット隊、進め!」
ヴィレムが言い終わると、皆が一斉に走り始めた。とても貴族の行進ではない。けれど、なによりヴィレムらしいものであった。
シオドアはその様子を少し眺めていたが、つられて彼らを追って駆け出した。状況はちっともよくなっていないし、とても勝機があるとも思えない。
けれど、不敵に笑う末っ子を見ていると、
(本当になんとかなってしまうんじゃないか)
そんな気にすらなってしまうのだ。だからシオドアは彼のあとを追いながら、かつて住んでいた部落を思い出した。取るに足りない騎士の三男坊が戻ってきて、いったいなにができるだろう、と。
そんな逡巡もあっという間に終わりを告げる。
すさまじい勢いで進んでいったこともあって、山脈の麓に辿り着いたのだった。




