85 空を見上げ
人々が右往左往し、怒声と絶叫が入り乱れる。
長旅で疲れている兵も入れば、寝起きで鎧すら身につけていない者もいた。状況は隊によって異なるが、ここで共通していたのは、誰もが慌てふためいているということだ。
そしてヴィレムはといえば、じっと飛来する魔物の姿を眺めていた。その上には人がまたがっていることから、飼い慣らすこともできるのだろう。数は数百と多くはないが、人を相手にしたときの魔物の威力はヴィレムもよく知っている。
「うーん。見たことがない魔物だなあ。巨大なふさふさした鳥だけど……」
「胴体はなんだか馬っぽいですね。毛で覆われている分、乗り心地はよさそうです」
「でも足は鳥っぽいし、腿の辺りとか揚げたらとてもおいしそうだよ」
「四本あるので、家禽よりたくさん取れますね。大きいので食いしん坊のヴィレム様にもご満足いただけるでしょう」
などとクレセンシアが笑うと、ヴィレムは魔物の肉をひたすら食べた日々を思い出す。成長のためとはいえ、よくも食べたものである。場合によっては、同じ魔物を何日も口にし続けることすらあった。
そんな平和な会話をする二人の姿は、この混乱の中に似つかわしくない。
シオドアは彼らの姿を横目に、学園の生徒を率いる役目を果たすべく、混乱する少年少女たちに隊を組むように声を上げる。
「五人組を作れ! いいか、一カ所に固まるなよ! そうなったら逃げ場がなく、格好の餌食だ! 寄り集まったら死ぬと思え!」
死という言葉に、生徒たちは震え上がった。
中には、彼の言うことなど聞かず、がっちりと周りを兵で覆っている貴族の子らもいる。反対に平民の子では組を作れずに孤立している者もいた。
結局のところ、交戦経験のなさがここに来て露見したのだ。ほんの数度でも、魔物や兵と相対して剣を手に取ったことがあれば、全然違った結果になっていたのだろう。
これではとても戦えるはずがない。シオドアは表情に焦りを浮かべる。
「……シオドアさんはこの状況に詳しいようだね」
「戦ったことがあるのでしょうか?」
さて、呑気な二人であったが、そうしていられるのもわけがある。先ほどからクリフが魔術師隊の指揮を執っているのだ。それゆえに彼らはすでに敵襲に備える格好になっている。
普段、ヴィレムが直接率いているわけではないので、余計な口を挟めばかえって混乱させてしまうと放置していたのだが、外から見ているとなんとなく見えてくることもある。
(……あまり素早いとは言えないなあ。動きもぎこちないし。本当に大丈夫なんだろうか?)
魔物と戦っていくうちに硬さも取れて、楽になるかもしれない。いつまでも緊張しているようでは困るのだが、初めのうちは援護くらいしてやってもいい。
ヴィレムはいろいろと考えていたが、そのうちに敵の顔まではっきりわかる距離になっていた。
そして西に近い位置にいる地上の兵たちが弓を構え始める。しかし、敵は上空にいるため、ややもすれば、放った矢は自身へと戻ってくることになるだろう。
それゆえになかなか弓を引けず、戸惑っているところに敵は舞い降りていく。そしていよいよ弓を引かんとした瞬間、その魔物は羽ばたいた。
羽に半透明の模様が浮かんだ。人が魔法を用いるときに生じるものとは、大きく異なっている。そして古い魔術のものとも違っていた。
そしてその形が変わっていき、やがて風の刃が生み出された。
無数の刃が放たれると同時に、兵たちも弓を引いていた。しかし、そのときには急上昇しており、矢の届く範囲からは逃れている。
慌てふためく兵は敵の放った刃の餌食となり、同胞が放った矢を浴びることさえあった。ばたばたと倒れていく兵たちは、怒声を上げずにはいられない。
「くそ! なにやってんだ! こっちに飛ばすんじゃねえ!」
「敵がいるんだよ! ごちゃごちゃ抜かすな!」
辺りが騒然とする中、敵はより東へと近づいてくる。
ヴィレムはそれを見ながら、どうしたものかと考える。ここで自身が魔術を用いて敵を一掃してしまうのは容易い。だが、それはオットーが思うところではないだろう。
不本意にこのような戦いに駆り出されたのだ。なにかしら得るものがなければやっていられない。ヴィレム・シャレットが好き勝手に敵を駆逐した、という結果など、なんの意味があろうか。
(ピンチのお偉いさんを颯爽と救ったとか、全滅の危機に瀕したところを打開したとか、あとは……俺の隊が豊富な経験を積んだとか、そんなところか)
そも、ヴィレムは同胞意識などなにも抱いていない。それゆえに、自分たちさえ生き延びられたなら、ほかの諸侯がどうなろうが知ったことではないのだ。これはなにもヴィレムに限ったことではないだろう。諸侯ごとに塊ができていることからも明らかだ。
結局、この戦いを望んだのは王、あるいは西から直接被害を受けた者だけなのかもしれない。
「盾を構えろ! 奴らの攻撃はそこまで強くない!」
シオドアの声に、生徒たちはわらにも縋る思いで盾を構える。そして敵が先ほど同様に降下して風の刃を放つと、皆が盾の影に入った。
刃が地に降り注ぎ、いくつもの甲高い音が上がる。ほんの軽いステップで躱したヴィレムとクレセンシアだが、果たして後ろではどうか。背後で音は鳴らなかった。
魔術師隊のやや上方には風壁の魔術により壁が作られていた。その風がやんだと思いきや、今度は別の流れが生じる。
敵目がけて無数の風刃の魔術が用いられたのだ。
非常に素早い動作だが、一人でこれを行ったというわけではなく、数人が風壁の魔術を用い、残りの者が一斉攻撃を仕掛けるように分担していたようだ。
魔術的な技量の不足を、連携でカバーした形だろう。満点の策ではないが、最善のやり方だったに違いない。
そして風の刃が敵へと向かっていく。魔物は慌てて羽ばたくも、その胴体を断ち切られ、血を流しながら落下してくる。
彼らは回避することなどできやしなかった。すでに勢いがついており、加えて攻撃後は上昇するというパターンを取っていたため、次の軌道はいともたやすく予想できたのだ。正確に魔術を放つ訓練を行ってきた者たちにとっては、格好の的だった。
が、攻撃に転じたのは彼らだけではない。
太い矢が魔物目がけて向かっていくのだ。衝撃で頭部は弾け飛び、首から上がなくなった魔物の死体が落下してくる。
あれほど太い矢を放つことができるのは、尋常ならざるサイズの弓か、魔術を用いての行いであろう。
ヴィレムが視線を向けると、そこにあったのは大型の弩砲だ。生徒たちが取りついているが、重量があるため設置して用いるものであり、急に正確な狙いなどつけられやしない。
(弩砲なんか使ったことがないからわからないけれど……あれは、敵の軍勢に撃ち込むものだったはずだ)
しかし、それはあくまで通常の使用においての話だ。弩砲には幾何模様が纏わりついていた。力の魔術で角度や、発射後の軌道を修正したのだろう。それだけでは間に合わないから、大きな修正は生徒たちに行わせたのだ。
そしてその攻撃を行った人物は、落ちる敵を見て顔をしかめていた。
「シオドアさん、あの魔物を知っているんですね? 戦法も、特徴も」
ヴィレムが尋ねるも、シオドアは一瞥をくれるだけだった。彼のところには、敵兵数人が叫びを上げながら向かってきていたのだ。のんびり話す暇などない。
数多の味方を屠った憎き敵を滅ぼさんと、敵兵が腰にある剣を抜いた瞬間、まばゆい光が放たれた。人も魔物も等しく炎に焼かれて灰となる。
「ヴィレム様のお話の邪魔はさせません!」
炎を放ったクレセンシアは、兵たちの中で一際目立っていた。火の粉が舞う中、美しい黄金色の髪がはためいている。
(……やはりシアの炎は綺麗だ)
ヴィレムは目を細め、彼女の姿を眺める。
風刃の魔術はあまり視覚的には派手なものではないが、炎の魔術は眩しく目を引くのだ。それゆえに敵に恐怖を与える効果もあったのだろう。
同時に数人を焼いた炎に、敵の軍勢は、魔物の首を反対に向ける。
「撤退だ! 退け!」
その言葉を聞いた兵たちは、ほっと一息ついた。そしてすっかり見上げ続けて痛くなった首を下げ、視線を落とすと、そこには動かぬ同胞たちの姿がある。そして戦いが始まったことを認識するのだ。
遠ざかっていく魔物の群れを見ていたシオドアは、ようやくヴィレムへと向き直ると、一つため息をついた。
あまり言いたくないことなのだろう。だからヴィレムも言わなくていいと告げようとしたが、彼は小さく告げた。
「……俺は西の出身なんだよ」