83 懐かしの二人
「マーロ・アバネシーと組んで、なにか企んでるそうじゃないか」
そう言いつつ歩み寄ってきたのは、灰色の髪の少年だ。彼がヴィレムの前で足を止めるなり、押しのけるようにして赤毛の少女がずいと身を乗り出した。
「入学時期が終わってからここに来るなんて、どういうつもり?」
そう言われて、ヴィレムは改めて二人を見た。
彼らの身なりは貴族のものだ。側にはそれぞれ、従者も控えている。
二人の顔にはあのころの面影が残っていた。多少大人びているが、どことなく子供っぽさが残っているため、見間違えるはずもない。そも、ルーデンス魔導伯がマーロ・アバネシーと組んだという話は今更取り立てて言うことでもなく、それをわざわざ出す意味を考えれば……。
ヴィレムは当時の様子を思い浮かべる。
(……懐かしいな。あのときは、魔導鎧に関して揉め事が起きたんだっけ)
当時はまだヴィレムも力を取り戻したばかりで、あまり魔術もうまくなかった。けれどこの学園の者たちと比較すれば、遙かに優れた魔術師であったのだろう。
それゆえに、たったあれだけの出来事だというのに、彼らはまっすぐにヴィレムのところにやってきた。二人ともほかの子らより力があるようだったから、一層感化されることになったのかもしれない。
「ずいぶんと大きくなったじゃないか。学園の飯はよほど旨いらしいな」
「そういうルーデンス魔導伯こそ、いつも豪勢な食事ばかりしているんじゃないの? 憎らしいくらい肌つやがいいじゃない」
「これはそのマーロ・アバネシーと組んで開発した薬品のおかげさ。安くしておくよ、一つどうだい?」
などといって、ヴィレムは商談を始めんとする。少女は興味を持ったようだが、彼女が話に乗るよりも早く、少年が真顔で告げる。
「すっかりマーロ・アバネシーに似てしまったな。腹を出さなくていいのか?」
「生憎と、走り回ってばかりで肥える暇もなくてね。というか、あのころはまだマーロはふんぞり返ってるだけで商売なんかしてなかっただろう」
四年前のマーロといえば、偉ぶっているだけでなにかが優れた少年という印象はなかったはずだ。そんなヴィレムの考えを知ってか、赤毛の少女が満足げに笑みを浮かべた。
「王都にもアバネシーの品は運ばれてくるからね。前に欲しいものがあって、だけど高かったから、あの太っちょくんのところに行ってみたの。ちょうど会うことができたから、なんとか安くならないかなーって、お願いしてみたら、すっかりあたしの魅力に骨抜きになっちゃったみたいでね」
しなを作ってみせる少女に、灰色の髪の少年が肩をすくめた。
「首根っこを掴んでいてよく言う」
「もう! あんたはいっつもそんな余計なことばっかり! いい加減、女性の扱い方でも覚えたら?」
「女性の扱いは心得ているつもりだが、暴れ馬の飼い慣らし方はまだ習得していないようだ」
すげなく告げる少年につかつかと歩み寄り、少女は彼の頬を引っ張った。
「なんですって?」
「いふぁひひゃなひは」
掴まれたまま顔色一つ変えない少年を、きっと睨む少女。するとそこに割り込む者があった。
「マルセリナ様! ナバーシュ様はこうおっしゃいたいのです。マルセリナ様の魅力は俺の手には余るようだと」
そう告げる茶髪の少年は、灰色の髪の少年ナバーシュの従者らしい。おろおろしつつも、ナバーシュとマルセリナとの仲介には慣れているようだ。
マルセリナはナバーシュの頬を弾くように、引っ張っていた手を離した。
「そう、パスカはわかってるじゃない。ナバーシュにも見習ってほしいくらいね」
満足げに言い放ったマルセリナは、どうやらかなり激しい性格をしているらしい。そうでもなければ、あのとき果敢に魔導鎧に挑むこともなかったかもしれない。ヴィレムはやはり、二人を記憶の中の姿と見比べずにはいられなかった。
(……いやはや、この二人は見ていて飽きないな。もちろん、とばっちりを食らうのはごめんだが)
そんなことを思いながら眺めていると、二人はもはやヴィレムのことなど視界に入れることもなく、なんやかんやと言い合っている。常にあの少女が攻勢に出ているのは変わらないのだが。
そうしているうちに、生徒たちはそれぞれやらねばならないことがあるため、この場を離れていた。ここに残っているのは、とっくに用事を済ませた者か、いまだにどうしていいかわからずにうろたえている者くらい。
けれど、この二人の賑やかな姿を見ていると、やはりヴィレムと同じことを思ったのだろう。いや、すでに慣れていて、それが当たり前になっていたのかもしれない。
彼らはいつの間にか、距離を取っているのだ。とばっちりを食らわないように。
それゆえに、ヴィレムとクレセンシアもまた、周囲から浮いた存在になっていたのだ。
「……シア。そろそろお昼にしないかい? ここでこうしていても仕方がないし」
「そうしましょうか」
二人でこの場を離れようとしたところで、マルセリナの従者をしている女の子が、笑顔で告げてきた。
「それでしたら、ご一緒していただけませんか? マルセリナ様が喜ばれるかと思います。ルーデンス魔導伯が学園に来る日を楽しみにしていたのですから」
そばかすが目立つ子供らしい顔を輝かせ、八重歯を覗かせる少女。
その様子からは、マルセリナを慕っていることが見て取れた。
「そうそう、カトリンが言うように、一緒するといいよ。このあたしが学園も案内してあげるから」
マルセリナが飛んでくると、ヴィレムはとりあえず頷くことしかできなかった。そうして、ヴィレムとクレセンシアは彼女たちに同行することになったのである。
◇
「……で、向こうに見えるのが講義棟。向こうに併設されているのが職員用の設備だから、先生に用があるときは訪れることになるかな」
説明するマルセリナとともに、ヴィレムは学園内を歩いていた。
「つまり、あそこは今、生徒たちでごった返しているということか」
そう言うと、彼女は苦笑する。戦の覚悟ができている者ばかりではないだろう。
さて、そうしているうちに、正面に大きな建物が見えてきた。これが食堂ということだが……。
「ずいぶんと豪華じゃないか」
「平民が近寄らないくらいにね」
マルセリナは自嘲気味にそう言った。つまるところ、ここは貴族御用達であり、平民たちはさほど裕福ではない暮らしをしているということだ。
実際、中には人がほとんどおらず静かで、優雅な会話を楽しむのに相応しい状況だ。もっとも、この少女と一緒では優雅どころか騒がしくて仕方ないのだろうが。
六人が席に着き、落ち着いたところで、注文を取りに女性がやってくる。この少数の貴族たちのために、多くの者が働いているようだ。
(……貴族が通うというのだから、こんなところも当然なのか)
ヴィレムはふと、シャレット家のことを思い出す。何人ものメイドが働いており、幼い頃はヴィレムの世話を焼いてくれ、食事も用意していたものだ。
次第にクレセンシアが作ってくれる頻度が高くなり、騎士となってからは無駄な人員を雇わないようにしていたこともあって、ヴィレムの世話はクレセンシアに一任されるようになっていた。食事は彼女と二人で一緒に取っていたから、給仕されるのとは少々異なる。
王都や帝都に行ったときなど、給仕されることはあったが、とても食事を楽しむような場ではなかった。マーロのところも、あの真っ黒な狐の少女が何から何までやっていたため、こんな雰囲気ではない。
それゆえに、ヴィレムは久しぶりに貴族らしく食事を取った気がした。
(……本物の貴族になってから、貴族らしさから遠ざかったとは、なんとも皮肉なものだな)
そう苦笑せずにはいられないが、それこそがルーデンス魔導伯らしいとも思うのだ。なりふり構わずに、動いているのも性に合っている。
「……それにしても、貴族のルーデンス魔導伯が来るとは、いったいどういうことなんだ」
今一度、ナバーシュがヴィレムに問いかけた。
「領主としてではなく、ここの生徒として戦に行ってみたくなったんだよ。同じ鍋の飯を食えば、自然と絆も生まれよう。幼い頃から領主として堅苦しい生活を送っている哀れなルーデンス魔導伯にとっては、交友を深めるいい機会だろう?」
おどけていうヴィレムだったが、ナバーシュはヴィレムの行動の理由をすぐに察したようだ。頷くと、もう満足したのかさっさと食事を進めていく。
「なにが堅苦しい生活よ。いつも自由に飛び回ってるって話じゃない」
とマルセリナは不満げに言うのだ。そこでクレセンシアが冗談交じりに口を挟んだ。
「ヴィレム様は、家にいてはいつもクレセンシアが口うるさくてかなわない、とおっしゃっているのですよ。ひどいお方です」
クレセンシアが頬を膨らませると、ヴィレムはそんな彼女の口元に手を添えた。
「そう言わないでおくれ。俺はこの口が好きなんだ。どのような言葉が飛び出したって、いとおしさに変わりはないさ」
そう言うとクレセンシアは頬を染めた。
が、その直後、ヴィレムは彼女の口の中に、小さな果実を詰め込んだ。
「むぎゅ!」
「食べてみてよ、おいしいよ、とても」
「……まったく、ヴィレム様の愛情は、稚児のものと変わらないから困ってしまいます」
クレセンシアは口を尖らせながらも、果実を堪能する。ヴィレムに見守られながら。
「あー、もう! あんたたち、こんなところでやめて。見てるこっちが恥ずかしくなるから」
とマルセリナが口にすると、ヴィレムもクレセンシアもちょっとばかり恥ずかしくなって、居住まいを正した。
「……それで。学園の戦力はどれほどなんだ?」
そう告げると、マルセリナもナバーシュも表情を改めた。彼らも命のやりとりをするとなれば、このような調子でいるわけにもいかない。
「当てにならないな。十歳の暴れん坊貴族に勝るような者はほとんどいない」
「ま、あたしはあんなちっちゃいのに負けないけどね」
胸を張るマルセリナに、ヴィレムも反論する。
「俺も十五になったから、あのころとはまるで違うさ。……うちの領にはあのころの俺よりもずっと優れた魔術師もいるのだから、自慢になどならないよ」
そう言われてマルセリナは「やってみないとわからないじゃない」なんて言うが、従者のカトリンが「それはあとにしましょう」と告げると、そういうことで納得したようだ。ヴィレムは受けて立ったわけでもないのに、勝手に話を進めるマルセリナに、唖然とするばかりだった。
「しかし貴族たちには、従者もいるだろう?」
「まあな。だが、主人を守るためにいるのであって、戦いに精を出すこともないだろう」
「ふむ。……そういう二人はやけに気合いが入っているようだが、大軍を率いる当てでもあるのかい?」
ヴィレムが言うと、ナバーシュは肩をすくめた。
「そんなもんがあったら、学園に来てないさ」
そう言うとマルセリナがすぐに合いの手を入れる。
「ナバーシュの家、すっかり没落しちゃったからね」
「そういうマルセリナだって、まったく家からの援助が来ないじゃないか」
「あー、あたしは違うから。その……ちょっと、ね。いろいろあるんだよ。女の子のそういうところ、詮索しないの!」
ずいぶん、都合のいいところだけ女の子扱いされたいらしい少女である。家のことで、なにかしがらみがあるのかもしれない。
そこでヴィレムは改めて二人の家のことを思い浮かべる。彼らの名は、ナバーシュ・クネシュとマルセリナ・ヴァトレンである。
クネシュ家は歴史があるが没落した貴族の家であり、ヴァトレン家は歴史の浅い成り上がり貴族とされていた。
それゆえに折り合いが悪いのだろう……とヴィレムは思っていたのだが、なんだかんだでこの二人は仲がよさそうである。
「ま、実際のところ、戦になったらちょっとまずいかもな。わざわざ来たあんたにゃ、言うべきことじゃないかもしれないが」
「……いや、これでいい。それくらいのほうが都合がいいさ」
笑うヴィレムに眉をひそめるナバーシュ。クレセンシアは自信たっぷりのヴィレムを見て微笑んでいた。
学園の生徒として、ヴィレムが少数で成果を上げたとすれば、救った者の親である貴族たちに恩を売ることができる。そして、王からの追求も免れることができよう。
またとない機会だ。
そう思っていたヴィレムは、フォークを置いて、最後の一口を飲み込んだ。
「ああ、とてもおいしい食事だった。さてと、俺もそろそろ先生のところに行ってくるとしよう。確認しなければならないことも多々あるからね」
そう言ってヴィレムは立ち上がると、さっさと支払いを済ませ、クレセンシアと食堂をあとにする。
その二人を見ていたマルセリナは、
「ずいぶんせわしないのね、彼」
「お前が言うか」
突っ込むナバーシュの口に果実をぶち込んだ。




