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80 熱と激情

 ヴィレムはベッドに横たわっていた。

 なにをするでもなく天井を眺めていると、時間がひどくゆっくり流れているように感じられるのだ。


 魔術師を退けて以来、調査はずっと続いてきたが、これといったきっかけは見つからなかった。あの施設が空になっていたことからも、とっくに別の場所に移転してしまっていたのだろう。


 けれど、それは敵襲の危険がなくなったということである。敵も拠点がなくなれば、急に魔物を集めることもできやしないのだから。


 一つ問題が解決すれば、また別の問題が浮上してくる。ヴィレムはため息をつき、天井を見つめた。


「ままならないものだな……」


 このゆっくりした時間の中、ヴィレムは駆り立てられているように感じていた。天井の木目すら、いつの間にか赤い炎に覆われているようにすら思われる。


 魔術師レムを陥れてきた相手も、このような手段を用いてきていた。

 だから、なにもせずにいると、あのときの光景が蘇ってくるような気がしてしまうのだ。


 もちろん、そんなのが錯覚だということはわかっている。もうレムを知っている者は生きていないだろうから。


(……だが、油断してもいられなくなった)


 敵は禁術のみならず、あの時代の知識を手にしている。もし、国家規模で魔術師の育成を急いでいたなら、あっという間に世界を掌握する力を手にするだろう。手をこまねいていれば、いつか災いとなって降り注いだとき、なにもすることができなくなる。


 しかし、どこかの国がそのような状況にあるという話は聞いていない。雌伏のときなのか、それとも思い過ごしなのか……。


 ヴィレムは居ても立ってもいられなくなって、思わず体を起こした。込み上げてきていた熱がすとんと、腹の底に落ちていく。


 その心地よさに立ち上がったところで、ドアが開いてクレセンシアが入ってきた。


「どうしてヴィレム様は大人しくしていてくださらないのですか?」

「それは困った顔をする君を見てみたいからだよ。幼い子供がそうするように」


 クレセンシアは頬をぷくっと膨らませてみせた。

 そんな彼女をヴィレムは抱きしめる。


「俺はこのとおり、なんともないよ。沈黙の大樹の影響もなくなった。なにも心配はいらない」

「……そういうことじゃありませんよ。ヴィレム様はいつも働きすぎです。たまには休んでほしいのです」

「こうして君と話をしているとき、君を抱きしめているとき、俺は一番心が安らぐんだ。だから寝ているよりもずっといい」


 ヴィレムに言われると、クレセンシアは言葉を続けなかった。なにを言っても余計なことになってしまうから。


 だから彼女は百の言葉よりも確かに伝わるふれあいに任せ、ヴィレムの背に腕を回す。

 こうして久しぶりに戯れるたびに逞しくなっていくのが感じられ、クレセンシアは小さなときめきを覚えるのだ。


 たとえ古の記憶があろうとも、たとえ強力無比な力があろうとも、ヴィレムは彼女の前で、十四の少年に過ぎなかったのかもしれない。それが彼女が求めた姿であったのかもしれない。


 けれど彼は、ルーデンス魔導伯であらねばならなかった。それだけの責任からは、どうやったところで逃れることはできやしない。きっと彼が誰かにその名を譲ったところで、その生を終わらせるときまで、ずっとその事実はつきまとってくる。


 そういうものなのだろう。

 だからクレセンシアもただただ今ばかりは、彼を抱きしめるのだ。


 それからしばらく、そうしていた。静寂な空間で、二つの小さな鼓動の音だけが共有されている。その繋がりを求めるように、ヴィレムはクレセンシアを抱きしめる。


 彼女もまた、十四の少女にすぎなかったのだろう。力強い彼の腕に幸せを覚えていた。


 外から兵たちの声が聞こえてくると、どちらからともなく、二人は離れていった。やがて彼らの足音が遠ざかっていくと、ヴィレムはクレセンシアに尋ねた。


「……シア。なにか用事があったんじゃないの?」

「はい。急ぎの用事ではありませんが……皇帝は我々と手を取るほうを選んだようです。和平の証としてドラゴンを、とのことですが……」

「あくまで、こちらが捧げる立場なんだろうね。もしかすると、この事件をきっかけに領内を探られるのを嫌がったのかもしれない。あるいは、帝国は領内の統治すらままならぬ、という悪評を避けたかったのか」


 滔々と告げるヴィレムに、クレセンシアは笑った。


「聞かれたら大事ですよ?」

「向こうが本気なら、たかだか田舎の一貴族など、どうにでもなるだろう。こんなろくな証拠にもならない言葉に目くじらを立てることもあるまい」

「なんだか今日のヴィレム様はやさぐれていますね」


 そう言われてヴィレムは、自分の苛立ちを理解した。


 帝国と手を取るということは、かつて自身の領地を襲ったかもしれない相手を許容するということでもあるのだ。平然としていられるほうがどうかしている。


 この事実を、死したトゥッカに堂々と言えるのだろうか。

 ヴィレムはそんな詮無きことを思うのだ。


 彼はきっと、恨み言なんか言いやしないだろう。この協定をもって、より領内の安全性が高まるのだから。だけど、ヴィレムは誇ることもできなかった。


「俺にも思うところがあるのだよ。けれど、ルーデンス魔導伯は常に領内のことを思って動かねばならない。ここで手を取るのは悪くないだろう。意味もなく攻め込んでくるなら、向こうも国内の感情を無視できなくなる」


 実質的な意味があるかどうかは不明だが、ヴィレムはそういうことで話を進める方向を選んだ。


 かつて魔術師として働いてくれたあの少年の姿を一度思い浮かべると、ヴィレムはもう不敵な笑みを浮かべる。


「さて、となればヘイスに仕事をやらないとな。さあ、こうしちゃいられない」


 いつもの様子で、ヴィレムは慌ただしく動き始めるのだった。



    ◇



 その日、ヴィレムは帝都にいた。

 今日、ドラゴンを贈与することになったのだが、決して大々的なものではなく、ここの民からすれば、新しいパン釜ができるのとどちらに気を引かれるのか、わかったものではなかった。


 それは帝国とノールズ王国――それも辺境伯との力関係をよく表していたといえよう。取るに足りない相手なのだと。


 しかし、ヴィレムは堂々としていた。いや、そうあらねばならなかった。

 ほんの少しでも隙を見せることは、ルーデンス領の実害に繋がる。領主として、情けない姿は見せられなかった。


 城の広場にて、お披露目の機会を得た後、ドラゴンは帝国の馬丁に与えられることになっている。


 ヴィレムの隣には、ヘイスに引かれる首輪をつけた竜の姿があった。

 しかし、まだ子供であり、馬車を引くような大きさではない。ある程度しつけが済んでおり、かといって若いためしばらく老死することもないため、渡すには丁度いい時期だったのだ。なんせ、帝国ではこの竜が戦や労働に用いられることはないのだから、成熟している必要はない。


「皇帝陛下。再び相見えることができ、光栄でございます」


 ヴィレムは皇帝の前に出ると、頭を下げた。


「今日はめでたい日だ。そう硬くならずともよい。……ドラゴンというのも、なかなか利口ではないか」


 皇帝トレヴァー・デュフォーは機嫌がいいらしく、そんなことさえ口にして、ドラゴンの頭を撫でていた。


 ヘイスも今は冗談を言うこともなく、粛々と役割をこなしていく。


 ヴィレムはやがて視線を感じてそちらを見ると、離れたところに、ルフィナとアスターの姿を見つけた。ルフィナはドラゴンを見て興奮を抑えきれず、まるで子供のように見える。一方でアスターは感情の読めない笑みを浮かべていた。


 そしてヴィレムは皇太子マーカス・デュフォーと一言二言交わすのだった。


「ヴィレム殿。これから先、手を取り合えることを喜ばしく思っている」

「ありがたきお言葉でございます」


 マーカスは人のよさそうな笑みを浮かべていた。

 しかし、どうにも駆け引きの類は得意でないのだろう。彼はヴィレムに、そんな率直な言葉しかかけることがなかった。


 そうして、竜が帝国に献上される。

 元気に鳴くそいつを見ていると、ヴィレムはこの関係がうまくいけばいい、と望むのだった。


 これにより式が終わり、かりそめの平和が成されると、ヴィレムはようやく解放され、一息ついた。


 そして城の一室で休んでいるとクレセンシアがやってきた。


「ヴィレム様、お疲れ様でした。とてもご立派な姿でした」

「今回はヘイスに邪魔されなかったからね。……あいつは今、どうしている?」

「ルフィナさんと一緒に居ますよ。竜の扱いについて話をしているようです」

「……なにも粗相がないといいけれど」


 苦笑するヴィレムだったが、今はそんな関係が微笑ましくもあった。

 誰もがこうして手を取り合いながらも、その腹になにを抱えているのかわからないのだから。


「これで、当面はのんびり過ごせそうですね」

「平和になったらなったで、やることはたくさんあるよ。それに、まだまだ俺が見る未来は遠いところにあるから」


 クレセンシアはヴィレムを見て穏やかな表情を浮かべる。

 そしてヴィレムもまた、そこに明るい将来を見出した。


「さあ、帰ろうか。俺たちの領地へ」


 異国の空は、晴れ渡っていた。


これにて第九章はおしまいです。


長らく続いてきた東の山脈における問題が解決しました。そしてまた一難。

次章は舞台が少し変わります。


今後ともよろしくお願いします。

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