79 一対三
真っ黒な風が過ぎると、ローブを揺らしながら魔術師がゆらりと立ち上がる。
布がところどころ割けていることから、無傷だったというわけではないだろう。だが、効果的な一撃を加えられたかどうかと言えば、疑問が残る。
状況は一対三。圧倒的に有利な状況だ。包囲してしまえば、敵に打つ手はなくなる。
しかし、ここは魔術師が仕掛けた罠がいくつもあるだろう。どうやら、ヴィレムを仕留めるべくここにおびき出したようなのだから。
「さて……倒すとしようじゃないか。シア、援護を頼むよ。それから――」
「俺が行きます。あいつには、そのほうがいい」
ディートが前に出ると、ヴィレムは部屋を見回した。そこには罠がある気配はないが、敵が魔術を用いたとき、ディートが対応できるかどうかは不明だ。
「ならば魔術には俺が気をつけておくとしよう。存分に剣を振るうといい」
ヴィレムに余裕ができ、微細な変化に注意を払うことができれば、敵の仕掛けをやり過ごすこともうまくいくだろう。加えて、あの壁を用いられたとき、魔剣リーズなら切り裂くこともできよう。
ディートを先頭に三人が突っ込んでいく。魔術師は壁面を鋭い刃のように変化させ、飛ばしてくる。
一つ、二つと向かってくる刃を、ディートが打ち落としていく。いくつも払いながら進んでいき、敵へと切りかかることもできる距離になる。
魔術師は彼我の間に存在する天井を変化させ、刃の雨を降らせんとする。ディートが構わずにに突っ込もうとした瞬間、ヴィレムが叫んだ。
「戻れ!」
素早く反応したディートは飛び退いた。その眼前でいくつもの刃が地面に刺さり、そして突如激しい爆発を起こした。
そこには土の魔術だけでなく、炎の魔術が仕組まれていた。それだけでなく、ディートの魔剣が持つ解除の能力を無効化するよう、解除の魔術すら仕組まれている。そのまま突っ込んでいれば、間違いなく巻き込まれていただろう。
やや眉根を寄せるだけでディートの顔は変わらない。そんな彼の隣を入れ替わるようにヴィレムが飛び込んでいく。
無数の幾何模様を浮かべ、次の瞬間には風の刃となる。
それらは魔術師目がけて進んでいくも、生じた壁に阻まれ、敵のところまで届きはしない。
が、そのとき、せり上がる壁の隙間から、狙っている者があった。
槍を大きく振りかぶったクレセンシアは、全力で敵目がけて投擲する。その先には、いくつもの壁が盾のようにふさがっていた。
だが、複数の魔術によって構成された結果、ほんのわずか、壁と壁のつなぎ目に隙間が存在していた。
ゆっくりと塞がれるべく、縮まっていく穴のど真ん中を槍が突き進んでいく。針の穴を通すコントロールだった。
そして予測外のところから迫る刃に、魔術師は反応できなかった。
胴体を貫かれた魔術師の体がくの字に折れ曲がる。
そしてディートが壁を切り裂くなり、ヴィレムはその隙間を通り過ぎ、敵へと飛びかかった。数多の風刃の魔術は、魔術師を覆うように生じた壁に阻まれる。
だが、その強度はこれまでのものよりも随分と劣っている。彼の全力を防ぐ威力はなかった。
風刃の魔術によって切り裂かれ、魔術師の姿が露わになったとき、ヴィレムはすでに大上段に剣を構えていた。
そして鋭い一撃が放たれる。
鮮血が散り、魔術師の腕が宙を舞う。
ヴィレムの剣は魔術師をしかと切り裂いていた。だが、咄嗟に敵が体をひねったことで、胸部への一撃は外れることになった。
これまでほんのわずかなうめき声すら上げなかった仮面は、ひどく激しい歯ぎしりの音を漏らしていた。声を出せない理由でもあるのか。
思わず飛んだ腕へと手を伸ばした魔術師だったが、ヴィレムはその隙を見逃さず、素早く切り返して首を狙う。
魔術師は手を引っ込め、飛び退いた。片手で腹に刺さった槍を抜き、ヴィレムへと投げつけるや否や、背を向ける。
だらだらと血を流しながら、薄暗い闇の中へと消えていく。
「ヴィレム様、追いましょう!」
クレセンシアが槍を手に取り、素早く追跡を始める。
彼女の槍には、沈黙の大樹の粉末が塗られていた。ごく微量だが体内に入れば効果は発揮するだろうし、先ほどディートが放った攻撃にもその粉末は含まれていたはず。それゆえに、一撃を食らった魔術師はうまく魔術を発動できず、壁も貧弱なものになってしまったのだ。
そして、沈黙の大樹の影響により、再生の魔術もうまく発動させることもできないはず。ならば、血の臭いを追っていくことも可能だろう。
「頼むよシア!」
ヴィレムは敵を追い始める。そのときには、背後から足音も聞こえていた。ヴィレムと分断されたとき、クレセンシアが魔術師隊に応援を要請していたのである。
進んでいくと、異形の化け物が現れるも、増援の少年らが力を振るい、道を開いていく。ヴィレムが魔術を使うまでもなかった。
「ヴィレム様は先に進んでください!」
「……君たちの活躍に感謝する。気を抜くなよ」
ヴィレムは彼らに言葉を残し、クレセンシアの先導に従って進んでいく。
やがて道の終わりに到着した。そこには地上へと続く出口が存在している。無理矢理魔術でこじ開け外に出ると、眩しい日差しが出迎えてくれた。
それからクレセンシアが匂いを探す間、ヴィレムが付近を見回す。
「これは……あの魔術師のものか」
ヴィレムはそこに、焼け焦げた灰があることに気がついた。証拠隠滅のためだろうが、どうにもローブだけを燃やしたわけではないようだ。
思った以上に多い量の灰が風に流され、さらさらと音を立てて飛んでいく。いくつかのものが混じり合ったものなのだろう、奮迅の色合いが少々異なっている。
「ヴィレム様。すみません、これ以上追うのは難しそうです」
クレセンシアが鼻をつまみながら言うことには、この辺りで匂いがぱったり途切れているとのことだった。そしてどうにも、ヴィレムにはわからないが強烈な匂いが存在しているという。
「追跡も想定していたのかもしれないね」
クレセンシアの鼻のよさを知っていたのだろう。だから、このような手段も用意していたに違いない。
ヴィレムは風読みの魔術を発動させる。屋外ならば、かなり広範囲を探ることもできよう。
そうして音を拾っていくと、どうやら近くで魔術師隊の少年らが探索に当たっているほか、第三皇子アスターとその兵が来ていることが判明する。そのほかには、これといったものは見つからなかった。
「殿下、ご無事だったのですね!」
「ああ、兵が五人やられた。彼らにはすまないことをしたが、おかげでこうして生きている」
そんな会話が聞こえる。どうやら、彼らも被害に遭っていたようだ。
「……とりあえず、合流しようか」
そういうことになると、ヴィレムはクレセンシア、ディートと一緒に動き始めた。
少年らに捜索をさせたり、自身も調べたりしながら、山の中をしばし駆けていくと、ようやく第三皇子のところに到着した。
「君も来ていたのか。無事でなによりだ」
「ええ。敵と遭遇したようですが……」
「残念ながら、守ってくれた兵は犠牲になってしまった。今後、このようなことがないようにせねばなるまい」
皇太子は拳を握る。全身から漏れ出す怒気に、ヴィレムは思わず息をのんだ。
彼はすぐに元の柔和な笑みを浮かべる。先ほど見たのが嘘でないかと思われるほど。しかし、見間違えではないだろう。
「殿下、どうにも顔色が優れないようですが……」
「そうか、少し気が立っているのかもしれない。ここらで失礼させてもらうよ」
そう言ってアスターは彼らに背を向けた。早足に去っていく姿は、どうにも立ち去りたがっているようにも見える。
ヴィレムはその後ろ姿を眺めていたが、彼が見えなくなると呟いた。
「義憤……って感じじゃないね」
「ええ。この調査に帝国の兵を出すことに決めたのは、皇帝です。その息子となれば、なにか知っているのかもしれません」
クレセンシアが言うところは、この彼らの手によって襲撃が仕組まれていたということだ。
しかし、それには少々、不自然な点がある。
本気で陥れようとしているならば、手勢で周りを固め、ヴィレムを集団で攻めただろう。襲ってきたのがあの一人の魔術師というのは気になる。もしかすると、あの者の独断だったのかもしれない。
「帝国も一枚岩ではない、ということだろうか」
「なんにせよ、ヴィレム様には休んでもらいたいです。ヴィレム様になにかあったら、クレセンシアは困ってしまいます」
彼女がそう言うので、ヴィレムはとりあえずあとのことを少年らに任せ、休息を取ることにした。まだ体調は万全ではなかったから。
そうしてヴィレムは東の都市に戻っていく。隣にはディートとクレセンシアがいた。
相手は一人だったからいいが、あれほどの技量を持つ者が何人もいれば、結末は変わっていたことだろう。しかし……現代であれほど魔術を使える者がいるとヴィレムは思ってもいなかった。
レムの時代でも相当な実力者ということになるだろう。この時代では言わずもがな。
やはり、古代の技術を知っている者がどこかにいる。それがあの魔術師だったのかどうかは不明であるが、その可能性は少なくないだろう。
(魔術師が一人、か)
レムは一人でなにもかもできた。けれど、そうして最後には一人で死んでいったのだ。
けれどヴィレムには頼るべき相手もいた。
「ディート。今日は助かった。特別に報酬を出してやろう」
「……はあ。どうせ借金が減るだけでしょう?」
そもそも多額の借金を負っているディートの反応は冷ややかだ。なんせ、ヴィレムがするのは数字をちょっといじるだけなのだから。
「仕方ないな。あとでオデットに金を渡しておくよ」
「なんでオデットに……」
「お前たち、すごく仲がいいじゃないか。特上の肉でも買ってくれることだろう」
「ルーデンス魔導伯、感謝します」
ディートはよだれでも垂らしそうな顔で、礼を言う。
なんとも現金なやつだ、とヴィレムは思う。クレセンシアは隣で笑っていた。
考えるべきことはたくさんある。けれど今は、彼らに頼るのも悪くはなかった。